第20話 芝原チカ「ほんとわめきたくなる」


 どうせ私は好きな人が使ってたストローを集めるような、頭のおかしい女だよ、私は…。

 白いストローがたくさん入ったビニール袋を机の引き出しに入れ、そっと閉じる。自分の気持ちといっしょに。

 振り返ればごく庶民な六畳間。少し擦り切れた畳に、傷が目立つ濃茶のタンス。ここで幼いミヤコと遊んだあの日のことを今も思い出す。大人たちに連れてこられたこの子を見て、なんとかしなきゃと思って私は声をかけたんだ。


 「遊ぶ?」

 「ううん、おとなしくしてる」

 「なんで?」

 「そう言われたから」

 「へんなの。遊ぼうよ。あんたへんだからザボエラね。私ヒュンケル」

 「それやだ。私、姫だし。あんた私より背が高いから王子様ね」

 「ええー、私がやだ」

 「だめだよ、王子様なんだから。私のことちゃんと守ってよね」


 ドヤって強気に言う彼女に、私はなんだか面白い奴だなと思った。それからは姫と王子はふたりだけの呼び名になった。




 ミヤコのご両親が不仲になったとき、見かねたうちの親が一時的に幼いミヤコを預かることを申し出た。「親族に痴態をさらすよりは」という打算のもと、ミヤコはわずかな間、うちで寝泊まりすることになった。このとき、ミヤコは初めて幸せな家庭というものに触れた。南里の家でご飯を作ることに固執するのは「どんなに苦しいときでもご飯を一緒に食べれば家族幸せ」という我が家の家訓を守ってのことだ。だから、ああなっているのは半分は我が家のせいだ。もう半分は私のせい。

 ミヤコの両親たちが和解し、生活が元に戻り始めたときに南里がやってきた。付き合いだすようになったミヤコたちを、私はただ遠巻きに見ていた。南里とのことを毎日うれしそうに話すミヤコに、私は少しずつ落ちていった。このまま姫をアレに取られるぐらいなら…。放課後の教室、南里と2人きりになったとき、そんな気持ちなんかないくせにうっかり喋ってしまったのだ。


 「ミヤコより私のほうがたぶんいいよ」


 南里はすごく困った顔をしていた。私も困った。ミヤコになんて怒られるか。翌朝、登校するとき、ミヤコが私をビルの陰に引っ張ってこう言った。


 「お願い芝原、私から彼を取らないで…。お願いだから…」


 泣いていた。彼女は容赦なく敵に剣をふるう姫騎士ではなく、ただひたすら敵にしがみついて懇願することしかできない哀れなお姫様だったのだ。

 取られることの苦しみを教えてしまったのはこの私だ。あんな目にまたあわないように、姫はいつも謀略を巡らせるようになった。それからは私は後ろに回ることにした。ミヤコの後ろで温かく見守る係。王子様になれない王子様。それでよかった。




 ジュンが「夏休みの宿題がピンチ」というので、うちで勉強を見てあげることにした。ちゃぶ台を隣の部屋から持ってきて広げる。ノートと教科書を前にうんうんうなっているジュンを背中から抱きしめて、二人羽織のようにして答えを教えていく。5ページぶんの課題を片したあと、ふとジュンのペンが止まった。


