第21話 星野ミヤコ「美味こそ我が王道なり」


 夏休み明けの学校では、アキトと烏丸先輩のことが、クラスの女子たちの噂になってた。夏休み中に仲良く並んで歩いていたり、ファミレスとかでいっしょにご飯を食べたりしている姿が、よく目撃されていたらしい。そんなに仲良くない女子からも、面白がってこんなことを聞かれるようになった。


 「ねー、嫁ー、いいの? あれ? 旦那と烏丸先輩がいい感じだよ」

 「いいの、いいの。長続きしないから、どうせ」

 「余裕だねえ。でも、どうにかなっちゃうかもよ?」

 「どうにかって…」


 こいつらはわかっていない。もっとも危険なのはハルカのほうだ。いまはアキトの意識がそこから離れられているぶん、まだ安心できる。

 でも…。

 どんどん不安になる。体中が黒い沼から伸びる手に捕まえられる。私は身動きひとつできず、ずぶずぶと沼の底に沈んでいく。そんな気分に染まっていく。

 私は耐えられなくなると、アキトを探した。たぶんいまの私はゾンビか何か。アキトを襲いたくてたまらない。ああ、こんなとこにいたんだ。文芸部の部室にいるのを見つけたよ。私は嬉しげに声をかける。


 「アキト」

 「うん、どうした?」

 「ごめん」


 本がバサバサと崩れるのを気にせず、座っているアキトを押し倒す。そのままアキトに覆うように抱きつく。目を細めて、うっとりした顔でお願いする。


 「上書きさせて」

 「また?」

 「うん」

 「ミヤ…」


 アキトにその先を言わせないように私の口ですぐにふさぐ。アキトの髪を優しく撫でながらアキトの中に舌を入れていく。アキトは諦めたように力を抜き、私のそれを受け入れた。お互いの舌がこすれ絡みあうと鮮烈な快感が寄せてくる。

