第4話 無名の楽団
「いいところにつれてってやるよ」
と、符が羽を誘って連れて行ったのは、小さな家だった。夕暮れがのびる中、羽は門をくぐった。夕飯はいらない、と嶺に伝えたので、今日はここで夕飯を食べるらしい。
(酒店じゃない、よな? おっさんの知り合いの家か?)
どこからどう見ても一般家庭だ。子ども達を家まで送っていくこともあったおかげで、羽は実家が改めて金持ちの家だということを思い知った。
「お、来たな」
「遅いぞ、符。もう食べ始めってっからな」
「お前が言い出したんだろ、俺の家で集まろうってよ!」
「そーだぞー。ほら、まずは一杯どうだ?」
「わりぃな。この出不精を引っ張り出すのに手間取っちまって……」
へらへらと笑いながら、羽を突き出して符が言った。
(嘘言うなよ、嶺さんに”いきなりすぎる”って怒られたからだろ!)
ぎり、と睨むも符はへらへらと笑う。居間に集ったのは4人の男たちで、年齢も符とそう変わらない。彼らの中央には、簡素な机が二台並べられ、その上には大皿に乗せられた料理が並んでいる。川魚の煮汁に、あぶった肉の照り焼き、麦飯などなど、ちょっとした宴会のようだ。
酒は少し離れたところにおいてある小さな台にまとめておかれている。
(この人達、楽人だな)
集まった男たちの傍らにはそれぞれ、琵琶や笛、二胡や太鼓などが置かれている。符の知り合いだ、楽人がいてもおかしくはないだろう。楽人たちが私用で集っている事なんて初めて聞いた。楽人が集まるとしたら、貴人の家に招待されるときくらいだと思っていた。
「坊ちゃんが噂の符の弟子か?」
「ちげぇよ。おっさんの弟子なんかになった覚えはない」
苦い顔をする羽に、男たちがゲラゲラと笑う。顔をしかめると、さらに笑う。
(おっさんの知り合いだから、同類ってわけかよ)
「俺だってそうだ。俺には弟子なんて取る資格なんてないぜ」
酒を飲み干した符が呟いた。軽くあぶった木の実を数個口に放り込む。
「おいおい、そんな事言うなよ符。お前に資格がないなんて言ったら、俺はどうするんだよ」
「俺も―。弟子って程じゃないけれど、教える相手はいるんだぞー」
「まぁ、いいじゃねぇか。それより、全員揃ったなら、まずは一曲奏でないか?」
あぁー、と男たちが小さくうなずいた。頷きながらさっと楽器をとるところは、楽人らしい。
「坊ちゃんも、疼いたら弾いていいぜ。ほら、そこに琴があるだろ?」
「人を狂人みたいに言うなよ」
「楽人は楽が聞こえたら落ち着いていられない、そうだろ?」
その言葉に、羽はとっさに答えられなかった。羽が言葉を探している間に、男たちは楽を奏で始めた。宴のはじまりに相応しい、にぎやかで気持ちが明るくなる曲だった。
(殿中楽を弾いたら即で役人連れてくるからな!)
