第24話 恋する人たちのクリスマス
春川家。エナジードリンクや資料で散らかったテーブル。そこに置かれたパソコンの前で、春川メグミの姉が画面をにらんでいる。
「タターンッ! はい、入稿!」
「ほんと?」
「ほんとだよー、メグミ。いま印刷所にデータ送った」
パンッ。メグミが買ってきたクラッカーが鳴る。
「ばんざーい! ギッリギリだったね」
「いやー、クリスマスだからって、印刷会社が早引けになるとはね。焦ったよ」
「連絡しといてよかったね」
「これでオフセット64ページの新刊が、来週のイベントに納品っと…」
「やれやれだぜ」
とあるキャラクタの真似をしていたメグミに、姉が腕を首に回して引き寄せる。
「で、クリスマスなんだけど?」
「ちょ、姉ちゃん、近いよ」
「いい人いないのぉ? メグミぃ?」
「そんなの…、まだ…」
「『恋人といるときのクリスマスって特別な気分に浸れて僕は好きです』みたいなのはないの?」
「いないってば」
「姉ちゃん、そんなに鈍感じゃないよ」
「ち、違うって、ハルカは友達なだけだって」
「自爆してるし」
「あ…」
「姉ちゃんの友達にもそういう子いるんだけどねー」
姉のいままでのおどけた表情が消えていく。
「つらいよね」
肩に手を置いたまま、姉の手がメグミの髪をやさしくなでていく。
「メグミはそういう恋をしたんだね」
「姉ちゃん、私は…」
急に振り向いて姉はメグミの手を取って向き合う。
「使えるチンポは使いなさい」
「はあ?」
「試してみればいいんじゃないの。気にせず」
「いや…」
「それもまた愛情だよ。一方的に押し付けるものさ、恋なんてものは」
「あの…」
突然、ふたりの後ろから声がした。あわてて振り向くと、そこには女物の服に着替えた、女にしか見えない男の娘、兎賀ハルカがいた。
「あ!」
「いたの忘れてた!」
「入稿に気を取られて、すっかり…」
ハルカは、すこしもじもじしながらおずおずと言う。
「その…、あんまり使えないかと思いますが…、なんとかする方法も…」
それを聞いたメグミが暴れ出す。
「がーっ! ハルカ、無理すんな! 姉ちゃんひどい!」
「ほらほら、くっついちゃいなー、もう!」
夜の帳が訪れた春川家に笑い声が響く。
南里家。玄関先で南里アキトが靴を履いている。それをエプロンで手を拭きながら星野ミヤコが見送っていた。
「アキト、遅くなる?」
「いや、そんなにかからないと思う」
「そう。ご飯用意しておくよ」
「ああ、頼むよ。さっきからおいしそうな匂いしてるし」
「いやー、作れるかなって思ったけど、意外とできるもんだね。鳥の丸焼き」
「楽しみにしているよ」
「うん、待ってて」
「…引き止めないのか」
「私は必ず戻ってくると信じてるから」
「ごめん」
「いいんだよ。今日はクリスマスだし。烏丸先輩と遊んできて」
アキトが体を引き寄せ、軽くキスをする。ふたりの体がゆっくり離れていく。
「いってらっしゃい」
ミヤコが小さく手を振る。
夜の街のイルミネーション。冷たい空気にたくさんの光があふれている。アキトは大勢の人の流れに身を任せながら、烏丸先輩との待ち合わせ場所に向かっていく。
歩いていく。
断るつもりだった。アキトは思っていた。烏丸先輩にそこまでされる資格が自分にはない。悪役にさらわれるにしてはその価値がない。ただ、歩きながら、烏丸先輩の話をどう断ればいいのか考えていた。
歩いていく。
唇に手を触れる。ミヤコには家がなくなることをまだ伝えていない。だからまだこの関係が続くと思い喜んでいる。あと数日でなくなるのに。
歩いていく。
幸せそうな街のなか、アキトの思いが募る。
寂しいな…。
ああ、寂しさで凍えそうだ。
人混みの中、足を止める。
スマホが震えていた。ハルカからだった。
「さようなら。お幸せに」
それだけだった。
ハルカ…。
スマホをぎゅっと強く握りしめ、祈るようにアキトは思う。
寂しいよ、ハルカ…。
お願いだよ…。ダメだよ…。いなくならないでくれよ…。
僕が好きだったのは本当は…。
アキトは気がついたように振り向く。
みんなを裏切る。でも、それでも、ハルカに会いたい…。
会わなきゃダメなんだ!
