第14話 春川メグミ「参考にするんだぞ」



 明日から夏休みに入るにあたって、注意すべきところを教師がうだうだとしゃべっている。教室にいるみんなはそれを聞くふりをして、どこ行く?とか浮ついた話をコソコソとしていた。

 私も腕組みしながら聞いているそぶりをして、前の席に座っている兎賀を見る。華奢な体に女子の制服がよく似合う。兎賀は私の最高傑作になりつつある。少し髪を編んであげたら、かなりかわいくなった。もはや女子。かなり女子。女子を超えた女子。本人も変わりように心から喜んでいるようだ。南里もだいぶ気がひかれているだろう。星野は歯噛みしているはずだ。烏丸先輩は…、わからんなあれは。

 しかし話が長いな…。この退屈で一方的な教師の話を「早く男同士のアレが見たい」という気持ちで塗りつぶす。



 午後の授業がないので、昼には帰ることになった。ああ、この解放感、半端ないな。教室で支度していると兎賀が声をかけに来た。


 「春川さん…」

 「やあ。一緒に行くことで、いい?」

 「うん」


 兎賀を誘って古い喫茶店に行く。以前星野との話し合いでテーブルを壊しそうになったが、出禁にならずに済んでよかった。学校から近くて、あまり生徒が利用せず、密談に最適な場所。適当にブレンドを注文したあと、私は持ってた紙袋を兎賀に渡す。


 「はい、これ」

 「ありがとう…」

 「あとで付け心地を教えて」

 「ごめん…。下着まで…」

 「いいってことよ。ああ、言っとくけどあんまりそれらしい下着じゃないから。トランクスぽいやつだし。それでもまあ一緒に入っているキャミと合わせたら、それっぽくなるよ」

 「ありがとう。着てみる」


 顔を少し赤くしている。ういやつ。やはり女物の服を着させるのであれば、下着まで与えてこそだ。そうでなければ仏作って魂入れず。女下着は男の娘の魂だ。

 兎賀が恥ずかしそうにたずねてきた。


 「春川さんは夏休み、どうするの?」

 「悪いが私の夏休みは8月後半から始まるんだ」

 「そうなの?」

 「8月の中頃に毎年大きなイベントがあってね。それに向けて姉ちゃんたちと絵を描いて本を作らないといけないんだ。何しろ我が家の年間生活予算の1/3が、ここの売り上げで決まる」

 「すごいね」

 「だから、あんまり会えなくなったりするけど、応援はしているから。何かあったら連絡してきて。助けるよ」

 「ありがとう…」


 微笑む兎賀。最初の頃もヤバいと思ったが、いまもだいぶヤバくなったな。ちゃんと恋してるメスの顔に変わってる。


 「それで、南里とはそれからどうなの?」

 「それがまだあんまり進んでいなくて…」

 「夏休みのイベントと言えば、花火とか海とか…。まあ誘ってみればいいじゃないの?」

 「星野さんがめっさにらむ」

 「まあ、ほっとけば。スマホでバレないように南里と連絡取り合っているんでしょ?」

 「うん」

 「じゃ、いいんじゃないのかな。何かあっても状況の手綱をとらない星野が悪い」

 「そうかな…」

 「恋愛なんてそんなものだよ。私はしたことないけど」


 兎賀のすらりとした白い手が伸び、私の手に触れる。


 「どうして、そんなにくっつけたいの?」


 兎賀が目を細めて見つめてくる。…バカ、ドキリとしたじゃないか。



 その夜。これから家に缶詰めになることを見越して、すぐに食べられて保存が効く食材を買い出しに来ていた。スーパーの棚で即席麺たちを眺めながら考える。…オフセットはギリ1週間前までなら粘れる。2日前まで行けるとこもあるようだけど、さすがにトラブルがあったときにしんどい。以前、落丁されたことがあったし。そうでなくてもあの姉だ。何かやらかすに違いない。冬のイベントのときは開催3日前にコピー誌作りたいと急に言い張って困った。表紙を箔押ししたいとか、ホログラムPPにしたいとかは、普通に言い出しかねない。早め早めに描かないと…。

