第13話 星野ミヤコ「恋愛なんてもっと簡単なものじゃなかったのか」

 気まずかった。気まずいなんてもんじゃなかった。アキトと並んで歩いているが、ふたりともお互いの顔を見られなかった。

 学校までの道を同じ制服を着た生徒たちがいっしょに歩いている。ときおり笑い声がするなか、どうにもふたりは浮いていた。

 一瞬、アキトと顔を見合す。それからふたりで目をそらして、言葉をかけることもできず黙ってしまう。

 うーん。どうにかしなければならないのだけど…。


 「南里、星野、おはよう」


 振り向くと烏丸先輩がいた。何気なくかけられたなんでもないあいさつに戦慄する。追いつめられた雰囲気もしない。殺気もない。異常でないことがかえって異常に思えた。ぞわっと鳥肌が立つ。


 「ごめんなさい先輩、ほったらかしてて。受験もあるだろうし、声かけづらくて。よかったら、またデートしてください」


 アキトが何でもないようにスラスラと答える。烏丸先輩は一瞬値踏みをするような目をしたように思えたが、にっこり笑って言い返す。


 「いいわよ。次は南里のおごりだからね」

 「はい!」


 ほっとして下を向いたら目に入った。烏丸先輩のかばんに少しだけ黒くて丸い金属のような棒が入っているのを。烏丸先輩がそれを何気なく押し込むと、ゴトっていう重い音がした。

 どっと冷や汗が出た。選択間違えたら死ぬゲームか、これは…。



 教室に入り、芝原の執拗な言葉責めを交わすことに成功し、どうにか朝の授業を受けていた。ひょろっとした先生のめんどくさい因数分解の説明を聞いているなか、何かがおかしいことに気がついた。あれ、なんだっけ…。斜め向かいがすかすかな気が…。誰かいたような…。

 ガラガラ。

 教室の扉が開く。


 「ごめんなさい、遅れました…」


 あれ…あんな女の子、このクラスにいたっけ…?

 教室間違えたのかな…。

 うん、ん…? あれ? あぁぁれぇぇ?

 兎賀が。

 女子の制服を。

 着ている。


 「あ、あの?」


 みんなの視線を浴びるなか、その言葉をきっかけに教室が爆発した。これは何事だと騒然となる。

 まあ、まったく見た目はかわいいが…。

 兎賀の困った顔を見ながら、私はシャーペン片手に苦笑していた。


 「兎賀、あとで職員室なー」

 「はい…」

 「さあ、授業にもどるぞー」


 先生の一言で少しは静まったが、それでもガヤガヤとした空気はそのまま残された。



 休み時間、兎賀は男女にもみくちゃにされてた。いったいどうしたの? やっぱりそっちだったの? 男の人が好きなの? 質問攻めにあう兎賀を少し離れたところから見ている。左端の髪を小さく三つ編みにしていて、これはなかなかいいキャラクターデザインだった。キュートでかわいい。それを揺らしながら、少し汗をかいた感じで受け答えしている。

 昼休みもそうなりそうだったので、見かねたアキトが「そのままじゃご飯食べれないだろ?」と兎賀を引っ張り出す。私もそれにノコノコついていった。いつもの屋上でお弁当を広げる。兎賀は座るときにちゃんとスカートの下に手をやり、ぐしゃっと広がらないようにしていた。そのしぐさはどこで覚えたんだ…。いやむしろ、誰が教えたのか。

 兎賀がにこやかでうれしそうにアキトへ話しかける。


 「この格好で学校へ行くと言ったら、母さんヒスっちゃってさ。学校来るの遅れちゃったよ」

 「そうか、大変だったな」

 「似合う?」

 「違和感仕事してないな」

 「えへへ」


 自然な感じでアキトの右手を取る。


 「ほら」


 その手を兎賀は自分の胸に当てさせる。


 「アキト、なに顔、赤くしてんの? 私、胸ないじゃん?」

 「それは…、ヤバい…」


 はああああああ?

 なにそれ! 私のときと反応違う!

