第20話 ロイド=アスターという男

 その男は、見たところヒューゴとそう変わらないくらいの歳の青年だった。方々の有力者が集まるこの場では、比較的若い方だ。

 だがその佇まいは堂々としたもので、いかにも場馴れした雰囲気を醸し出している。


「君がこのような場所に女性を連れてくるとは驚いたよ。今まで仕事一筋で、そういう話には興味がないのかと思っていたからね」

「何を言うかと思えば。俺とて職務を離れれば、一人の人間。良き相手と巡り会えば、惹かれるものもある」


 どこがですか?

 心の中でヒューゴに向かってそう叫ぶが、それから再び、話しかけてきた男の方へと視線を戻す。

 この男は、他の人達とは何かが違う。それが、クリスが最初に抱いた印象だった。


 これまでヒューゴの元には多くの者が挨拶にやって来たが、そのほとんどが、彼を目上の人間として接していた。

 この家の当主の孫にして、次期当主候補という立場を考えれば、そうなるのも当然。だが目の前の男には、そんな様子は一切なく、まるで対等の存在であるかのように振る舞っていた。


 いったい何者なのか。そう思っていると、彼の方から名乗ってくる。


「はじめまして、お嬢さん。わたくし、ロイド=アスターと申します」

「ロイド様……ヒューゴ様の、親戚の方でしたよね?」


 名前を聞いて、咄嗟に記憶を呼び起こす。

 この夜会に出席しそうな人物の名と、それがどういう者であるかは、覚えておくようにと、事前にヒューゴから資料を渡されていた。

 あまりにも人数が多かったため、その全てを把握している自信はないが、幸い彼の名は記憶に残っている。


 ロイド=アスター。

 アスター家の分家に当たる家の長男にして、ヒューゴにとっては又従兄弟。歳は、彼の方が一つ上だ。

 そしてヒューゴと並んで、アスター家次期当主候補の一人と目される人物でもあった。


 と言っても、クリスにしてみれば、資料を読んで知っただけの相手に過ぎない。


 だがその資料を読んでいた時、ヒューゴがこう言っていたのを思い出す。

 できれば、仕事の場以外では会うことなくすませたいと。


「ほう、私のことを知ってくれているとは光栄だね。ヒューゴと一緒になるのなら、今後も会う機会も増えるだろう。よろしく頼むよ」


 にこやかに笑いながら、握手を求めてくるロイド。だが、一瞬その手を取るのを躊躇した。

 会わずにすませたいという、ヒューゴの言葉があったから。それに、自分を見つめる彼の視線に、妙な心地の悪さを感じたからだ。


「おや、どうかされましたか」

「いえ……失礼しました」


 彼がどんな人物であっても、こうまでされて応えなければ、さすがに失礼になる。

 今度こそその手を取って握手に応じるが、相変わらず、彼の笑顔も視線も、妙な気配を孕んだままだ。


 もちろん、ただの気のせいと言われればそれまでだ。だがこういう場では、相手が一見友好的であったとしても、本心までそうとは限らない。


 今までヒューゴを訪ねてきた人の中にも、クリスとの仲を祝福しながら、その実、値踏みするような視線を送ってくる輩がいた。

 それは決して愉快なものではなかったが、一応理解はできる。ヒューゴのような立場の人間が、いきなりこんな庶民を恋人として連れて来たのだ。

 受け入れられない者がいてもおかしくはないし、場合によっては、悪意を向ける者だっているだろう。

 彼もまた、そういう人物の一人なのだろうか。


 とはいえ、特別何かをされたわけでもないし、他の人達と同じように接したらいいだけだ。


「それで、二人はどういう経緯で知り合ったのかな?」

「ああ。それは、俺から話そう」


 今まで通り、ヒューゴが一歩前に出て、会話の主権を握ろうとする。クリスとしても、この場ででしゃばろうなどという気は微塵も起こらない。

 だが、質問に答えようとしたところで、ロイドがそれを止めた。