腕を組み、羽は男たちから少し離れた壁際に座ることにした。立って楽を聴くなんて羽には考えられないことだからだ。それにしても、腹が減ってきた。宴に招待されたのだから、少しくらい料理を頂いてもいいだろう。酒は判断が鈍ってしまうので呑まないようにして、と。
男たちも、料理や酒は二の次で楽を弾きたい、というのが本音のようだった。
楽を聴きながら、羽は右手が疼いてくるのを感じ始めた。それは、今までになかった感覚だった。自然に右手が机の上で弦をはじいていた。
滑らかな机の上にぴんと張られた弦を思い浮かべる。
(けど、この曲に琴は使われない……)
いわゆる、即興というものだ。けれど、幼い頃から楽譜通りにひくことだけを教えられた羽にとっては、初めての感覚。まるで自分が自分でなくなってしまったかのように、羽はこん、こんと机をたたき始めた。男たちに見られると何か言われるのではないかと、羽は思い、大皿の影に右手を隠した。
ふと、太鼓を打ち鳴らしている男と目が合った。柔和な表情を浮かべた男は羽の表情を読み取ったのか、にこりと笑うと、空いた左手でそっと琴を指さした。
おいで、と言われた気がした。
「!」
その瞬間、羽は頭の中に閃光が走った。ぱっと、立ち上がると琴の前に立つと、すとんと腰を下ろした。
そこから先は、あまり覚えていない。ただ、一心不乱に自分が「これ」と思った弦を弾くだけだ。他の楽器の動きは頭の中に入っている。だから、それらに琴を重ねることは難しく思えなかった。
(疼く、ってこういうことか。入り込むってこういうことか)
琴をかき鳴らしながら、羽は思った。幼い頃、父や叔父たちに連れられて宴に出た際、よく楽人たちが即興をしているのを聴いたことがある。周家では、楽譜通りに弾くことが鉄則であったため、即興が始まると父たちは踵を返してその場から離れていた。羽もそれに従っていたから、即興についてはあまりいい印象はなかった。
――― でも。
今こうして即興をしている自分は、とても気分がいい。
疼く、と男は言っていた。こういうことなんだ、と。あの楽譜通りに弾かない「下手な」連中は、こういう気持ちだったのだ、と同じ立場になってようやく理解した。
体が疼いて疼いて仕方がなかったのだ。狂人、と言ってしまってもよいかもしれない。子どもが遊び仲間に入れてほしいように……奏でたいのだ。
羽の耳には、楽譜通りではない「下手」な音が届いてきている。でも、それでもよいのだと、肌が感じている。男たちも、羽の即興に会わせて音の強弱を変えてくれている。
ふと、目を開けてみた。
目を開けて楽を奏でた事なんて、あまりない。耳を研ぎ澄ますために、視界を覆う癖がついていたからだ。
(…………あ)
視線がこちらに集まっている。8つの目と、4つの音が自分に向かっている。その視線に一瞬どきりとするけれど、手は止まらない。なぜなら、この気分を失いたくなかったからだ。そのまま、目を開いていると、男たちは満足したようにうなずいて、目を閉じている。
「お前、もう上り症大丈夫なんじゃないか?」
「そう、かな……」
二胡を奏でていた男が、魚を食いながら言ってきた。5曲を通しで弾いたのだ、さすがに休憩したいと符が言い出したので、いったん食事をとることにした。
「もしかしたら、あれかな」
琵琶を弾いていた男が、顎髭を撫でながら言った。
「坊ちゃんは、聞き手に”期待”してたんじゃないか?」
「きたい?」
期待、とはいったい何だろう。羽がじっと見上げると、気まずそうに咳払いをした。
「坊ちゃんは、今まで自分より上手い楽人にしか自分の琴を聴いてもらえなかったんだろう」
「そうだな。楽人じゃなくても、貴族や豪商だった」
ぎこちなく羽がうなずくと、男は言葉を繋げた。