足を変え、人の流れとは逆へと歩き出す。
ハルカへ電話する。祈るように電話をかける。お願いだ、出てくれ…
歩いていく。
人にぶつかる。よろめきながら、スマホを投げ出さないようにしっかり握る。
歩いていく。
ようやく電話がつながる。
「どうしたアキト?」
「ハルカ! よかった。いまどこにいる?」
「えっと、メグミんちだけど…」
歩いていく。人の隙間をすり抜けていく。
「ハルカ、いまから会えないか?」
「え? これから?」
「すぐに会いたいんだ」
走り出す。押し寄せる人の流れがそれを阻む。
「ええ…。服を着替えないと…」
「服なんかどうでもいい。お願いだ。頼む」
走る。モミの木を飾った銀色のショーウィンドーが流れていく。
「まあ…。じゃあ、あの場所でいい? あそこだと人が少ないから」
「わかった。待ってる」
走る。人を掻き分け、ひたすらに走る。つまづきながら、ぶつかりながら。ハルカのいるところまで。
駅の改札の横で、マフラーを巻いた烏丸先輩が待っていた。はああ…と白い息を手に吹きかけつぶやく。
「寒いな…」
ミヤコはアキトの家でご飯を用意していた。
「今頃、雰囲気が良いとこ行ってるんだろうな…。まあ、いいや。私達は来年行けば」
どうせ先輩とはすぐ別れるだろう。先輩は卒業して学校からいなくなる。距離が遠のけば自然と…。
ミヤコはひたすらそう言って自分をだましていた。
川沿いにある古くて小さなショッピングモール。その2階にある暗いベランダにダッフルコートを着込んだハルカがいた。息を切らしたアキトを見ると、たくさんの灯りで瞬く街のほうを眺める。
「きれいだね。まるであのとき見た天の川みたい」
「ハルカ…、呼び出して悪い」
アキトがハルカを抱きしめる。ハルカは顔を少し背けて、されるがままにされている。アキトはそれを見て想いが通じるように願いながら強く抱きしめる。
「嫌だったら言ってくれ」
アキトの唇がハルカの唇に重ねる。ゆっくり確かめるように唇を合わせる。ようやく安心したアキトが少し離す。
「いなくならないでくれ」
今度はハルカのほうからアキトの唇を吸う。アキトに安堵した温かさが広がっていく。唾液を絡ませながら、ハルカが言う。
「アキト、それ最低の告白」
ハルカが目を細めて微笑む。
「…でも、好きだよ」
ふたりが求めあうように唇を交わす。何度でも、お互いの気持ちを確かめるように何度でも。激しく唇を吸いあいながら、いままでの想いをぶつけ合う。助けられてうれしかったこと、本の感想を楽しく言いあったこと、ハルカの想いを伝えたあの日、いっしょの寂しさをふたりで抱えた、あの日のこと…。
ん…。んく…。
吐息が漏れていく。光り輝く聖夜の街にせつなげに音が響く。
ふいに体を離すハルカ。アキトが憔悴した顔に変わっていく。
「ハルカ…」
「越えちゃったね。境界線」
「置いていかないでくれ」
「置いていかれることを望んだあなたがそういうの?」
「頼む…」
ほやけた街のイルミネーションを後ろにハルカは言う。
「ねえ。こんなんだけど私は体は男なんだ。それがわかる?」
「うん…」
「ご両親にはなんて話すの? 友達には?」
「…」
「ミヤコも烏丸先輩もメグミも芝原さんも、親も友達も生活も世間体も、みんな全部捨てられるの?」
「…」
「目をそらすんだね」
「違う!違う…」
「ちゃんと見て」
「僕は…」
「いつかアキトが話してたミヤコがいない世界へ、私が連れてくと思う?」
「それは…」
「ねえ、アキト。君は君の世界にいるべきなんだ。私とこれ以上付き合っちゃいけないんだよ…」
芝崎家。そのお惣菜の店は、クリスマスの名物になっている鶏もも焼きを買い求める人であふれていた。芝原チカは注文を受けた品物を次々と包装していた。
「チカ姉ちゃん、もらってきたよー」
「ジュン、悪いね。家の手伝いまでさせて」
「大丈夫だよ」
持ってきたトレーを置くと甘楽ジュンは、チカに諭すように言う。
「だって今日はクリスマスなんだよ、みんなが神様に許される日なんだから。誰も悪くないよ。誰も」
アキトが自宅に帰る。玄関の扉を開くと、ミヤコが出迎えに来た。
「おかえり」
「ただいま」
「早かったね。ご飯用意できてるよ」
アキトはそのまま食卓のテーブルに座る。そのままむしゃりと鶏肉にかぶりつく。
「デートどうだった?」
「すっぽかした」
「は?」
様子がおかしいアキトにミヤコが声をかける。
「…どうしたの?」
「あったかい…。おいしいな…。僕はどうしたらいいんだろうか…」
アキトは食べながら泣きだした。ひと口食べては頬から滴をぽたりと落とす。
「…明日の朝、烏丸先輩やハルカと話がしたい。ミヤコも来てくれるか?」
「いいけど…」
心配したミヤコが、アキトをそっと抱きしめる。
明日の朝、みんな決まる。みんな終わる。
推奨BGM
坂本真綾「30minutes night flight」
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次話は最終話! アキトが下す選択とは…。
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