 「ねえチカ姉ちゃん。奥多摩にみんなで遊びに行ったの楽しかったね」

 「復讐は遂げられた?」

 「まだ、ぜんぜん。南里先輩にぶつけるの、20連発の花火じゃなくて5寸玉にすればよかった」

 「あはは。死んじゃうよそれ」


 ジュンが風船がしぼむように押し黙る。見かねて声をかける。


 「まだ、だめ?」

 「うん」

 「失恋なんてそのうち癒えるさ。時間が経てば」

 「いつまでかかるんだろ」

 「どうだろうね。いつまでかな」

 「ねえ、チカ姉ちゃん」

 「なんだい?」

 「どうして私に怒らないの? あんなに南里先輩のことは止めとけって言ってたのに、私はそれを守らなかったんだよ」

 「そうだね…。私はジュンが好きだからかな。たぶん何をしても許すよ」

 「親友の旦那を寝取っても?」

 「ははは、それは困るね」

 「どうしてそんなに南里先輩たちのことを…」

 「私にとってたいせつな人たちなんだ。だから、ダメ」

 「そっか…」


 ジュンがよくわからない感じでいる。私はジュンを包んでいる腕を少しぎゅっとさせる。


 「ねえジュン。お姉ちゃんが女の人が好きな女の人だったらどうする?」

 「え? うーん。キモって言う。でも手は離さない」

 「そっかー。そうだよね。ジュンはいい子だな…」


 ジュンの頭をほおずりする。そのかわいらしい匂いを嗅ぎながら、どうにもならないこの感情を私はむなしく眺めていた。




 さて寝ようかというときにスマホへ連絡が来た。ミヤコは動揺していた。あのバカはうっかり話したらしい。烏丸先輩とキスするぐらいまで仲が進展したことを。せっかく黙っていたのに、これでは黙り損だ。話を聞いた私はすぐ返事をした。


 「いまからそっち行くよ」


 私の姫は泣き虫だった。一生懸命策を弄してそれに一喜一憂してまた…と繰り返し、そのたびに傷ついてボロボロになる。そして、私にしか泣き顔を見せない。ほかの誰にも見せたことがない本当の泣き顔。王子様のはずの私は、ただそれを見守るだけ。それしかできない無能な王子様。そのことはちょっとだけ悔しい。

 家族を起こさないよう、こっそり家を出て自転車にまたがる。颯爽と漕ぎだし、夜の道をヘッドライトの光で切りつけながら走っていく。待ってろよ姫ー。




 「ありがとう芝原。少し話したら落ち着いた」

 「いいってことよ。適当にな」

 「そこまで送っていくよ」


 ミヤコの家から外に出ると、夜中なのに夏のねっとりとした湿気が体を包みこんでいく。帰りは自転車を押しながら川沿いの道を歩いていった。春になると満開の桜が咲くこの道は、夏の夜は人気がほとんどなく、さらさらとした川の流れだけが聞こえている。

 隣で一緒に歩いてたミヤコがぽつりと言う。


 「人が人を好きになるのってなんだろうね」

 「どうしたんだよ。らしくないよ姫」

 「もうだめかな?」

 「だめだね、って言われたい?」

 「うーん、違うかも」

 「なら、それでいいんじゃない? だって、大好きなんでしょ?」

 「うん…。なんとかなるのかな」

 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。適当でいいんだよ。そんなの」

 「芝原は適当すぎるぞ」

 「適当じゃなきゃやっていけないんだ」

 「芝原?」

 「好きな人の幸せを願うのは、結構苦しいんだよ。私じゃない誰かを好きになるのを見せられていると、ほんとわめきたくなる。私に振り向いちゃダメな人なら、とくにね」


 私は自転車を引っ張って歩き続ける。それを見送るようにミヤコが立ち止まる。


 「それって…、私のこと?」


 あーあ、やっちゃった。仕方ないや。

 私はミヤコに振り向いて、少し笑って言う。


 「ねえ、公園でちょっと話さない?」




 夜の別所坂公園はとても好きだ。夜景が海のように感じるから。バラバラと立つ黒いビルたちは大きな波のようで、きらめく小さな灯りたちは飛び散るしぶきのように見える。そんな中にあるベンチにふたりで座った。しばらく話さなかった。たぶんミヤコはいつものようにいろいろ考えていたのだろう。私はそれがまとまるまでただ待った。やがてミヤコが口を開いた。