「自分より上手いから、上手に聴いてもらえると期待してたんだよ」
「なるほどなぁ。上手に聴いてほしいから、自分を追い詰めすぎたんだな。いやぁ、若いなぁ」
白湯で酒気を和らげながら太鼓の男が呟いた。そう言われて、春先に行われた殿試での自分の考え方を振り返った。
(上手に聴こえてほしかった……納得するほどの楽を用意したかった……)
そうか。
相手に期待していたのだ。上手に聴いてもらえるからこそ、立派なものを弾かなくてはいけないと思い込んでいたのだ。
だから、子ども達の前では自然に弾けたし、誰もいない家ではそもそも期待する相手がいないので、楽に弾けたのだ。
「それに、だ。坊ちゃんはあの周家の人間だから仕方ないよなぁ」
いままで無言で酒をあおっていた男が忌々しげにあの周家の、と繰り返した。周家という響きに、男たちが暗い顔をして頷いた。
「周家としての看板を押し付けられて、かわいそうに……」
「本当は、好きに奏でたかったんだろ? 本当に、あいつら楽を楽として見てないもんなぁ。あいつら、楽を自分達の道具にしてやがる」
「あぁ。坊ちゃんほどの楽人が自分の楽ができないなんて、よっぽどなんだろうな、周家ってのは」
「あ、あの……」
追い出された家とはいえ、自分の家の事を悪く言われるのはあまりよい気はしない。符の方を見ると、黙ったまま酒を飲み続けている。背中を向けられているので表情は見えない。
「坊ちゃん、周家を追い出されて正解だったな。あのままじゃ、せっかくの才能が消えちまう」
「俺に、才能なんて……」
そうだ。才能なら、子牙の方がある。自分は才能が無いと追い出されたのだ。
「あるっての! ったく、周家の連中は何を考えてるんだ?」
強い言葉に、狼狽えるしかなかった。そこまで周家に対して思うところがあるのだろうか。たくさんの楽人を抱え、殿中でも名をはせる周家は楽人の尊敬を集めるものだと思っていた。
「周家は……。皆さんにとって………」
「端的に言えば、敵だな」
「そうだなぁ。商売敵、って言いたいところだけど、規模が違いすぎるからなぁ」
「俺達は、周家に教えを受けた後に追い出されたからな」
苦笑を浮かべて男たちが言う。周家の弟子だったのか、と羽は思った。
「追い出された?」
周家の弟子だったということが本当なら、相当の実力の持ち主だ。その上、周家の看板を背負えば、どこの宴にも出られる。
「追い出されたんじゃなくて、てめぇから出て行ったんだろうが」
今まで黙っていた符がぽつりとつぶやいた。仕方ねぇなぁ、と男たちが大声で笑った。酒が入っているからか、先程よりも大きい。
「は!? 出ていった?! 自分から!?」
「お、いい反応だ」
「いや、待てよ! おっさんたち、周家の弟子を自分から辞めるなんて相当だぞ!?」
途中から抜ける弟子は少なくはない。けれど、大半は師匠である父から辞めるように説得されるのだ。自分から出て行く人間はごくまれで、羽の記憶が正しければ二人ぐらいしかいなかったはずだ。
「あそこにいたら、自分の楽ができないからな」
「自分の楽?」
「そうだよ、坊ちゃん。俺達は、自分達の楽がしたくて周家を出たんだ。あそこにいたら、確かに楽人としての名は残るだろう。でも、その代わり、楽人として大切なものを失う気がしたんだ」
「だからこうして俺達だけで集まって好き勝手に弾いているんだ。ほら、ところどころ坊ちゃん違うって顔してたろ」
そうかもしれない。この男たちの奏でる曲は、ところどころ譜面とは違っていた。だから、はじめのうちはいやな顔をしたのかもしれない。でも、聴いていくうちに彼らの”喜び”を感じたのだ。自分が引きたいように弾き、聴きたいように聴く。それが、彼らの楽なのだ。
(俺の楽は、彼らの楽なのか?)
