エピローグ



 高校卒業おめでとう。そう黒板に描かれた人気のない教室。その真ん中で、春川メグミが椅子に座った兎賀ハルカの髪をブラシで梳かしていた。メグミがやさしくハルカに話しかける。


 「髪、長くなったな」

 「そう?」

 「うん、かわいくなった」

 「そっか」


 それからはただ黙ってハルカの髪を梳かし、サイドを少し編み上げていく。


 「できたよ」

 「ありがとう、メグミ」


 後ろを向いたままのハルカにメグミは問いかける。


 「ハルカ。いま幸せ?」

 「うん、メグミが思うよりも」

 「そうか。よかったな」

 「ねえ。キスでもする?」

 「いいよ、やめとく。あいつらに怒られる」

 「もうできないかもよ?」

 「それはもったいないな」


 振り向くハルカにメグミが体を屈めて唇を当てる。ほんのわずかな短い間。すぐに顔が離れていく。


 「ハルカ、いまから泣くなよ。化粧が落ちる」

 「うん、泣かない。そう決めたから」

 「そうだな。それがいい」

 「もう行かなくちゃ。メグミ、またあとで」

 「ああ。あとでな」


 メグミはわかっていた。「あと」はないのはわかってる。推しは愛でるだけ。もう愛でるしかできない、遠くにいる人。それだけだ。




 「あ、いた。ミヤコー」

 「ハルカ、春川にかわいくしてもらった?」

 「ほら、どう?」

 「いいんじゃない」

 「そっか、それは良かった。くふふ」


 ふたりで校舎を歩いていく。廊下。空き教室。小さな休憩所。みんながいたそれぞれの場所。


 「もうこれで終わりなんだね」

 「しんみりしちゃダメだよ。私たちは旅立っていくんだから。わくわくしなきゃ」


 中庭にたどり着くと、桜の木が薄紅色の花びらを風に散らしていた。

 その中にふたりで立つと、ミヤコがハルカに声をかける。


 「今年の桜は早咲きなんだって」

 「花びらが舞って、きれいだね。吹雪みたい」

 「ハルカは絵的に似合いすぎだね」

 「なにそれ。ねえ、そうは思わないの?」

 「吹雪と思うより、ただの春風だと思いたいんだ」

 「そっか。そのほうがいいもんね。あったかいし」


 ふとハルカがミヤコに振り向く。


 「あれ、そういやアキトは?」

 「うーん、なんというか…。見る?」

 「え、どういうこと?」




 校舎の端で影になるところに、南里アキトと甘楽ジュンがいた。


 「南里先輩、予約していた物、もらえますか?」

 「それはいいんだが…。どうやってボタンを取るんだ?」

 「…あれ、意外と取れませんね。ひっぱってもなかなか…」

 「まあ、そうだろうなと思って。これ」

 「ハサミですか…、あいかわらず優しいんですね」

 「まあな」

 「否定してくださいよ」


 ハサミでチョッキン。ほつれた糸が絡んだボタンは、するりと取れてジュンの手に納まる。


 「これで終わりですね。先輩」

 「ああ、迷惑かけたな」

 「いい思い出にします」

 「そうだな」


 ハルカとミヤコが声をかける。


 「「アキト」」


 呼ばれたアキトが、ジュンから離れてミヤコ達のところに向かう。背を向けるアキトにジュンは心から叫ぶ。


 「先輩たち、卒業おめでとうございます!」


 外へ歩き出す3人。

 そのそばでこっそり見送っていた芝原チカが号泣していた。


 「これで、もう終わりなんだな…。えぐえぐ」


 いつのまにか横に来ていたメグミも泣き出した。


 「そうだよなあ。推しを失うのは、いつでも心に穴が開くなぁ…。さめざめ」

 「わかるぞー、春川。穴が開いてそっから心の汗が駄々洩れだー。おいおい」

 「わかってくれるかー、芝原ー。ぶわあ」


 そのふたりを見て、あきれたようにジュンがつぶやく。


 「どうせ、また会えるでしょ?」

 「「違うぞ、ジュン! 半日も一緒に同じ空間で過ごせるなんて、もうできないんだぞ!」」

 「そうかな…」




 川沿いの桜並木は見事に満開で、その舞い散る花びらの中をアキト、ミヤコ、ハルカの3人で歩いていた。ハルカが前を行き、それを見守るようにミヤコとアキトが並んで歩く。

 ふと思い出したようにミヤコが笑う。


 「ぷふー、アキトがうちの親に直談判したの、いまだに笑えるわ」

 「仕方がないだろ。お前との結婚を条件にあの部屋をご両親から借りれたんだから」

 「まあ男を見せたね。そう思うよ。お婿さん」

 「結局、全部は捨てられなかったな…」

 「みんなが幸せになろうとした結果だし、いいんじゃない」

 「そうかい」

 「そうだよ」


 ハルカが空から降ってくる雪をすくうように、舞い散る花びらをつかまえていた。

 ふいにアキトが言う。


 「ミヤコ、いろいろあったね」

 「あなたがそれを言う?」


 ハルカがミヤコに振り向いて言う。


 「いろいろあったんだよ、私たち」

 「そうだね」

 「ミヤコはいいの?」

 「まあ、良かったと思ってるよ」




 別所坂公園には1本だけ桜の古木があり、大きな枝ぶりをあたりに広げていた。その前に立つアキトとハルカ。自然と手をまわし、抱き合い、唇を重ねる。ミヤコはそれをなんとも言えずただ眺めていた。