「せっかくだから、ヒューゴではなく、彼女から話を聞いてみたいな」

「私ですか?」

「ああ。それに、君自身がどういう人なのかも知りたいからね」


 そっとヒューゴ様子を伺うが、特に止める様子はない。

 失態のないようにと、これまで会話のほとんどをヒューゴに任せてはいたが、こうも面と向かって求められては、断るのも難しと判断したのだろう。

 それに、クリスもこういう時を想定し、受け答えの練習はしっかりとしていた。


「ええ。私でよければ」


 実際、聞かれたのはそう難しくことではなかった。

 どうやってヒューゴと知り合ったのか。彼のどういうところに惹かれたのか。もちろん、それらに対する答えのほとんどは嘘で固められているのだが、練習しただけあって、すらすらと言葉が出てくる。


 しかし話の内容が、クリスの生い立ちや家族といった話題へと移りはじめた時だった。


「なるほど。ここより離れたところにある農村の出か。君の姓にどうにも聞き覚えがないと思ったが、それでは知らぬのも無理はないな」


 クリスが自らの出自を語ったとたん、ロイドがピクリと反応を示した。同時に、さっきまで彼から向けられた、嫌な視線が頭を過る。


 やはりこの人も、なんの威光も後ろ楯ももたない庶民の自分を、疎ましく思うのだろうか。


「こんな田舎娘がいきなりやって来るなんて、さぞ驚かれたことでしょう」


 そう言って、様子を伺う。いざとなればヒューゴもフォローに入ってくれるだろうし、例えどんな言葉が返ってきても、うまくやり過ごすつもりでいた。

 しかし……


「確かに、何人もの令嬢達との縁談の話が持ち上がる中、君のような子を連れてくるとは、少々意外ではあったな。ヒューゴ、君は彼女のどこに惹かれたんだい?」


 この質問も、想定の範囲内。ヒューゴなら難なく答えてくれるだろう。そう思っていた。

 だが、ヒューゴが答えるより僅かに早く、ロイドが再び口を開き、言う。


「庶民的なところに、母親の面影でも感じたかい?」


 そのたった一言で、場の空気が一瞬にして変わる。


 言葉を失ったヒューゴが、鋭い眼光でロイドを睨み付ける。しかしロイドは、それを見て、さも愉快そうにニヤリと笑った。


 そんな中、クリス一人がこの状況を理解できずにいた。


「ヒューゴ様の、お母様?」


 もちろん、ヒューゴにだって親はいるだろう。だが考えてみれば、今までに一度も、彼から両親の話を聞いたことがない。


 別に、話す必要がなかったと言われればそれまでだ。しかし主要な親戚達については資料まで渡されていたにも関わらず、最も近しいはずの両親のことがただの一度も話題に上らないというのは、考えてみればあまりにも不自然だ。


「おや、もしかしたら、話していないのかな? ダメじゃないかヒューゴ。彼女は、君がパートナーとして選んだ相手だろ。そういうことは、しっかり伝えておかないと」

「くっ──」


 一瞬、ヒューゴが怒鳴りそうになり、咄嗟にそれを堪えるのがわかった。

 いったい何が彼をそこまで動揺させているかはわからない。だがこの場でいきなり声を上げれば、間違いなく騒ぎになるだろう。


 ロイドもそれをわかっているのか、この剣呑な雰囲気の中、相変わらずにこやかな笑みを浮かべている。

 だがその瞳の奥に、笑顔とは程遠い何かを感じずにはいられない。


「君が話しづらいのなら、私が変わって伝えてあげようか?」


 そんなロイドを見て、先ほど感じていた妙な心地の悪さが、どんどん大きくなっていく。


 最初、それは自分に対する悪意か、あるいは侮蔑だと思っていた。

 だが今ならわかる。彼は、自分にそんなものを向けてはいなかった。


 悪意を向けていたのは、ヒューゴに対してだ。

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