 思わず持ってた箸を握りしめて折りそうになる。たぶんいまなら深度2,000mに持っていかれたカップめん容器ぐらいには握りつぶせる。

 すごい形相になっているのはわかっているが、隠すことができず、そのまま兎賀をにらみつける。

 ニヤリと笑い返される。兎賀はとても楽しそうに笑っている。

 お前…。


 「ほら、アキトは女の子にはやさしくしないと。昨日言ったでしょ?」


 昨日?

 …ちょっと待て。

 アキトは夜にどこへ行った?

 こいつ、まさか…。


 「どうしたの、星野さん?」


 兎賀は、目を細めて、うっとりとした顔で見つめてくる。こいつ、みんな知ってる。しかもアキトがいろいろ話しているんだ。

 くっ…。

 怒りで頭が破裂しそうだ。

 なぜアキトはこいつに話す!

 いますぐここで弁当をぶちまけてしまいたい。

 しかしそれをやれば、兎賀が有利になる。

 手が震える。唇を噛み締める。これが血の味か…。

 耐えるほか、なかった。

 遠くなっていく耳に兎賀の声が届く。


 「前から買ってたんだよね。たまに家でこっそり着てた。あはは。なんか本来の自分になった感じがして、落ち着くんだ。不思議な気持ちだね」

 「面倒だって言ってたけど、今頃になってどうしたんだ?」

 「半分は私のため。試したくなったんだ、自分を」


 アキトの手を兎賀がやさしく握りしめる。


 「もう半分はアキトのためかな…」


 なんだと…。何を言って…。


 「なんてね」


 兎賀はふっと春風のように笑う。私にはそれが吹雪のように感じた。



 勝ち目がない。

 結論から先に言うとそうなってしまう。しかし、なんとか、なんとかしないと、アキトとの生活が成り立たなくなる。

 はじめは処女のごとく、のちには脱兎のごとし。言葉の通りじゃないか。兎にしてやられた。

 兎賀を引きずり倒すのはたやすい。だが、アキトの心に残ってしまう。それは今後の生活にたいへんよろしくない。

 兎賀にとって、あれはあれで奥の手だったのだろう。私にとって体を使ったのと同じ意味。なら、もうあれ以上のインパクトは私にはない。あちらにはまだいくつか手があるはずだ。

 兎賀の後ろには春川か…。あのクソメガネ、なかなかやってくれるじゃないか…。かんらかんら、とか言いながらおおげさに笑っていそうだ。

 ああ、兎賀のことばかり考えてしまう。

 はあ…。

 はああああ…。

 私はいったい何を苦労してるんだ…。恋愛なんてもっと簡単なものじゃなかったのか? 好きって言って、チューして、エッチして、結婚して、子供ができて…。たったこれだけの流れのはずだ。なのに、なぜこんな苦労を…。

 廊下の片隅にある小さな休憩所。プラスチックでできた白くて丸いテーブルに、どでーんと私は覆いかぶさる。少し冷たくて気持ちいい。すぐ前にある自販機で適当に買った紙パックのジュースを寝そべったままちゅーちゅーとすする。ぐえ。恐ろしくまずい。見返したら抹茶ラテたくあんキムチ味って書いてある。なんだこれ…。


