第24話 愛しの恋人

 一方ヒューゴは、あまり食べることなく、ほとんどワインを飲むだけだ。しかしかなりのハイペースで、あっという間に瓶が空になりかけている。


「そんなに一気に飲んで、大丈夫なんですか?」


 ヒューゴがどれだけ酒に強いかは知らないが、いくらなんでも早すぎではないだろうか。

 実際、既に顔が赤くなってきている。


「いや、いいんだ。少し言いにくいことがあったからな。酒の力を借りようと思った」

「言いにくいこと?」

「ああ。さっき、お前も言っていた騒動についてのことだ」

「やっぱり、何かあるんでしょうか?」


 ついさっき気にしてないようなことを言われたばかりだが、本当は怒っていたのだろうか。

 しかも、わざわざ酒の力を借りないと言えないようなこととなると、いったいどんなものなのか想像もつかない。


 だがクリスの背中を冷や汗が伝ったその時、ヒューゴは突如、頭を下げた。


「最初に言っておくが、さっきの騒ぎでは、お前には一切非はない。むしろ、俺の事情に巻き込んでしまった。そのせいで不快な思いをさせてしまって、すまなかった」

「えっ? ど、どうして総隊長が謝るんですか!?」


 急に謝られても、クリスには全く見に覚えがない。むしろ、ヒューゴのおかげでなんとか乗り切れたのではないか。


「ロイドが話しかけてきた時から、何か余計なことを言ってくんじゃないかと警戒はしていたんだ。だが警戒しておきながら、俺は何もできなかった。お前がロイドに噛みつき、吊し上げられるのを見るまではな」


 確かにあの時、ヒューゴは途中まで何もできないでいた。ロイドの言った言葉のそいで、そのくらい動揺していた。


「あの時ロイドの言っていたこと、覚えているか」

「……はい」


 少し迷って、だが正直に答える。

 そもそも騒ぎのきっかけとなったのは、確か、ヒューゴの母親についての話題が出た時だった。

 そしてロイドはこうも言っていた。ヒューゴが、この家に売られたのだと。


「情けない話だ。あいつから、あんな形で俺の事情を告げられるかと思うと、どうすればいいのかわからなくなった。そもそも、事前にお前に伝えておくべきことだったかもしれない」

「ちょっ──ちょっと待ってください!」


 普段からは想像もつかないくらい、弱々しく語るヒューゴ。だが話の途中で、クリスは無理やり声をあげ、続けるのを止めた。


「もしかして、あのロイドって奴が何を言おうとしてたか、今ここで話そうとしてません?」


 ヒューゴの口振りからすると、このまま全部の事情を話してしまいそうにも思える。だがクリスは、それを軽々しく聞いていいものとは思えなかった。


「そんなのダメですよ。総隊長は、私に知られるのが嫌で、あんなに動揺したんですよね。なのに、どうして今それを話そうとするんです。お酒、飲み過ぎたんじゃないですか?」


 いったい何がヒューゴをそこまで追い込んでいたのかはわからない。それが、全く気にならないかと言えば嘘になる。

 だが彼の負担になるとわかっていて、それでも聞こうという気は全くなかったし、なぜヒューゴがわざわざ話そうとしているのかも理解できなかった。


「そうだな。お前の言う通り、これは俺にとってあまり知られたくない話だ。いや、知られるのが怖いと言った方がいいかもしれん」

「だったらどうして──」

「だが何より嫌なのは、それを恐れて何もできなくなることだ。あの時、萎縮してロイドを止められなかったようにな」


 ぐっと、ヒューゴの手が固く握られる。


「俺自身が口を噤んでいる限り、きっとこの恐れは消えやしない。ならいっそ、全て自分の口から打ち明たい。いい加減、怖がるのはやめにしたいんだよ。ただの自己満足と言われたら、それまでだがな」

「総隊長……」


 こんな時だというのに、ふと、警備隊でヒューゴと共に戦っていた時のことを思い出す。

 その戦いぶりはとにかく強くて苛烈で、こんな風に何かを怖いと言う姿なんて、想像もつかなかった。


 だが思う。彼がそれだけ強くいられたのは、こんな風に弱さを乗り越えようとしてきた結果なのではないだろうか。


「これを話すとしたら、アスター家とは何の関係もない奴がいい。で、ここにはそんな奴は一人しかいない」

「それって……」

「お前のことだ」


 どうするべきか、クリスはすぐには答えられなかった。


 理屈はわかった。話を聞いてやることで、ヒューゴが抱えている恐れを振り切る手伝いができるのなら、力になってやりたい。

 だが──


「その相手が私で、本当にいいんですか?」


 話せる相手が他にいないから。そんな理由で選んでしまっていいのか。つい、そんなことを考えてしまう。


「ああ。何しろお前は、俺の愛しの恋人だからな」


 愛しの恋人。冗談っぽく言われた、もう当たり前になっているはずのその設定を聞いて、なぜか胸がトクンと鳴る。


(恋人か。それを言われると、断れませんね)


 確かに、大切な話を打ち明ける相手として、これほどふさわしい者はいないだろう。


「わかりました。話したいこと、全部話してください。それが総隊長の自己満足だって言うなら、私は最後まで付き合います」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る