 んっ…。く…。

 せつなげな吐息がいやらしい水の音に混ざっていく。このまま、もっとも…。その先まで…。私とアキトとだけで、その先へ…。

 ふいにアキトが遠のく。私はアキトを見ることができず、顔を伏せて言う。


 「…アキト、もっと気持ちよくして」

 「ダメだよ」

 「私だからダメなの? 烏丸先輩ならいいの? ハルカなら…」

 「ミヤコ」

 「…ごめん」


 近づけば近づこうとするほどずっと苦しくなる。

 あれだけたくさんの時間をいっしょに過ごしても、あれだけたくさんの気持ちを伝えても、アキトは私を置き去りにして、どこか遠くへ行こうとしている。

 重ならない影。交わらない気持ち。触れ合うだけの体。

 もう、どうにもならないのかな。

 散らばる本たちに囲まれながら、私は自分の気持ちを押し付けるようにアキトの体を強く抱きしめていた。




 廊下を歩いていたら、ばったり芝原に出会った。


 「にゃー」

 「芝原。こら、めっちゃ抱きつくな」

 「寂しいにゃー、かまってほしいにゃー」

 「あれからやたらとひっつきすぎ」

 「くんかくんか。これは南里の匂いかにゃー」

 「…」

 「当たり?」

 「うん…」

 「あ、なんか、ごめん」

 「いや…」

 「姫、どうしたの? 元気ないぞ」

 「イライラするし、不安でつぶされそうだし、どうしたら…、ってとこ」

 「なんか考えようよ」

 「何を?」

 「謀略を」


 芝原が背中から密着してきて、顔を近づけて耳元でささやく。


 「相手をギタギタのバッタンにしてギャフンと言わせるような」

 「芝原、そういうのはなかなか…」

 「大丈夫、姫。いい考えがあるんだ」




 教室では春川が壇上で熱弁を奮っていた。こいつがこういうふうにやる気になっているのは、どう考えてもハルカのためだろうな。


 「えー、では、来月の文化祭で出展するクラスの模擬店について、皆さんのご意見をまとめました! はい、どん!」


 黒板には出し物とその得票数が書かれていた。


 「メイド喫茶とクレープ屋が同票なので、ここはどちらかに決めるために…」


 これは何か仕込んでいるな。どうせハルカにメイド服でも着させたいのだろう。そんなイベントには飽き飽きだが…。

 そう思っていたら、芝原が仕掛けてきた。


 「はいはーい!」

 「はい、芝原さん!」

 「両方やればいいと思います!」

 「はい?」

 「競う合うんです。食戟とか味勝負とか、そんな感じで。クラスを分けて戦いましょうー! お客さんも喜びますよ?」

 「いや、それでは予算が…」


 なるほど、ここは私が立ち上がるべきだな。


 「春川、私は立つぞ。どうかな、みんな?」


 おー!!という雄たけびが上がる。


 「どうする春川。私は楽しくなってきたんだが?」

 「星野。お前、そんなに泣かされたいかァ!」


 にらみ合う私たちの間に芝原が割り込む。


 「じゃ、こうするね。星野派、春川派にクラスを二分して、それぞれの出店物を教室内に出す。勝敗は売上でのみ行う」

 「いいだろう。ただし出展内容は、各自で再度決めさせてもらう。両方とも食品でいいな?」

 「ああ。受けて立つぞ、春川」

 「ほえづらかくなよ、星野」


 盛り上がるオーディエンス。こうしてクラスを二分した戦いの火蓋は切られた。




 当日。学園祭が始まる1時間前。仕込みに仕込んだものをお互いに見せるときがやってきた。まずは春川が白い布の覆いをえいやっとめくった。


 「鉄板…?」

 「お前のスーパー嫁っぷりでは、味については到底敵うまい。で、あれば…」


 アキトがキャベツと小麦粉を持ってきた。


 「材料はこれでいいのか?」

 「ああ、特別なことは何もしていない。スーパーでみんな買えるものだ。レシピもごく一般的なものでよい」

 「ふーん、まあ普通だな…」

 「ああ、私はそれ以外のところで有利に立つ」


 春川班がやたら手際よくキャベツを刻み、ほかの材料を混ぜて、熱くした鉄板に流していく。両面を焼いたら四角にコテで切って、とろっとしたソースを塗る。かつおぶしと青のりをパラパラとかければ、お好み焼きのいい匂いが漂ってきた。星野が焼きあがったものをひとつ皿に載せて言う。


 「たこ焼きと違って丸くする技量もいらない。大きな鉄板で大量に作れることができる。とても売りやすい。何よりこの匂いだ…。この香ばしく焦げるソースの匂いに抗えるツワモノなどおらぬ…」


 春川が箸と一緒にお好み焼きを私に渡す。パチン。割り箸を割って、ホカホカのそれをいただく。


 「まあ味は普通においしいけど…」

 「ふふ。私には奥の手がある。売り子という奥の手が!」

 「なんだ。やはりか春川。見えていたぞ、その薄汚い魂胆を」

 「はっはっは。これを見ても薄汚いと? かもーん!」


 教室の扉がガラガラと空く。

 あ…。なんだと。


 「メグミぃ、これちょっと恥ずかしい…」


 一目見たクラスメイトたちが、くううう!という心をつかまれた声をあげていく。


 「バニーだと!!」

 「どうだ、星野。すごいだろ」

 「くっ…」

 「食い込むよぉ、メグミぃ」

 「いいか兎賀、お前の名前に兎があるのは、この日のためにご先祖様が心をこめて用意したんだ。ええい、胸を張れ!」

 「いや、胸もちょっとスカスカなんだけど…」


 ハルカはだいじなところを手で押さえて、ひたすらもじもじしている。そのたびに頭についた兎の耳とお尻のしっぽが揺れる。異次元の可愛さ、とはこのことか。


 「バカな…。ここは定番のメイド服では…」

 「はっはっは、その慢心、それがうぬの奈落への一歩よォ! このバニーボーイの破壊力に、頭を垂れてひれ伏すがいい!」

 「くっ…。確かにお前のような女がいつか天下を取るやもしれぬ。しかし…。こちらを見て、まだそのような戯言を言えるかな?」


 私は満を持して、我が星野班の白いベールを取る。


 「ふふん」

 「な、なんだと。たい焼き…。バカな。シンプルすぎて美味いも何も…」

 「ほれ」


 試しに焼いていたのをひとつ春川に渡す。


 「ふん、たかがたい焼きひとつ…。はむっ」


 春川の顔がみるみる変わっていく。


 「…なんだこれは。めちゃくちゃ後を引く…。皮は薄め、パリパリとしたはじっこの触感がアクセントとしての最高の位置付けになっている。そしてその薄皮に包まれるこのあんこ…。甘さはやや控えめ。持つとずっしりとしているが食べると妙に軽く感じる。これなら何個でもいけそうだ。何より…。口に含むたびに唾液があふれ出す。もっとくれと轟き叫ぶ…」

 「種明かしだ。小豆は京都の丹波大納言小豆をさらに選別したもの、皮の小麦粉は、小麦の風味が豊かな北海道江別産「はるゆたか」。砂糖は香川の和三盆。これらの配合や作り方については、たい焼きの老舗、麻布浪花屋さんにアドバイスを受けた」

 「なんだ、その化け物は…」

 「はっはっは。どうだ春川ァ。美味こそ我が王道なり。こざかしい真似をせずとも圧倒的な力で引き裂いてくれるわッ!」


 芝原が私たちの間に入り、とぼけた声で宣言する。


 「はいはいー! そろそろ時間だよぉ!」




 午前中はぽつぽつと人がやってくるぐらいだった。たまに知った顔とあったら軽く話すぐらいには余裕があった。たい焼きの鉄板の火加減を調整していたとき、烏丸先輩がやってきた。