 「あ、いた。『姫』。探したよ」

 「芝原ー。姫って言うなって…」

 「ほかに人いないからいいじゃん」

 「そんな小学生の頃の名前で呼ばれても」

 「私にとっての姫はミヤコだけだからね」

 「はいはい『王子様』。姫は嫁になって、いまは屍のようですよ」

 「いやたぶんザボエラだと思う…」

 「え?」

 「いや…。またなんか考えていたんでしょ?」

 「まあ…。それは」

 「せっかく南里の家にお泊りして、いい感じになったのに、兎賀さんがみんな持ってったねー」

 「…まあ、そうだけどさ。なんかこう、もう手がなくて…」

 「強者とは強い奴のことではない。戦いの場に最後まで残っていた奴のことよ」

 「なんだっけ、それ」

 「いまの姫にぴったりな言葉。ほかにもやれることがあるんじゃないの?」

 「そうだね…」


 うーん。あ…。


 「ありがとう、芝原。ちょっと思いついたよ。これあげる」


 私は椅子から立ち上がると、飲みかけの紙パックジュースを芝原に押し付ける。受け取った芝原がストローを口に近づけながら言う。


 「まあ、がんばんなよ。そこそこでいいからさ」


 適当なことを言う芝原の声を背に歩き出す。10歩歩いたら後ろから「ぐえ」って声が聞こえた。




 「あきらめてください」

 古い喫茶店に烏丸先輩を呼び出し、開口一番強く言った。我ながら旦那の不倫相手に啖呵切る正妻みたいだな、とかふと思った。まるで母さんじゃないか。

 援軍として望めない以上、烏丸先輩とアキトの関係はどこかでくさびを打たなくてはいけない。私はこの恋愛戦に生き残る戦略を選んだ。弱い者は排除するしかない。

 説得の成否は五分五分と思っているが、それでもどこかで理屈を話せばあきらめてくれるだろうと思っていた。

 しばらく不思議そうな顔をしたあと、それでもわからない感じで、烏丸先輩は尋ねた。


 「何を言ってるんだ?」

 「あまりアキトと恋人らしい関係になれていないのでしょう? 脈がないと思って、あきらめていただいたほうが烏丸先輩のためかと」

 「おいおい、今朝聞いただろ。まだまだ関係を深める余地はあるぞ」

 「進展が遅く感じます。アキトはあまり烏丸先輩を重要に思っていないのでは?」

 「恋に急も遅いもないだろう。当人たち次第じゃないか」

 「アキトと兎賀の関係が出来上がりつつあります。烏丸先輩との進展が遅いからその間隙を突かれたかと思います。正直に言えば烏丸先輩がいると不確定要素すぎて、こちらの計画を立てづらいんです」

 「計画ってなんだよ」

 「これからは包囲戦のようなリソース…、いや根性が尽きたら負けみたいな恋愛になるんです。烏丸先輩はそんなことができる人ではないでしょう?」

 「おいおい、そうやって物事をこねくりまわして考えるからよくないんだよ。惚れた腫れたは恋の花だよ。理屈だけじゃないぞ。人の気持ちなんてころころ変わるんだ」

 「ころころ変わる戦況に的確なリソースを的確なタイミングで投入する。それを成し遂げるためには普段から計略を練ることが必要だと私は思います」

 「準備しとけってことか? それで私を蹴落としたいと。ははは。面白いじゃないか。いいか、星野」


 口角を上げながら不潔にニヤけて烏丸先輩は言う。


 「そんなの女の武器を使えば一発さ」


 烏丸先輩の顔がひどく暗く狂った顔をする。この人はなんなんだ…。私は努めて静かに言う。


 「…使いましたよ」

 「へえ。それでもさ。私にはプライドがあるから。女としてのプライドが許さないんだよ。だから絶対南里をモノにする」

 「モノって…」

 「そもそも優劣論の話だ。お前にスキがあったから、こうなったんだろう? 違うか?」

 「それは…」

 「私は奇麗でかわいいんだ。そもそも南里のほうから告白されたんだぞ。いいか、鈴木とか長谷部とかほかにも何人からも告白されていたんだ。何人もの男が奇麗な女に恋をする。そんな中から南里という男を私が選んだんだ。私がだ。だから二人はハッピーエンドにならなきゃおかしいだろ。当り前じゃないか」


 ダメだ、こいつ、バカだ…。

 女だから、容姿がいいから、だから男から好意を寄せられて当然と思っている。

 思った以上によくない状況を悟る。むしろこんな女とアキトが付き合うことを容認してしまった自分を呪う。


 「…先輩にとって恋愛ってなんですか?」

 「そりゃ子供産むことだろう」

 「はあ? じゃアキトと…」

 「ま、最終的にはな」


 烏丸先輩がニンマリ笑う。もうだめだ。心底この人が気持ち悪い…。

 烏丸先輩は黒い長髪が奇麗で人目を惹く美人だ。でも、人ではない何かが喋ってるようにしか思えなかった。


 「先輩最後に」

 「なんだ?」

 「危ないおもちゃは使わないでくださいよ」

 「お前…見たのか?」

 「じゃ」


 席から立ち上がりレシートをひったくる。交渉は決裂したが、決意は強くなる。私は絶対に生き残る。




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次話は春川メグミと兎賀ハルカの関係が動き出します。さまようハルカはメグミの家に…。

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