第19話 烏丸スバル「ああ、そんなもんだよ」



 横浜、港の見える丘公園。

 その展望台にかけられた、日よけというには大きな屋根を支える柱に寄りかかり、私と南里は目の前の海を眺めていた。右には大きなつり橋が港を横切り、左には大きな高層ビル、遠くには白くて大きな風車が見える。夏の日差しをきらきらと反射する海には、色とりどりの大きなタンカーが行き交っている。誰かがなくした白いハンカチがひらりと風に舞う。

 登ってきたときは暑くてたまらなかったが、ここには涼しい風が流れていた。だいぶ気持ちがいい。このままずっといたい。私と同じように海を見つめている南里がそばにいる。そうだな、ずっといたいな。


 「ここはいいですね、烏丸先輩」

 「そうだな」

 「先輩にいろいろなところに連れてこられましたが、ここはなかなかに格別だ」

 「最近ちょっと思ったんだ。男に連れまわされるより、自分で連れまわしたほうが楽しいなって」

 「それは良かったですね。いまは楽しいですか?」

 「ああ、楽しいよ。デートって、こういうものだな」

 「ふたりで共有する経験や感情を積み重ねることで、より親密になる、みたいな話ですか?」

 「お前たちはほんと似てるな。そうやって理屈をこねるとことか」

 「烏丸先輩、ふたりだけのデート中にミヤコを出してくるのは、いかがなものかと思いますよ」

 「そうだな…」


 私は南里の手を握る。


 「悪かったよ」


 南里が返事の代わりに手を握り返す。




 横浜市イギリス館。

 このたそがれた建物の中をさまようにふたりは歩く。食卓があるダイニングに出たとき、私は思わず聞いてしまった。


 「家ではどう過ごしているんだ?」

 「先輩、言ってるそばから」

 「好きな男がどんな生活しているのか、知りたいのは当たり前だろ?」

 「そうですね…。ミヤコとご飯を食べたあとは、いっしょにテレビ見たりとかゲームしたり。あ、意外とミヤコは対戦格闘が強いですよ。帰ったあとはひたすら本を読んでますね…」

 「それは面白いのか?」

 「面白いも何も。それが生活では?」

 「そうかな。メリハリがあってこそだと思うぞ」

 「毎日ジェットコースターに乗ってるわけにはいきませんよ」

 「楽しいかもしれんぞ、ジェットコースター」

 「どちらかというと乗り飽きたんですよ、僕らは」

 「枯れてるな」

 「そうでもないですが」

 「変な意味か?」

 「変な意味です」

 「へえ」

 「あ、勘違いしないでください。僕らは高校卒業まではこのままと約束していますから」

 「私がとやかく言う立場にないが、不思議に思うな」

 「そうですね。これは飼育員を気取る大人たちへのささやかな抵抗なんですよ。思い通りになるもんか、という」

 「若いな」

 「若いですよ。だって、なんの支えもありませんから」

 「いまはな」

 「そうですね。いつかは」


 古い椅子に座る私と南里、そこから先の未来にある食卓の風景を思い描いたら、せつなくはかなげに消えていった。




 横浜元町商店街。

 高級なバッグや服を飾っているショーウィンドたちから離れて、その奥へ歩いていく。ぶらぶらと裏道を進むと、角がガラス張りになっているパン屋さんがあった。なんとなく面白そうに思って入る。入口の横にあったトレーを持ち、飾られているいろいろなパンたちをふたりで見ていく。


 「烏丸先輩、ここ有名らしいですよ」

 「おい、そのパンの量、多くないか?」

 「おみやげです。置いとくと朝用にサンドイッチになったりしますから」

 「お前な、よその女とデートしたときのおみやげなんて、どう思うかわからんのか? そういうことしていると嫌われるぞ」

 「もう嫌われましたよ」

 「ほらみろ」

 「それでもいっしょに生活しているというのは何なんですかね」

 「大好きなんだろうな。そんなのことが些細なぐらい」

 「そうなんですか。僕にはわからないな」

 「私なら相手が勝手にあきらめてくれる」

 「それはまた」

 「嫌われるより、あきらめられるほうがつらいもんさ」

 「先輩はミヤコがいるからあきらめるんですか?」

 「いまは勝てる気はしないな。私なら、よその女とデートしてきたときのお土産なんか、お前に叩きつけるだろうし」

 「あはは。正直ですね、先輩。そんなところが大好きですよ」

 「そうか」


 南里に気が付かれないように、握っているトングを小さくカチカチと鳴らして、攻撃してやった。




 赤レンガ倉庫。

 古い倉庫を改造したその中には、人があふれていた。蒸し暑くて不快だった。避けるように逃げ込んだアクセサリーショップ。たくさんのピアスやネックレスが飾り棚に押し込められている。私がその中にあった赤いピアスを手に取ると、南里は小さなため息をして私に問いかけた。