 やがて2人がミヤコに手を伸ばす。


 「おいで、ミヤコ」

 「こっち来なよ、ミヤコ」


 そのふたつの手を握るミヤコ。引き寄せられて3人で抱きしめ合う。ミヤコは少し笑いながら軽く抗議した。


 「ちょっと。3人でキスするのはむずかしいでしょ」

 「いつもしてるよ?」

 「そうだけどさ」


 柔らかい唇の触感と温かさをふたりぶん感じながら、ミヤコは思う。フランス語で「ポリアムール」と言うらしい。こうなるとは思ってもみなかったけれど、こうなってしまうだろうというのはなんとなくわかっていたし、そうなった結果にはそれなりに満足している。たぶん、私は幸せなんだ。3人とも同じ大学に行けた。3人とも同じ部屋で暮らしてる。3人でこの幸せをこれからも続けていくんだろう。

 ハルカがふざけてアキトとミヤコをむぎゅむぎゅと抱きしめる。公園に楽し気な笑い声が響く。春風が舞う。何枚もの花びらといっしょにその声を青空へと旅出させていった。






その後のお話。



星野ミヤコ。

 アキトとハルカと3人で暮らし、大学生活を過ごす。大学卒業後、実家の稼業を強奪するように継ぎ、すぐにアキトと結婚。「ガイアの夜明け」に出演するぐらいには若手実業家として活躍。その後、1男を設けるが、どっちの子供かは内緒。自分の子供が始めて「お母さん」と喋ったとき、ハルカのほうを指差していて、結構なショックを受ける。



南里アキト。

 ミヤコとハルカと3人で暮らし、大学卒業後は両親の稼業とは関係のない小さな編集プロダクションに入る。その後、有言実行でミヤコと結婚するが、結婚式の際、こっそりハルカにもウエディングドレスを着させて、誰もいないところで3人の記念写真を撮る。その写真を握りしめて、人生のデコボコを乗り越えている。こうして苦労人の道へと進む。



兎賀ハルカ。

 ミヤコとアキトと3人で暮らし、大学進学後、無事サークルクラッシャーへ成長。就職しても職場クラッシャーに進化し、猛威を振るう。なかなか定職に恵まれないなか、ミヤコの子育てを手伝う。こちらの家庭は努力して壊さないようにしているが、「さて、この子の親はどっちかな?」という不穏な発言で波乱を引き起こす。

 お母さん業をしながら、物語を紡ぐ原作者としての道へ。メグミとは公私ともにずっと仲良し。デレデレっぷりにアキトたちをドキマギさせている。



烏丸スバル。

 大学卒業後、大手不動産会社へ就職。ミヤコの会社と因縁の対決をする。いいとこまで追い詰めるが、なかなか勝てずにいた。30歳にして、職場で知り合った8個下の男性を沼に引きずり込むようにして結婚。高校生活で培われた年下へのコンプレックスはずっと健在。



春川メグミ。

 なぜか芝原と意気投合し、大学在籍中に同性婚が可能な自治体で入籍。婚姻の弁は「これで食いっぱぐれることがなくなった」。創作はBLから百合へと転向。実体験をベースに、ハルカのたわごとを原作にした「つぶやきごと」など、百合やGLの名作を数多く世に出す。累計販売部数でやっと姉を越えることができた。



芝原チカ。

 なぜかメグミと意気投合し、大学在籍中に同性婚が可能な自治体で入籍。婚姻の弁は「いやー、人肌が恋しくて」。実家のお惣菜屋を継ぐが、フランチャイズ化などを画策。芝原が作る鶏もも焼きはメグミの好物。ミヤコからハルカやアキトのことを相談される構図はずっと変わらないが、メグミのおかげで笑って受け止められるようになった。



甘楽ジュン。

 追いかけて大学に入るが、芝原やアキトたちから遠のき、ボランティア活動などにせいを出す。それなりに芝原とメグミの結婚や、3人で暮らしているアキト達に思うところがあったようだ。総合商社に入ってコキ使われるなか、大学時代にいっしょにボランティアとして出会った男性と結婚。ごく普通に結婚し、ごく普通の家庭を築けた、この中で世間的にはいちばん偉い人になる。



- 終 -



推奨BGM

リリィ、さよなら。「ハルノユキ」



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