 意識を切り替える。とりあえずいろいろ買わないとな。最近わりと好きなファビュラスカップ麺スーパーたくわんキムチ味を手に取り、かごに入れる。



 スーパーから出たとき、そこに兎賀がいた。あれ、こんな夜ふけにめずらしいと思ったが、すぐに様子がおかしいことに気づく。両腕で必死に抱きしめている黒いかばん。着ているシャツの下のほうが少し破けている。あっ、おい。とぼとぼと歩き出した兎賀に声をかける。


 「どうした?」

 「…なんでもない」

 「って、そんなわけないだろ?」


 兎賀が思いつめた表情で、抱えていたかばんを私に手渡す。


 「これ、預かってもらえる? 母さんにみんな捨てられちゃってさ。制服ともらった下着は守れたんだけどね。ちょっと置いとけなくて…」


 はあ…。

 頭をかく。仕方がない。


 「うち近いから来なよ」

 「悪いよ」

 「いいから」


 とまどう兎賀の手を引っ張る。なるほど、これが言ってみれば「買い物をする、男の娘を拾う」という感じか。



 タイル張りの古いマンションの一室にある我が家。玄関を開けて靴を脱ぎながら呼びかける。


 「姉ちゃんいるー?」


 返事がない。仕事場にでも行ってるのか。後ろで立ってる兎賀に言う。


 「散らかってるけど気にしないでね」

 「うん…。お邪魔します」


 物であふれて雑然としている食卓。その椅子に兎賀を座らせると、私の部屋から適当なTシャツを探して持ってくる。それを兎賀に投げて渡す。


 「ほれ。お古で悪いけど」

 「ありがとう…」


 兎賀がいま着ている破けたシャツを脱ぎ始めた。

 おい…と声をかけようとしてやめた。

 すらりとした兎賀の裸。上半身だけだけど。うーん、むふふ、眼福。ずいぶん柔らかそうだな…。肌が白く透き通って見える。乳首の色はピンクかー。かぁぁ、まいったね。私の心の中のオヤジが騒ぎ出す。

 何事もなかったようにTシャツを着た兎賀に、何事もなかったように私が声をかける。


 「なんか飲むか?」

 「いえ、おかまいなく…」


 なんかすごいキョロキョロしているが、まあ、そのうち落ち着くだろう。

 買い物したものを適当に棚や冷蔵庫に突っ込んでいく。たぶんこれで1週間は持つはずだ、もし兎賀がしばらくいるようなら、それはそれでいい。どこか適当に出前でも頼むか。兎賀に毎日ピザ食わせて太らしてやる。あとで姉ちゃんに連絡しないとな。少し楽しくなってきた。

 冷たいペットボトルのお茶を兎賀に渡す。


 「ほれ。私は仕事してるから、適当にね」

 「ありがとう。人の家ってあまり来たことがなくて…」

 「あまり面白いものはないよ」

 「この本、読んでていい?」

 「ああ、いいぞー」


 あ、ダメか。その薄い本は…と思ったら、兎賀は、さっそく顔を真っ赤にして熱心に読んでる。

 まあ、いいか。


 「参考にするんだぞ」

 「え? 何を?」

 「さあな。とりあえず気が済むまで居ていいから」

 「うん…。なんかごめん。ありがとう…」


 少しほっとした表情をした兎賀の様子を見て、さて仕事仕事と意識を切り替える。椅子に座り、パソコンの電源を入れる。アプリを立ち上げデータを広げる。シュッシュッという液タブにペンが走る音が静かな部屋に広がっていく。



 いつのまにか寝てた。液タブの画面を見て、このパースめんどくせーと考えていたら寝落ちしていたことがわかる。時計を見たら4時だった。うーん、節々が痛い。

 後ろを振り返る。そこに兎賀はいなかった。椅子から立ち上がり、ふと食卓の上を見る。いつのまにか作ってられていたサンドイッチと「ありがとう」とだけ書かれた紙、そして女物の服…。

 頭をかく。

 まいったな…。

 兎賀があまり家族とはいい関係ではないのは前から本人の口で知っていた。学校に行っている間だけは救われていたことも。

 まあ、助けてやってくれ南里。それは私の役目じゃない。本当に…。

 私はただ黙ってメガネを外し、そっとテーブルに置いた。




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次話は服がない兎賀ハルカに南里アキトと星野ミヤコが手を差し伸べます。着せ替え人形になるハルカにミヤコは…。

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