そう割り切れるものではない、ということは分かる。
「さ、帰るか」
羽の肩を叩き、符が出て行こうとしていた。羽もそれに続き、月明かりの街に飛び出す。夏になっていても、夜になると少し肌寒い。
「あ、忘れものだ」
府が呟いて、家の中に戻っていった。一人でも帰れることには帰れるが、夜中に一人で出歩くと、盗人の格好の的になる。それに、酔った人間を一人で出歩かせるなんてできない。
「おっさん、早く戻って来いよ」
悪態をついていると、人の気配がした。その気配に目を向けると、その人物ははっとした表情を浮かべた。
「子牙……兄ちゃん……?」
「坊ちゃん? 坊ちゃんではないですか!?」
子牙は真っ蒼になって、羽に近づいてきた。慌てるように両肩をつかみ、何度も揺さぶった。
「兄ちゃん、兄ちゃん……。苦しぃ……」
「あ、すまない。まさか、坊ちゃんがここにいるとは思わなくて。今まで一体どこにいたのですか? 文も書かずに……」
心底心配した、と手を放しながら言われた。子牙に言われて、羽はさすがに居心地が悪くなった。
「それは、曹符って名前のおっさん楽人の家に居候してたんだよ。文を書かなかったのは、そのおっさんの学問所を手伝わされてて書く暇がなかったからだよ」
「曹符……?」
「兄ちゃん聞いてくれよ! そのおっさんな、街中で殿中曲を弾いてやがったんだ! 役場に訴えたくてもできなくてさ! 兄ちゃんなら、何とかできるんじゃないか?」
「殿中楽を街中で?」
信じられない、と顔に書いている。そりゃそうだ。羽自身、いまだに信じられない。口元に手を当ててうなっている。
「今日は、そのおっさんの友人の家に招待されてたんだよ。兄ちゃんこそ、こんな時間に外にいたら、おじさんに叱られるんじゃないか?」
「なんで……」
ぼそ、っと子牙が呟いた。
「兄ちゃん?」
「なぜ、坊ちゃんが破門された弟子の家にいるんですか?」
「破門された? あぁ、自分達から出て行ったって言ってたな」
がし、っともう一度肩を掴まれ強く揺さぶられた。
「坊ちゃん! あなたは、周家の将来を担う正当継承者なんですよ? それなのに、どうして破門された連中と楽を奏でるんですか!」
子牙の混乱が両手から伝わってくる。まるで幼い子どものように、目が完全に見開き、正気ではない。
「継承者だって言っても、俺は追い出されたんだぞ。子牙兄ちゃんこそ、継承者にふさわ―――!」
羽が言葉をつなげようとした時、符が大あくびをしながら現れた。
「なんだぁー。うるせぇぞ」
あくびをし終えた符と子牙の目が合う。ぴたり、と子牙の手が止まったのを感じた。今までの動揺が嘘のように、二人が凍ったかのように固まってしまう。
「あなたは――――――」
「あぁ! どなたかと思えば!」
わざとらしく、符が大声を上げた。両手を叩き、羽を子牙から引きはがす。
「最近都で噂になっている、天才楽人の周子牙殿ではないですか! 活躍は私のような人間でも聞いているほどです! いやぁ、こんなところで出会えるとは!」
「いえ、あの……。あなたは」
「子牙殿! どこかの宴からの帰りですか? いやいや、御一人で帰るのは危ないでしょう。大通りに早くお戻りください」
「坊ちゃんを……」
「あぁ、こいつはですね。うちの遠縁の子どもでして、しばらく家で預かっているのですよ。それでは、いつかの宴でお会いしましょう!」
「お待ちください!」
「では、失礼します!」
子牙の言葉を一切聞かずに、符は羽を連れ去るように立ち去る。あっけにとられた子牙を無視した行動に羽は動揺するほかなかった。
(明らかに、子牙兄ちゃんを避けてたよな?)
あまり人づきあいがうまくない羽でも見え見えなほど、その声は上ずり、立ち振る舞いにも冷静さはなかった。一瞬でも早く子牙から離れたい、その意図が見え透いていた。足早に遠ざかる背に追いつくのに精いっぱいで、その表情は見えない。
(おっさんももしかしたら、破門された人の一人かな)
破門された人。
それなら、あの男たちと一緒に楽を奏でるのもおかしくはない。
でも。
それなら、周家に対して恨みつらみを述べてもいいだろう。それなのに、男たちが周家に対して愚痴を言っても黙って聞いているだけだった。
極めつけは、先程の子牙に対する態度だ。まるで、自分が何者であるかを子牙に告げさせないかのようだった。
「どうして……あの人が……」
一人残された子牙は足元の石を見つめ、その場にしゃがみこんだ。頭を抱え、過去を振り返るかのように目を閉じた。何かを探るように記憶の海を泳いでも、明確な映像は浮かばない。
でも、一つだけわかることがある。
「伯父上……。そうだ、伯父上だ! 早く当主様にお伝えしなければ!」
あの事件を従弟に知られるわけにはいかないということだ。音楽に対して深い愛情を持つ彼に、あの事件は衝撃だろう。
「!」
わき目もふらずに走り出した子牙の上を月が照らしていた。
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