 「よっ」

 「烏丸先輩、いいとこに!」

 「なかなかいい匂いじゃないか。階段まで漂っていたぞ」

 「「ぜひ、ご試食を!」」

 「お、いいのか」


 最初はお好み焼きをひと口ぱくり。次にたい焼きをがぶり。

 頭を少しかしげながら、もぐもぐとさせている。それを飲み込むとこう言った。


 「まずいな、これは…」

 「「え?」」

 「甘いのしょっぱいの、これでは永遠に食べれてしまうぞ! 食の永久機関だ!」


 なんだ、よかった…。烏丸先輩がアホの子でよかった。




 昼頃には人が多くなってきた。班の人間を交代で休ませて、これからに備える。

 教室の外では、バニー姿のハルカが廊下の真ん中に立って、客引きをしていた。通りすぎる人の袖をちょこんと引っ張り、少し上目遣いでこう言う。


 「…買ってくれる?」


 はうううっ。心の悲鳴がたちまちあがる。これに逆らえる人はまずいない。言葉的にちょっと勘違いした人も出たが、まあいい。

 その様子を見ていたところに、腕組みをした春川がやってきて私をあおる。


 「どうだ。兎賀の無駄な色気は、こうして使うのが上策…。しかも奴なら男女ともにひっかかる。ゆえに無駄なく最大効率で人を呼ぶ込む。どんなに良いものでも買い手にリーチする手段がなければ、勝敗は負けに傾く。これをどうするんだ、星野」


 私は黙ってスマホの画面を春川に見せた。


 「なぜトレンドに…。そうか、口コミ…。それだけでこんなに客が来るのか?」

 「言ったろう。私は策を講じず王道で勝つと。これこそが我が最大の上策なり」


 ふふふ。ここはまだ痛み分けといったところか。




 昼を過ぎても人があふれるように入ってくる。教室にみっちり人が充填されてきて、酸欠になりそうだ。春川はそんな中でも元気だ。班の人たちの働きをひたすら鼓舞している。


 「さあ焼け、どんどん焼け」

 「春川さん、材料切れそう」

 「南里、近くのスーパーで買ってきてくれるかな」

 「ああ、いいよ」


 春川が静かに笑いだす。


 「はは、あはは、ふっははははは! 勝った、勝ったぞ。勝利を確信したぞ!」

 「なに?」

 「兵站を整えるのが軍師の最大の職務。ゆえにこちらは近所のスーパーで買える物でそろえたのだ。材料が足りなくなったらいつでも補充できる。さあ、そんな特殊な材料で、どこまで耐えられるか見ものだな、星野」


 教室に業者の人が台車を引いて入ってきた。


 「こんちわー、宅配ですー。小麦粉こちらでいいっすかー?」


 私は腰に手を当て、春川を見ながらほくそ笑む。


 「なあ、兵站を整えるのは戦いにおける基本の一歩ではないか? そうだよなあ、春川」

 「クソっ…」


 あはは。なんだこれ、楽しくなってきた。




 祭りの終わりを告げる放送とともに、戦いは幕を閉じた。夕闇のなか、砲弾の雨をかいくぐった新兵のごとく、教室内は疲れて倒れ込んだクラスメイトで死屍累々になっていた。

 私たちはそんな教室の真ん中にひとつの机をボンと置いた。その上にそれぞれの売上をどかりと出し、2人で金額を数えていった。


 「ひーふーみー…。は? ぴったり1円まで同額だと…」

 「なん…だと…」


 お互いもう一度数え直しても結果はいっしょ。あれだけ戦ったのに、結果がこれとは…。春川もぐったりうなだれている。


 「両方勝ちだね!」


 机の横で勝敗を見守っていたハルカがうれしそうにバニー耳をぴょこぴょこさせて言う。


 「そうだな、お互いの勝ちだな」


 ちょっと笑う春川。

 まあいい。そういうことにしておこう。




 廊下をこっそり逃げていくその人に私は声をかける。


 「芝原」

 「あはは、バレたか」

 「売り上げ足したな?」

 「よくわかったね」

 「売り上げ個数は別に数えてたから」

 「ああ、なるほどね。まあ、少し私がごまかしたけれど、それでよかったでしょ?」

 「まあ。どちらかに勝敗をつけたら、あのままではすまなかったと思う。たぶんあんなふうに春川と笑い合うなんて無理だ」

 「世の中には勝ち負けをつけちゃいけないこともあるんだよ」


 芝原が私の両方のほっぺたをむにっとつまむ。


 「いまの表情、とてもいいよ。イライラすんの止まったでしょ」


 しばらくむにむにとしていたが、満足したのかその手を外す。ようやくしゃべれるようになった私は芝原に感謝しながら言う。


 「まあ…、そうだな。楽しかったよ」

 「ね。王子様の私はちゃんと姫を守ったよ。あの黒い泥沼から」


 芝原が真顔になる。


 「だから、幸せにならなきゃダメだ。ミヤコ」


 私はあきらめたように芝原に笑いかける。


 「わかったよ。そうする」


 しっかりしなきゃ。しっかり戦わなきゃ。せいいっぱい。あいつらのために。





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次話は星野ミヤコへめずらしく兎賀ハルカが相談します! ハルカがほかの男に告白される様子を見てアキトは…。

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