 「いつからなの?」

 「そんなこと聞く?」

 「いや…」

 「女の子が好きな女の子って、そんなに不思議なものじゃないよ。結構いるし」

 「それは…。そうだけどさ…」

 「まあ、びっくりするのはわかる。私もそんな自分に気が付いたときにびっくりしたから」

 「びっくりしたんだ」

 「まあでも、そうかなと思った。私はたぶんミヤコの本当の王子様になりたかったんだ」

 「そっか…」

 「いろいろあったね。お互い傷つけあって救われて。ほんとボロボロ。まるで魔王討伐の冒険にふたりでずっと出てた気分だよ」

 「ごめん、芝原」

 「何が? 何に謝ってるの?」

 「ごめん…、ほんとごめん…」


 ミヤコは手をぎゅっと握り、何かに耐えるように泣き出した。瞳からあふれた雫がぽたりぽたりと落ちていく。ああ、かわいいな。こんななさけなくてどうしようもない私のために泣いてくれるなんて。


 「全部ごめん…。私は本当に…バカだ…」


 私はミヤコの頭をそっとなでる。


 「いいんだよ泣き虫の姫。王子様はいつでもその涙を拭いてあげるから。ずっと見ててあげる」


 なでていた私の手をひったくるようにミヤコはつかむ。抱きかかえるように握りしめて、泣きながら怒りだした。


 「こんなんどうしろっていうのよ。わけわかんないよ!」

 「私だってわかんないよ。ほんとわかんない!」

 「こんなの知って、どうやって生きればいいのよ!」

 「知らないよ!」

 「なんなのこれ」

 「やだ、もうやだ」

 「泣く。いまからたくさん泣いてやる!」

 「私のほうがたくさん泣けるんだから!」


 ふえええん。


 「芝原、大好き」


 ふえええん。


 「私もミヤコが大好き」



 泣きはらした目に朝日はちょっと痛い。私とミヤコはベンチに座ったまま、少しずつ陽の光に照らし出されていく街をずっと眺めていた。ふたりは手をつないでいた。固く固く、その手をただずっと握りしめていた。ミヤコがぼうっとしたまま言う。


 「どうしようか、これから…」

 「いっしょにご飯食べて、遊んで、話をして…」

 「それって…。いままでどおりってこと?」

 「ああ、そっか。いま、わかったよ。うん、それでいい。ミヤコ、私はそれがいい」

 「そっか」


 ミヤコが手を離す。立ち上がってから、その手を私に伸ばす。


 「芝原、帰ろっか」


 私はちょっと迷ったけど、その手をつかんだ。ミヤコが引っ張りあげるようにして私を立ち上がらせる。その手をもっと強く引き、私たちはやさしく抱き合う。ああ、あったかいな。ミヤコはいい匂いだな。いつまでもずっとそうなんだろうな…。そうであってほしいな…。私の気持ちなんてどうでもいい。ほんとどうでもいい。もう伝わらなくていい。幸せでいて、ミヤコ。お願いだから…。また泣きそうになる。


 「私、幸せだよ。芝原」

 「そうだね。私もそうなんだろうな」


 おでこをそっと当てる。それから、ふたりでちょっとだけ笑う。キスはしない。それはあの人のためのものだから。柔らかい朝日が私たちをただやさしく包み込んでいた。




 家に帰ってまずやったことは、引き出しからストローの束を取り出し、ゴミ箱に叩き込んだことだった。ありがとうと言いながら。

 それからジュンにミヤコの代わりをさせてごめんと謝ろうと思った。ジュンはいいやつだから泣いたり怒ったりするのだろう。でももう私の願いは叶ったのだから仕方がない。

 部屋の下が開店準備で少し騒がしくなってきた。今日も雲ひとつない青空だ。


 「いい天気だなー」


 これからどんどん暑くなるんだろうな。明日から学校か。まあ、いいっか。ミヤコに会えるし。私はいつもそんな女だ。




推奨BGM

鹿乃「聴いて」




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次話は文化祭回! 星野ミヤコと春川メグミがガチンコ対決です!

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