第12話 恋人としてご挨拶

 ナナレンは国境に隣接した街という位置条件から、古くより交通の要所として栄えていた。


 街の一角には、そんな繁栄の象徴とも言うべき富裕層の屋敷が集まる住宅街があるのだが、その中でも一際大きく存在感を放つのが、ヒューゴ=アスターの屋敷である。


 ヒューゴと共に馬車から下りたクリスは、その外観を見ながら、思わず声をあげる。


「こんなすごいところに住んでるなんて。ヒューゴ総隊長、本当に貴族なんですね」

「今さら何を言っている」


 ヒューゴが呆れたように言うが、根っからの庶民であるクリスは、これだけ大きく立派な屋敷など、見るだけで圧倒されてしまう。

 今までヒューゴには、貴族であること以上に、警備隊総隊長であるという印象が強かった。だがこの屋敷や、ついさっき与えられたドレスを見ると、本来なら住む世界の違う人なのだと思ってしまう。

 しかし、ヒューゴの考えは違うようだ。


「だが貴族と言っても、アスター家は辺境伯。その本分は、他国の侵入から国を守ることであり、贅沢な暮らしをするためじゃない。この屋敷も所有しているから使っているだけで、駐屯所から遠いことを考えれば不便でしかない」


 普段、半分駐屯所に住んでいるような生活をしているヒューゴにとって、おそらくその言葉は真実なのだろう。

 そんな考えのためか、この屋敷で暮らしているのも、ヒューゴの他は最低限の使用人だけだそうだ。


「もっとも、これから会うのは、そんなアスター家の本分も忘れてしまったような人だがな」

「えっと……確か、アスター家の分家の人で、レノンさんという方。総隊長にとっては、叔母様のような人でしたよね」


 今から会うヒューゴの親戚については、馬車の中で簡単に説明を聞いている。

 なんでもその者は、ヒューゴ以外の当主候補とは、折り合いが悪いらしい。ヒューゴとも決して結び付きが強いわけでもないが、それ故に自らの推薦した者と結婚させることで、少しでも近づこうと画策しているとのことだ。


 親戚間での権力争いなど、庶民のクリスにとってはまるで縁のない話。だがこれから、その渦中に飛び込むこととなるのだ。


 それはそうと、ヒューゴからその親戚の話を聞いて、どうにも気になることが一つあった。


「ところで総隊長。その親戚の方も女性なんですよね。発作は大丈夫なんですか?」


 するととたんにヒューゴが渋い顔になる。


「無論、苦手なところはある。だがあの人は女という以前に、見合いや結婚を進めてくる敵だ。敵対心を全開にすることで、なんとか苦手意識を封じ込めている」

「なるほど。そうすれば、相手が女の人でも平気なんですね。でもそれなら、お見合いだって同じ方法を使えばいいじゃないですか」


 それができれば、わざわざ自分が恋人役なんてする必要もなくなる。

 だがやはり、そう甘い話ではなかった。


「平気になるわけじゃなく、あくまで我慢して乗り切っているというだけだ。それに、見合い相手をハッキリ敵だと思えなければ、乗り切ることも難しい」

「つまりその親戚の方は、ハッキリ敵だと思えるのですね」


 身内とはいえ、全てが仲の良いわけではない。そのくらいはクリスも理解しているが、自身の家族や親類と比べてみると、そこまでかと思わずにはいられない。


 そんなことを考えながら、ヒューゴに促され、屋敷の中へと入っていく。

 すると間も無く、奥から燕尾服を着た初老の紳士が姿を現した。おそらく、この屋敷の執事だろう。


「お帰りなさいませ旦那様。客間にて、レノン様がお待ちです。あの、こちらの方は?」


 ヒューゴ一人で帰って来るものと思っていたのだろう。訪ねながら、クリスを一瞥する。


「詳しいことはおいおい話す。それよりも、今は彼女に会う方が先だ」

「かしこまりました。どうぞこちらへ」


 歩き出したヒューゴ達を追い、クリスもその後に続く。

 とても個人の住まいとは思えない広さの屋敷の中を進んでいくと、ヒューゴ達は一つの扉の前で足を止めた。


「レノン様。旦那様がお見栄になりました」


 執事が扉を開くと、部屋の中には、一人の中年の女性が待っていた。


(この人が、ヒューゴ総隊長に見合いを勧めてくる方。私がこれから騙さなければならない相手)