 「僕は先輩にとって何なんですかね。アクセサリーとか服とかそんなものですか?」

 「ああ、そんなものだよ」

 「はは、これはまた」

 「楽しいだろう?」

 「ええ、まあ。女の子に振り回されるのは楽しいなって、最近は思えてきましたよ」

 「なら、いいじゃないか。楽しめよ」

 「でも、僕はこのピアスみたく、ずっと先輩のそばにはいられませんが?」

 「ああ、それでいいさ。なくしたピアスはいつか忘れるよ」


 私は手に取っていたピアスをそっと元の場所に戻す。




 横浜中華街関帝廟。

 燃えるような夕焼けに照らされた街並みを階段の上からずっと眺めていた。日本のものとは違うエキゾチックな香りがふたりをやさしく包んでいる。

 南里が大げさにお腹をさすりながら言う。


 「おいしかったですね」

 「あの煮込み料理はなんだったのだろうな。香りが独特でよくわからなかった」

 「よくわからないものはおいしいですよ」

 「不思議なもんだな」

 「烏丸先輩。なんだか、こうやって食事の感想を言い合うのって楽しくなりませんか?」

 「お前は誰かさんと毎日やってるだろう?」


 南里が困ったように少し笑う。


 「そうですね。もうひとりとも」

 「妬いてしまうぞ」

 「僕はチャーシューじゃないですよ」

 「私は煮たほうが好きなんだ」

 「食えないですね。あなたは」


 2人で笑い合う。うっかり苦みを味わったように階段を降りだした。




 ホテルニューグランド中庭。

 無骨な外見の建物をくぐると、その真ん中に噴水がある小さな庭園があった。植え込みには無数のライトがきらめき、そのイルミネーションはなんともよい雰囲気を醸し出していた。その中をそっと歩きながら、南里は微笑んだ。


 「こんなふうになっているんですね。外からはわからなかった」

 「人の心といっしょだよ。たぶん外からは見えていないだけで、中身はきれいなんだ。こんなふうに」

 「僕はそんな人を愛してもいいんでしょうか?」

 「なんだそれ。人の心を始めて知ったアンドロイドみたいなこと言うなよ」

 「ぷふっ」

 「何がおかしい」

 「いや、先輩もたくさん本を読まれましたね。定石がわかってきたというか」

 「お前で変わってしまったんだよ。責任をとれとは言わないが、まあ、その…。変われてよかったと思ってるんだ。どう変わったかは言えないが」

 「そうですか。それはよかった」


 南里が私の手を取ると、私の前を歩きだした。




 山下公園。

 海へ向いているベンチに2人で座る。少し歩き疲れたな。あたりはすっかり暗くなって、目の前の海はただ黒いうねりのように見えた。さぱんさぱんという波の音が遠くに聞こえてる。

 南里と私は手を握りあった。ごく自然にそうなった。


 「なあ南里、私ではだめなのか」

 「そうですね…。いまはなんとも」

 「はは。そうか」


 私は南里の手を強く握りしめる。


 「なら、私はお前たちの悪役を全うさせてもらうよ。私があんなおかしい関係ではなく、みんなに普通に祝福され、喜ばれるような関係に正してやる」

 「それは悪役なんですか?」

 「ああ、そうだよ。憎まれるんだ。あいつらから」

 「それはまあ…。そうなるでしょうね」

 「いつかお前をさらい出す。あの妖怪たちが巣くう古城の中から」


 南里がこちらを向いてとぼけたように言う。


 「拉致監禁ですか? 怖いなあ。ちびりそうだ」

 「お望みなら、な」


 近づく。それからキスをする。それは本当に短い間のことだった。唇が離れて、何か言いたそうにしている南里を見る。たぶん、この男は…。

 私たちの前に誰かが立ち止まる。振り向くと南里がその人にたずねた。


 「あれ、芝原さん?」

 「ごめん、お邪魔しちゃったね」

 「いや…、まあ。そっちは?」

 「家の買い出し。中華食材の問屋が近くにあるんだ」

 「そうなんだ。あ、見た?」

 「まあ」

 「ミヤコには黙っててくれないか?」

 「ええと『お望み』とあらば」

 「はは」

 「お幸せにね、ミヤコの旦那さん。浮気はほどほどにねー」


 手を振って芝原が離れていく。そのまま逃げるように闇夜へ消えていく。

 そうだな、幸せにしてやるぞ南里。私も幸せにしてくれ。でも、その形がどういうものか、私にはまだわかっていない。




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次話は星野ミヤコの親友である芝原チカが心情を吐露します。それを聞いたミヤコは夜の公園で号泣し…。

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