第11話 星野ミヤコ「あれだってなかなかの…」



 南里に兎賀が襲われた件を伝え、兎賀を守るように促す。これでまた距離が縮む。星野はそこからはじかれる。はは、ざまあみろ、…とでも春川は思っているのだろう。

 とっくにアキトは知っている。兎賀が襲われた後、烏丸先輩は部室でアキトを襲ったらしい。なかなか怖かったとは言っていた。烏丸先輩をなだめるために、やや行き過ぎた行為があったようだけど、恋愛感情が伴わないそれは、私にとってはどうでもいいことだ。

 だから私の口から話した。兎賀さんが烏丸先輩に襲われたことを。それを聞いて顔色変えず「そうなんだ」しか言わないアキトに対して、「烏丸先輩をほったらかしすぎじゃないの?」と、アキトが引き起こしている問題であることを伝える。本人的には何か言い訳があるようだけど、兎賀への庇護欲より、烏丸先輩にそうさせた罪悪感を強く持ってもらうことにした。

 人の気持ちには小さなステージがある。そのステージには感情が多く入らない。会話で整理しながら感情をひとつぐらいにすれば、気持ちはその方向に固まる。一度固めてしまえば、大きな衝撃で感情が飛ばされない限り、気持ちは変わらない。

 だから、この件は、まったく春川のポイントにならない。ご苦労なことだ。そしてアキトに接近したときの罠も用意している。はは、返り討ちにしてくれるわ。

 しかし、それでも、気になることはたくさんある。



 イカと里芋の煮物が仕上がってきて、いい匂いになってきたとき、アキトが台所に来て手伝いだした。わかめとじゃがいものの味噌汁、なすの揚げびたし、みょうがとオクラの和え物…、今日の夕飯は、わりとアキトが好きなものを揃えていた。ご飯茶碗を食器棚から取り出しているアキトに、何気なくいつもしている問いかけを口にする。


 「今日はどうだった?」

 「ハルカは、だいぶ気持ちが落ち着いたみたいだ。明るくなったよ。笑うとかわいいな、あいつ」


 最初に話すことがそれか…。落ちた気持ちを隠しながら適当に話を返す。


 「そうなんだ。良かった。私も心配してたよ」

 「ミヤコもありがとうな。ハルカから聞いたよ。いろいろ助けてもらえたって」

 「たいしたことしていないけどね。そうだ、今度、兎賀さんといっしょに遊びに行けたらいいな」

 「いいね。誘ってみるよ。ハルカは何が好きだろうな」


 ヒキツリながらアキトに微笑む。最近、アキトの話から、男友達たちの話がごっそり消え、兎賀の話ばかりしている。関心はそちらなのだろう。私の気持ちとは無関係で無邪気に喋っているアキトを憎たらしく思う。そして同時に不安が起きる。私も男友達と同じようにアキトからフェードアウトしてしまうのだろうか。だんだん私のことに触れられなくなり、そしてアキトの口から私の名前がいっさい出なくなる。それはつらいな…。忘れ去られてしまうのはつらい…。

 …そんなことにはならない。そうはさせない。大丈夫、きっとそう…。



 だいたい屋上にいるだろうと思って、階段を上った先にある扉を開ける。日差しを避けるように、ひさしのある出口のすぐ横で、アキトと兎賀がお弁当を食べていた。どこからか持ってきたのか、小さい扇風機が端に置かれて風を送っている。私と顔を見合わせて、アキトが少し驚きながら声をかけた。


 「めずらしいね? どうした?」

 「たまにはね。いろいろ話してみたかったから」

 「いいよ。横、涼しいから」

 「ありがとう」


 兎賀が私を見上げている。たぶんいまの私は、顔に暗い影が落ち、すごい形相をしているはずだ。兎賀への直接攻撃が難しいのなら、いまはアキトとの関係を維持するのが最善。これもその戦略の一環だ。これからはできるだけ兎賀とアキトの間にいることにした。ふたりだけの想い出なんか作らせない。絶対に。


 「普段どんな話してるの?」


 アキトの隣に座って、お弁当を広げながらゆるくふたりに声をかける。それを聞いてアキトから話し出した。


 「何って…。読んでる本の話かな? ハルカは?」

 「最近は和物が多いよね。アキトはなんか読んだ?」

 「草原野々のアイドル本読んだよ。ぐちゃぐちゃだった」

 「あれは…。ご飯食べながら読む本じゃないよね」

 「それは同意する。でも、いいと思うんだ。あんな姿になってもアイドルと推す人の関係ってなんだろうとか考えさせられたよ」

 「腐敗ガスで空飛ぶ肉塊がアイドルってなんだよ、みたいな。それでも主人公は好きなんだね」

 「なんとなく筒井康隆の『村井長庵』を思い出したよ」

 「そういう話だと私は『虚構船団』的なものを感じたかな。なんともやるせないし、みんな狂ってるし、姿形があってないし」

 「最後のセリフは、それっぽいな。ああ、結局、この世界の書物は筒井康隆で全部言い表せるんだよ」

 「なにそれ。星新一で読んだ、って言っとけばいいみたいな話は」


 ふたりでケラケラ笑っている。

 わからない…。

 うなりをあげて高速回転している大縄跳びのように、どこから入ればいいのかタイミングがわからない。

 筒井康隆…。あ、そうだ。


 「知ってるよ。筒井康隆。時かけの人でしょ?」


 ふたりからすごい顔をされる。あれ?


 「ほら、映画になったの見たよ。女の子が空飛んでるアレ。坂から落ちてくシーンいいよね?」


 さらにすごい顔をされる。あれれ?


 「星野さん、それは…」

 「待て、ハルカ。これが普通なんだ。僕たちは負けているんだ」


 空を見上げているアキト、うなだれているハルカ。

 私何かやっちゃったのか…。

 焦りながら私は話を続ける。


 「あ、えっと、『富豪刑事』もよかったよね。古いドラマだけど、女の子が富豪の娘で刑事って面白かったな。ちょっとかわいかったし。お父さんがイケオジで…」


 さらに空を見上げているアキト、より深くうなだれているハルカ。


 「ど、どうしたの…」

 「星野さん、せめて『パプリカ』ぐらい…」

 「ダメだ、ハルカ。そうやって押し付けるから僕たちみたいなのは嫌われるんだ。もっと寛容な気持ちを持たなきゃだめだ」

 「そうかな…。じゃ古いけど『家族八景』とか」

 「『ジャズ大名』とか」

 「そっち行く? 『日本以外全部沈没』見ようよ」

 「『わたしのグランパ』もなかなか良かったが…」

 「まあ結局のところ最高傑作は…」

 「「『七瀬ふたたび』」」


 アハハと笑い合うふたり。

 だめだ…。

 二人の笑い声を聞いて愕然とする。

 ぜんぜんわからない。会話にならない。これでは…。

 アキトと私のいままで通りの関係すら、維持できないとは。



 お弁当を食べ終え、私にはわからない会話をずっとしているふたりを置いて立ち去る。

 どうしたものかと思い詰めながら階段を降りていくと、そこには春川がいた。私を見るなり、笑いが混じった黒い言葉を投げつけてくる。


 「旦那と嫁というより、もう他人だね。なんとかしないとまずくない?」


 こいつは…。見てたのか。

 まあいい。放っておいてすり抜けようとすると、また話しかけてくる。


 「ステキな罠をありがとう。文芸部の新入部員だっけ? 人をブービートラップに使うのはどうかと思うぞ」


 ニヤニヤしすぎだろう春川。腹は立つが、いまはそれどころではない。どうすればいいのか、考えたい。止めた足をまた動かす。


 「おい、逃げるのか、星野ォ」

 「春川、それは違うな」

 「おい」


 春川から遠のいていく。逃げてるんじゃない。逃げられないんだ。



 夕飯の支度に手が付かない、というのはこれまでもあったが、今日は深刻だった。指一本動かす気になれない。ソファーに寝そべりながら、暮れていく陽で赤く染まった静かで温かい部屋をずっと眺めている。

 これは…。

 もしかして、私はもうとっくにアキトの中から消えているんじゃないのか?

 それは…。

 ああ…。


 「もうダメかな…」


 じわりとなにかがあふれる。

 どうしたいいのか考えるが、いまはもうそれがおっくうになってきた。私が負けるわけにはいかない。せっかくつかんだこの生活を手放すわけには…。でも…。

 ふと思う。烏丸先輩もこんな気持ちだったのだろうか。これは確かに…。狂うな。

 そうだ、もう、あれしか。

 あれしか…。

 烏丸先輩とは違う。烏丸先輩とは。

 でも…。

 仕方がないじゃないか。

 兎賀になくて私にあるもの。春川に言われた、それを使うしかない…。

 あはは。

 なんだ、この気持ちは。

 私も狂いだしたのか。たしかに気分はいい。すごくいい。

 そうだ。そうでなければ壊されてしまう。

 そんなのはいやだ。絶対に…。

 ソファーから無理矢理体を引き起こす。

 よし…。

 私は覚悟を決めた。



 どうにか作った適当な夕飯を食べたあと、アキトはソファーに座ってひとり本を読んでいた。私は、洗い物で濡れた手をエプロンで拭い、それから紐を緩めてシュルリとエプロンを落とす。

 アキトに近づく。アキトはそれでもただ本を読んでいる。

 ひどい男だ。本当に。それでも好きだという感情が体の奥から沸き上がる。


 「アキト」


 座っているアキトの足をまたいで、自分の太ももで挟むように座りこむ。そのまま腰を下ろすと、スカートの中でアキトの体温を感じられた。


 「ミヤコ、いまはそういう気分じゃ…」


 アキトから本を取り上げて、それを遠くに放り投げる。


 「手を貸して」


 右手を握る。ゆっくりとした動きで私のほうに持ってくる。広げた彼の手で包ませるように、私の胸を触らせる。


 「柔らかい? 兎賀にはないんだよ?」


 アキトは顔を伏せる。黙り込む。

 ああ…。どうして、この男は…。


 「私の気持ちに気づいていたんでしょ?」

 「ああ。ひどいことをしたと思ってる」

 「なら、どうして!」

 「不安、不快、嫉妬、怒り、焦り、ミヤコはいまそんな気持ちなんだろうな」

 「愛してるんだよ…」

 「ああ、そうだな」


 胸に当てていた手を動かし、アキトは私の頬にやさしく手を当てる。


 「それも気がついていた」


 私はその手を握りしめる。

 この手だけは…。どうしても…。放したくない。

 私の体全部で抱え込むようにアキトの手を握りしめる。


 「…私じゃダメなの?」


 絞り出すように出した私の声に、アキトはそっけなく答える。


 「女の子は怖いな」


 え?


 「気を引こうとしたり関係をねだったり」


 ええ?


 「ハルカはそういうのがないから、付き合いやすい」


 どういうこと?


 「ねえ、ちょっと待って。何言ってるの? 兎賀さんだって、したたかだよ? あれだってなかなかの…」


 そこから先は言葉を出せなかった。

 アキトが私の口を自分の口でふさいだから。

 這わされる舌に私は否応もなく溶かされていく。

 この男は…。本当にどうしようもない。そしてどうしようもなく好きだ…。

 ん?

 動きが止まる。それから、てぇい、という感じで、体を離される。ソファにぼよんと転がされる私。アキトはすっくと立ちあがる。


 「アキト?」

 「ごめん。ダメなんだ。僕たちはもう…。頭冷やしてくる」

 「ちょっと、どこ行くの?」


 え…。なにそれ?

 すたすたと外に出ていくアキト。

 アキト? アキトぉ? ダメって何?

 玄関の扉がガチャンと閉じる。

 あれ…。

 なんだ…。

 はっきりわかったことがひとつ。

 私、終わった…。終わった…。あはは…。




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次話は家を出ていった南里アキトが思わず兎賀ハルカに相談してしまいます。ハルカはお説教を始めながら…。

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