 ゴクリと唾を飲み込むと、レノンは不機嫌そうに口を開いた。


「ヒューゴさん、ずいぶん遅かったですわね。わたくし、待ちくたびれましたわ」


 レノンの歳は、見たところクリスの母親よりも少し若いくらいだろう。とはいえ顔全体に化粧を施しているので、正確なところはわからない。

 格好は、さすが貴族なだけのことはあり、その方面に詳しくないクリスから見ても、一目で上等なものだとわかる。今クリスが身につけている服や装飾品も相当なものだが、もしかするとそれ以上かもしれない。

 何より、クリスが服に着られているといった感じなのに対して、彼女にはそんな様子は全く見られない。むしろ、「わたくしに着られることを光栄に思いなさい」とでも言うかのように堂々としている。


 そんな者から不機嫌な言葉をかけられると、正直なところ心労がたまる。


 しかしヒューゴも決して負けてはいない。今の言葉にも堪えた様子はなく、堂々とそれに答えた。


「時間を取らせてしまって申し訳ありません。しかし叔母上。お急ぎであれば、事前に連絡の一つでもよこしていただきたいものですな。何しろこちらも日々の勤めで多忙の身。叔母上もアスター家の一員として、それがいかに重要であるかはご理解いただけているでしょう」

「……そうですわね。あなたがそのように責任を持って勤めにあたってくれていて、わたくしも嬉しいですわ」


 口では嬉しいと言っておきながら、顔は少しも笑ってはいない。内心、苦言をかわされ面白くないのだろう。

 だが彼女の話はそれだけでは終わらない。むしろ、これからが本題だ。


「しかし仕事に励むのも結構ですが、次期当主として、他にも考えなければならないことは山ほどあります。たとえば、良き伴侶を迎え、しっかりした跡継ぎを儲けること。これもまた、立派な勤めですよ」


 やはりヒューゴの予想通り、今日彼女がここに来た理由は、そういう話をするためのようだ。

 それからレノンは、いくつかの冊子を取り出し、ヒューゴに見せる。この中に、自分の勧める見合い相手の資料が入っているのだろう。


「どうもあなたは、この方面についてはあまり乗り気ではなさそうですからね。ですが当主たるものがいつまでも独り身でフラフラしていたら、それを快く思わない者も出てくるでしょう。今までは、まだ若いからと大目に見てきましたが、いつまでも見逃しておくわけにはいきません」


 口調こそ、そう激しいものではないが、その言葉には、反論するのは許さないとでも言うような、静かな圧があるように感じる。

 だが、次にヒューゴが言葉を発した瞬間、それが一変する。


「今まで心配をかけてしまって申し訳ない。しかし私も、再三にわたる叔母上の言葉を受け、ようやく結婚を前向きに考えられるようになりました」

「まぁっ──それは本当ですか?」


 まさかこんなにもすんなり納得されるとは思わなかったのだろう。驚きながらも、してやったりといった風にニヤリと笑う。

 だが、彼女にとって都合のいい展開はそれまでだ。


「だからこそ、今日はこうして彼女を連れてきたのです。クリス、挨拶を」

「は、はい」


 ヒューゴに促され、クリスは一歩前に出る。


「あ、あなたは?」


 おそらくレノンは、ヒューゴ以外の者などなどほとんど眼中に入っていなかったのだろう。クリスの存在など初めて気づいたようで、突然出てきた見知らぬ娘を前にして、目を丸くする。


 その間に、クリスは一礼すると、さっきから何度も頭の中で繰り返し確認していたセリフを口にする。


「レノン様、はじめまして。わたくし、クリスティーナ=クロスと申します。ヒューゴ様とは結婚を前提に交際いたしております」

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