第22話 一触即発
ヒューゴが前に出てきたことで、これまでとは状況が変わったのだろう。先程までひそひそとクリスを嘲け笑ってた連中も、皆一様に黙りこむ。
「多くの者は、この騒ぎは彼女が起こしたものと思われているようだが、誤解もいいところだ。彼女は、相手に落ち度があった故にそれを正そうとした。何も間違ったことはしていない」
この言葉で、また、場の空気が揺れる。
ヒューゴはクリスを庇い、そして相手が、つまりロイドこそが悪いのだと、ハッキリと告げたのだ。
だが、それは新たな火種を生む。
「ヒューゴ様。失礼ですが、その娘を甘やかしすぎてはおりませぬか?」
またも、最初にやって来た男が口を挟んでくる。もはやロイド側の人間であることを隠す気もないらしい。
「どのような事情があるにせよ、このような場で声をあげ騒ぎを起こすなど以ての外です。しかも、どこぞの田舎娘が、あなたと同じアスター家の人間に対してですぞ。立場も何もわかってはいない。ヒューゴ殿がいかに彼女を寵愛されているかは存じませんが、この期に及んでまだ庇おうとするのなら、自身にも悪評が立つのではありませんかな」
男の言う通りだ。庇ってくれるのは嬉しいし、クリス自身、自分のしたことが間違っているとは思わない。だがここで下手に口出ししたら、余計にヒューゴの立場が悪くなりかねない。だからこそ、下げたくもない頭を下げて事を収めようとした。
「あの、ヒューゴ様──」
もう、庇わなくていい。そう言おうとした。この時までは。
「立場か。ならば、今こうして俺に異義を唱えている貴侯は、立場を弁えていると言えるのであろうな。どこぞの田舎娘でもあるまいし、不慣れなどという言い訳はできぬぞ」
「なんと!」
とたんに男が目を剥いた。まさか自分がこんな風に責められるとは思っていなかったのだろう。
「お待ちください。いかにヒューゴ殿と言えど、意見を申せばそれだけで不敬などと仰るのではないでしょうな。だとしたら、いくらなんでもそれは横暴ですぞ!」
「ああ、その通りだ。正しい事を行うのに、地位や立場は関係ない。貴侯もそしてクリスも、それは変わらない」
「それは……」
悔しそうに、奥歯を噛み締めるのがわかる。自らを守るために言った言葉で、揚げ足をとられることになってしまったのだ。
さらにヒューゴは、そもそもの元凶であるロイドを見据えた。
「そうなると、あとはそれぞれの言い分の是非ではあるが、こうなった経緯の全てを話して、ここで議論でも始めようか? だがな──」
「えっ?」
そこで突如、ヒューゴはぐっと手を伸ばし、クリスをその身に抱き寄せる。
クリスは目を白黒させるが、そんなものは全く意に介さず、ヒューゴはロイドに向かって言い放つ。
「大切な者を侮辱されたのだ。これ以上続けるというなら、とことんまでやり合うことになるぞ!」
「──っ」
ロイドは、さっきの男のように取り乱したりはしなかった。だがその心中は、決して穏やかではない。
彼とて、ヒューゴが多少何か言ってくるくらいは予想していた。だが、ここまで徹底的に戦う姿勢を見せるとは思っていなかった。
そんなことをしたら、ヒューゴ自身の立場だって、さらに悪くなるはずだ。
「わかっているのか。こんなところで揉め事を起こせば、お前の名にも傷がつくぞ」
「ああ。だが、それはお前も同じだな。どうする。お前には、そうまでしてやり合う覚悟はあるか?」
覚悟などありはしなかった。
事と次第によっては、この夜会に来ている者全員から嘲笑されることになりかねない。にも拘らず、平然とそれを言い放つヒューゴの方が異常だ。
しかし、ここで簡単に引き下がっても、それはそれで格好がつかない。
すぐには答えを出すことができず、悔しそうにヒューゴを睨み付けるしかなかった。
だがこの事態は、予期せぬ形で幕を下ろされることになる。
「なにやら、騒がしいことになっているようだな」
誰も立ち入ろうとしなかった渦中に、突如新たな声が割って入る。その場にいる全員が、声の主へと振り向き、その姿を見た瞬間、一様に息を飲む。
唯一の例外はクリスくらいだ。
(このお爺さん、誰?)
現れたのは、髪の色がすっかり白くなった、一人の老人だった。とはいえ、普通老人と聞いて思い浮かべるような弱々しさは、一切ない。それどころか目は鋭く光り、見る者を萎縮させるような、威圧的な雰囲気を放っている。
どちらかというとこのような夜会よりも、少し前までクリスもいた警備隊、それも最前線にいる方が似合ってそうだ。
そこまで考えたところで思い出す。この場にいておかしくない人物の中で、これらの条件にぴったりと当てはまりそうな人物が、一人だけいたことを。
幸い、その答えはすぐにわかった。
「辺境伯。いらっしゃったのですか」
辺境伯。そう呼ばれたのを聞いて確信する。
この人物は、ランス=アスター辺境伯。ヒューゴの祖父であり、この館の主でありながら、今まで姿を現さなかったアスター家の現当主だ。
「無粋な年寄り故、このような集まりには少し顔を出すくらいで退散しようと思っていたのだがな。どうにも、騒がしいことになっているようだ。それも、今後アスター家を背負っていくであろう二人が、場もわきまえずに言い争いとは」
ヒューゴもロイドも、揃って押し黙る。何しろ二人にとっては、家の長であり、上役のようなもの。
そうでなくても、相手はかつて異民族との戦いを何度もくぐり抜け、勝利を収めてきた英雄だ。さすがに今となっては当時の力はないだろうが、眼光だけで十分すぎるほどの迫力があった。
「双方争う理由があるというのなら、話を聞こう。だが、今ならまだ戯れとして目を瞑ることもできるが、どうする?」
ヒューゴもロイドもすぐには答えず、少しだけ沈黙が流れる。
最初にそれを破ったのは、ロイドの方だった。
「いえ…………至らぬことをしてしまい、申し訳ありません」
元々彼にとっては、引きたくてもなかなかそれができないでいただけ。これ以上諍いを続ける理由は、何もなかった。
そしてヒューゴも、こうなっては争うこともできない。
「俺も、申し訳ございません」
辺境伯にむかって、頭を下げるヒューゴ。同時に、これまでクリスをつかんでいた手が離れる。
(これで、終わったの?)
果たしてこれが、ヒューゴにとって良い結末だったかはわからない。だが少なくとも、この場における揉め事は過ぎ去ったようだ。
「クリス。慣れないことをさせて、すまなかったな。少しの間、隅で休んでろ」
「は、はい」
ようやくこの場から退散できる。そう思ったとたん、どっと疲れが襲ってきた。
会場の隅にある椅子に腰掛けながら、一連の出来事を振り返る。
この僅かな間に、ロイドという男に腹を立てたかと思えば、その後不当に責め立てられ、苦しい思いをした。体力以上に、心がずいぶんと磨り減った気がする。
だがそんな中でも、最も記憶に刻まれているのは、自分を庇い、抱き寄せてくれたヒューゴの姿だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます