第23話 宴の後

 嵐のような夜会が、ようやく終わった。

 ヒューゴは、知り合いと少し話があると言って、一人だけ先に元いた部屋へと戻される。


 気がつけば、もうすっかり夜中と言っていい時間だ。今宵はこの部屋に泊まり、明日にはヒューゴと共にナナレンへと帰る。それで、全て終わりだ。


 扉を開けてすぐ、ベッドの上にダイブする。


 覚悟はしていたものの、想像していた以上にくたびれた。特に、あのロイドという男。あいつさえいなければ、あんな揉め事なんて起きずに、ここまで疲れることもなかっただろう。

 アスター辺境伯が出てきたことで強制的に終わったが、もしそうでなかったら、今ごろどうなっていたかわからない。


 あの時、ヒューゴの言っていた言葉を思い出す。


『大切な者を侮辱されたのだ。これ以上続けるというなら、とことんまでやり合う覚悟はあるのだろうな!』


 自分が悪者になったような扱いを受け、許しを請うしかないと思っていた時、ヒューゴはそんなことはしなくていいと言ってくれた。


 もちろんそれは、彼の立場上、そうしなければいけないと判断しただけかもしれない。だがそれでも、大勢から非難を浴びる中、ただ一人庇ってくれたのは、嬉しかった。


 抱き寄せられて、大切な者と言われた時には、ドキリとした。今でも、思い出すと胸の奥が熱くなってくる。

 この気持ちは、まるで──


「まるで、ヒューゴ総隊長に恋してるみたいじゃない!」


 恋。その言葉を意識したとたん、思わずベッドから跳ね起き、叫んだ。

 胸どころか、体中が沸騰したように熱くなっていく。


 だが次の瞬間、クリスはすぐさまそれを否定する。


「ないないない。そりゃ庇ってくれて嬉しかったし、ドキッともしたけど、あれば全部、私が恋人って設定だからやったこと。勘違いしちゃダメ。だいたい、あのヒューゴ総隊長だよ。そりゃ確かにびっくりするくらいの美形だけど、どうしようもなく女の人が苦手で、恋人のふりなんてめちゃくちゃなこと頼んでくるような人だよ。本当に恋するなんて、絶対絶対ありえないから!」


 手をブンブンと振り回しギャーギャー喚きながら、自分に言い聞かせる。

 そんなことをしていたからだろう。後ろで部屋の戸が開く音がしたことに、これっぽっちも気づけなかった。


「何をそんなに騒いでいる」

「ひゃぁぁぁぁっ! ひゅっ、ヒューゴ総隊長!?!?」


 このタイミングで本人の登場だ。何度目かわからない叫び声をあげ、大きくのけ反るが、その拍子に体のバランスが崩れ、その場に倒れそうになる。


「うわぁぁぁぁ────って、あれ?」


 だが、いつまでたっても来るべきはずの衝撃が襲ってこない。

 それもそのはず。転倒する直前、クリスの体は、ヒューゴによって抱き止められていた。


「あまり危なっかしいことをするな。あと、大声を出すな。外にいるやつらに聞かれたらどうする」

「は、はい。すみません……」


 極限まで密着した体勢に、またも声をあげそうになるが、気力でそれを抑え込む。

 慌ててヒューゴから離れるが、それでもなお、心臓はうるさいままだった。


「いったい何があったら、あんな奇声をあげることになるんだ」

「い、いえ。なんでもありません。」


 あんなことをしておいて、なんでもない事はないだろうが、まさか「あなたに恋をしているんじゃないかと思って騒いでました」などと言えるはずもない。


「そ、それよりも──さっきは、騒ぎを起こしてしまってすみません!」


 これ以上追及されるのを避けるため、強引に話を反らす。だが言ってることは、紛れもない本心だった。


 自分が軽率なことをしていなければ、もっとうまく立ち回っていれば、そもそもあんな騒ぎにはならなかったかもしれない。ヒューゴに迷惑をかけることもなかったかもしれない。


 今まで言う機会がなかったが、ずっと申し訳なく思っていた。

 しかしヒューゴは、ふんと鼻を鳴らす。


「なんだ、そんなことか。あの男のことだ。例えお前が黙っていたとしても、言われるがまま何もできないでいるのを見て、悦に浸っていただろう。そんなことになるよりは、堂々とやり合う方がまだマシだ」

「でも、そのせいでアスター辺境伯を怒らせてしまいましたよね。総隊長にとって、それってかなりまずいことなんじゃないですか?」


 あの時、辺境伯はこの一件に関しては目を瞑ると言っていたが、確実に心象は悪くなっただろう。

 事実、その後クリスがヒューゴの恋人として挨拶に伺おうとしたが、まだ婚約も決まっていないようなら挨拶など不要と言われ、まともに話をすることなく追い返されてしまった。

 貴族の世界なんてまだまだわからないことだらけだが、次期当主候補であるヒューゴにとって、現当主である辺境伯に嫌われるというのは、どう考えても良くはないだろう。


 それでも、ヒューゴは顔色ひとつ変えなかった。


「あの程度で失うような信頼なら、どのみち大したものじゃない。それに、別に俺は当主になりたいわけでもないからな。多少嫌われたところで、どうということはない」

「えっ、そうなのですか? でも総隊長こそが次の当主だって、何人も言ってましたよ」


 一ヶ月前ヒューゴの屋敷でレノンに会った時、彼女はそう言っていた。今日の夜会でも、そんな話は何度も聞いた。


「そんなもの、周りが勝手に祭り上げているだけで、俺自身は何の興味もない。そんなことよりもだ──」


 そこまで言ったところで、ヒューゴは手に持っていたバスケットを突き出した。


「料理人に頼んで軽食を用意させたんだが、いるか?」


 すると、なんというタイミングか、とたんにクリスの腹が大きな音を立てた。


「……聞くまでもなかったか」

「だ、だって、仕方ないじゃないですか。さっきの会場では、ほとんど何も食べてなかったんですから」


 一応料理は用意されていたものの、挨拶だのダンスだの騒動だので、口に入れられたものなんてごく僅かだ。おまけに緊張していたこともあり、味なんてろくにわからなかった。

 普通に食べれば間違いなくおいしいものばかりであっただろうに、もったいない。


「なら、その分ここで味わっておくんだな。ここなら堅苦しいマナーもいらんぞ」

「…………いただきます」


 こうして、ヒューゴ共々遅い食事をとる。

 バスケットの中身は、サンドイッチ。さらにワインも入っていた。

 さっそく、大きく口を開け、サンドイッチを頬張る。


「これ、すっごく美味しいです!」


 緊張の抜けた今なら、さっきまでと違い、ちゃんと味を楽しむことができた。

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