最終話 星野ミヤコ「それならそれしかないだろう」


 「アキト、時間」

 「わかった」


 結局昨日は心配して一晩中アキトの手を握ってた。その手を引いて、みんなが待っているその場所に向かった。街中を手をつないで二人で歩いていく。少し傾いた店先の飾りつけ、灯りが消えたクリスマスツリー、道端に残る紙屑。戯れを飲み明かした気だるげな朝が、この街を包んでいる。私たちはその中を縫うように歩き、朝の別所坂公園へたどり着いた。

 公園の階段を少しずつふたりで上っていく。上がりきったその場所。そこにみんながいた。

 烏丸先輩は黒いコートを寒そうに着こんでいる。

 ハルカはダッフルコートの上に巻いたマフラーを直している。

 春川までいる。少し曇るメガネを取り、ハンカチで拭いている。

 みんな揃った。みんな舞台に上がったんだ。



 朝日を背にアキトを見つめる4人。その交わらない影がアキトに伸びていく。陽光に照らしだされたアキトが話し始める。


 「昨日、ハルカと話しをしていたんだ」

 「おい、それじゃ…」


 私は抗議しようとした烏丸先輩を手で遮る。アキトが話し出す。


 「聞いてくれ。僕は…」

 「アキト、ダメだよ」

 「ハルカ…」

 「ミヤコと烏丸先輩をたいせつにして。そう言ったでしょ?」

 「違うんだ、ハルカ」

 「私には勝敗なんてどうでもよかった。こうやってみんなと男の争奪戦をしてたのが楽しかったんだ。他の女の子から女の子として認められた気がした。それだけでいい。だから私は負けでいい」


 私と烏丸先輩が顔を見合わせる。春川のメガネが光った気がした。ハルカは話をつまらなさそうに続ける。


 「みんなと私には境界線があるんだ。男と女、親友と恋人、普通とそれ以外。その間にある境界線。それを越えてしまえばみんな壊れてしまう境界線。だからね、アキト。ここで終わりにしよ」

 「聞いてくれハルカ」

 「何を? 旦那さん、お嫁さんと恋人が待って…」

 「聞けってんだよッ! ハルカッ!」


 普段怒らないアキトの怒声が静かな公園を震わす。


 「ここにみんなを呼んだのが、僕の覚悟だ。みんな捨てる。そう決めたんだ。ハルカに言われた通りだ。目をそらした。でも、いまは見ていたい。ふたりでどう世界が変わるのか」

 「そういうわがままを言うんじゃありません」


 ハルカが私たちを見ない。アキトだけをまっすぐ見つめている。

 私は何を見せられている…。ふたりの間に手を差し出そうとするが、それはもう届かない。


 「ハルカだって置いていかれたんだろ。好きな人に」

 「あれは…。置いていったというか…」

 「また、置いていくのか」


 ハルカが黙り込む。


 「お前の気持ちはどうなんだ。ずっとそのひとりぼっちの世界でいたいのか」


 アキトが叫ぶ。せいいっぱい届くようにハルカに叫ぶ。


 「自分の心か、みんなを選ぶのか、決めてくれ! 決めるんだ、ハルカ!!」


 アキトの手がハルカに伸びる。ハルカが私たちに振り向く。泣いていた。ハルカの頬を伝わる涙が朝日にきらめていた。

 あきらめたようにハルカがアキトへ振り向く。ハルカがゆっくり手を伸ばしていく。ダメだ。それはダメだ…。私はそう思うけど、それでも動けなかった。ふたりのことはずっと間近で見ていたから。


 「ずるいな…、もう…」


 ハルカの手がゆっくりとアキトの手を握る。ぎこちなく恐る恐る、そしてやさしく握る。アキトがそれを力強く握り返す。


 私はどうにもならなくてその場で膝をついた。

 最初にわめいたのは烏丸先輩だった。


 「はあ? なんで?」


 ふたりに烏丸先輩がにじり寄る。


 「そういうのは、小説とかマンガの中だけだよ。子供産めないんだよ? 兎賀は男なんだよ? 気持ち悪くだろ? おかしいじゃないか! 頭おかしいよ。普通じゃないよ! なんか言えよ、南里!」

 「烏丸先輩。おかしいかもしれない。普通じゃないかもしれない。でも、それは僕たちの気持ちには関係ないんだ」

 「はあ? はあああ? キスまでしたのに…。もうめちゃくちゃ…」


 烏丸先輩がポケットから何か重そうなものを取り出した。


 「お前みたいのがいるから…」


 私はそれが何なのか直感できた。


 「やめてェェェェェ!!!」


 私の叫びに烏丸先輩が動きを止める。

 その手には黒くて長い重そうな何かが握られていた。


 「私、惨めかよ…」


 烏丸先輩が腕を力なく下す。

 ハルカをかばっていたアキトが少し後ずさる。

 それを見ていた春川がつぶやく。


 「…さあやれ。見せろ。キスでもしろよ。やっちゃえよ。ほら、早く! あ、やべ、心の声が…」


 ゴッ。烏丸先輩が春川の腹を殴りつける。そのままうめいて崩れ落ちる。うずくまる春川を一瞥する烏丸先輩。


 「泣きながら言うな」


 烏丸先輩が歩いていく。私たちから去っていく。


 「さよなら、化け物ども」


 そのまま行ってしまう烏丸先輩の背中を私はただ見送っていた。

 それからだんだんと私の心の中に波が押し寄せた。


 終わったんだ…。私…。


 初めて会ったあの年、海に行ったな…。いっしょに浮輪で沖までいっちゃって。あのとき親にめっちゃ怒られたのをかばってくれたな…。

 帰りが遅いアキトの親に代わってご飯を作りだしたとき。あのときは最初は失敗が多かったけど、笑って食べてくれたっけ…。

 いつでもやさしかったな…。

 あ…。

 なんだこれ…。

 最悪の痛みってじわじわ追いかけてくるんだ…。

 あ…、あはは…。

 体がつぶれていく…、どんどん…どんどん…。

 誰かが近づく。見上げるとそこにハルカがいた。


 「…なに?」

 「ミヤコとアキトの関係まで壊したくなくないんだ。だから、まだそばにいてあげてね」


 それは憐れみの目だった。かわいそうと困ったが合わさったような。

 まったく気に入らない。なぜ私が…。

 でも…。

 その一筋の糸にすがらざるをえなかった。

 まだ、あの生活が続けられる。それならそれしかないだろう…。


 「いいわ」

 「ありがとう。よかった。アキトもずっと悩んでたから」


 ハルカが安心したように目を細めて微笑む。朝の光にそれが輝く。

 この余裕。選び愛されたものの余裕。しかしいつまで続くかな。私は短期戦から長期戦に変えただけだ。どこかでほころぶはず。そのときを待つ。何年も何十年も…。

 ハルカが私の手を取り、立ち上がらせる。


 「ミヤコ、見守っていてね」

 「…墓まで見届けてやるよ」

 「そうこなくっちゃ」


 ハルカはにっこりと笑う。


 「私、オトコノコだし」





推奨BGM

ねごと「黄昏のラプソディ」

ねごと「ALL RIGHT」



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次話はエピローグ! 1年ちょっと後。アキトやミヤコ、ハルカたちが高校を卒業します。みんな、どう変わったのでしょうか?

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