第10話 甘楽ジュン「恋ってなんですか?」



 静かな文芸部の部室。カーテン越しの柔らかい日差しに、本のページをめくる音だけが聞こえる。放課後に南里先輩とふたりきりで本を読んでる。タイミングをずっと探していたけれど、どうにもならなくなって堰を切ったように言葉を放つ。


 「恋を…、教えてください」


 たぶん私、いま顔真っ赤だ。

 気づくかな。気づかなかったらいいな…。でも気づいてほしくないかも…。

 好きだってことを…。

 南里先輩が本を置く。立ち上がるとキャビネットの中を探していく。


 「そうだな…。『時をかける少女』も『夏への扉』も、兎賀さんに貸しちゃったんだよな…。『陽だまりの彼女』なんてどうかな」


 一冊の黄色い本を渡される。

 まあ、そうだよね…。少し落胆して、その本を受け取る。


 「…ありがとうございます」


 こんなにアレな先輩はいままでどんな恋をしていたんだろう。ふと気になって聞いてみた。


 「あ、あの。先輩にとって恋ってなんですか?」

 「そうだな…。なかなか難しいけれど…」


 椅子に座ると腕組みして考えだす。目をつぶったまま話し出した。


 「椎名誠の『いそしぎ』という話があってね。仲の良い普通の夫婦なんだけど、ある日奥さんが人を動物に変える制度に選ばれてしまう。近所や親族がそれをめでたいことだと祝うんだ。それを見ながら、旦那はやりきれない思いを募らしていく。最後に奥さんかもしれない鳥を見つめている旦那さんの描写が胸に刺さってね…。もう二度と言葉を交わせないその鳥をただひたすら見てるんだ」

 「…切ない話なんですね」

 「僕は恋ってそういうものだと思う。いつか好きな人は何かに取り上げられてしまうんだ。そして、あのときのぎゅっとなる感情を抱えながら、生きてくことをひたすら耐えていく。それが恋かな…」

 「先輩、それって哀しいですよ。もっと恋って明るいものです。楽しくて、うれしくて、踊りだしたくなるようで、それから…」

 「はは、甘楽はやさしいな…」


 まだらな日差しに照らされながら、先輩はそう微笑んだ。



 次の日の学校の中庭。昼休み後半のけだるい空気のなか、チカ姉ちゃんに後ろからむぎゅむぎゅと抱きしめられたままベンチに座っていた。

 部室でそんなことがあったとチカ姉ちゃんに話していた。好きな人ができた、という話もいっしょに。


 「ちっ、あの天然タラシが。あはは、何でもないよー」

 「そ、そう」


 一瞬、チカ姉ちゃんが憤怒した魔王ハドラーみたく見えたけど…。


 「ところでチカ姉ちゃん、なんでここにずっといるの?」

 「人を待っているんだ」

 「誰?」

 「もうすぐわかるよ。ほら来た」


 メガネをかけた女子高生がやってくる。見たことない人だった。チカ姉ちゃんの前に立つと、すごい形相でにらみだした。なんだろう、この人。チカ姉ちゃんがうれしそうに声をかける。


 「食い付きいいな、春川」

 「はっ。そっちこそ昨日の今日で、どうした」


 私はチカ姉ちゃんの袖を引っ張りながら聞いた。


 「誰?」

 「お姉ちゃんの友達さ」

 「なんかガラ悪いよ」

 「あははは。だってよ、春川」


 春川と呼ばれたその人は、チカ姉ちゃんの横にどっかりと座ると、えらく低い声で言う。


 「星野の話を聞かせろ」

 「焦るな。少し長くなる。午後の1コマ目は諦めろ」

 「ああ」


 邪魔かな…。私はチカ姉ちゃんに声をかける。


 「チカ姉ちゃん、私…」

 「ジュンも聞かなきゃダメだ」


 チカ姉ちゃんの腕に力が少し入る。そのままゆっくり話し出した。


 「さて、どこからかな。春川は、ミヤコの実家を知ってるか?」

 「いや…」

 「この街でビルのテナントに空きが出ると、だいたい星野不動産の連絡先が貼られる。アパート、マンション、役所の建物、元を辿ればだいたい星野の一族に当たる。星野はここらの大地主だったが、持っていた土地を巧みにハコへ転換しているんだ」

 「金持ち自慢か?」

 「そうだな。うちの話しをするか。うちは伊勢脇銀座の真ん中で惣菜屋をやってる。家族とは別に人を4人雇うぐらいには繁盛している。なぜ繁盛しているか? 立地じゃないんだ。よそから来た業者が近くに惣菜屋を作りたいとする。当然店舗を借りに星野の家へ話しがくる。そこで一言だけ言う。『そこにはもう芝原さんがいるから』。うちの近所には同業者がいないんだ。だから儲かる。似たようなことをあらゆるところでやっている。食品、物販、事務所。人の生活のためにハコは欠かせない。グレーなもののもそうだ。売春の置き屋、半グレの溜まり場、ヤクの倉庫、それから…」

 「おい」

 「面白いのはここからだ。みんな感謝する。便宜をはかってくれてありがとう。だから星野の家に『情報』が集まる。星野の家に恩返しだ。みんな喜んでさえずるよ。例えば店子の誰それがうまくいっていない。それを聞いた星野の家は、そいつの金の借り先にその話しをささやく。借り先は金の回収をどこよりも早くできた。そして謝礼を星野の家に払う。似たようなことを表も裏もやっている。ただでさえハコは情報になる。入居前の調査、入居後の支払い状況、監視カメラに映った出入りした人の内容。かなりグレーだが、それは全部金に変えられる。星野の家の家業は、巨大なネットワークを持つ不動産屋の皮を被った情報屋だ」

 「ああ、それで?」

 「少しは頭を使え、春川。お前がうっかりアヤつけたのは、その家の娘だ。家業のネットワークを引き継ぐために小学校の頃から勉強させられている。戦略論とかその手に詳しいのはそのせいだ。喫茶店での鍔迫り合いはなかなか良かったが、お前のは所詮、ずぶの素人だ。この学校はもうミヤコの『実践の場』になっている。いまお前がいるのは、ミヤコの腹の中なんだ」

 「だからどうした? 脅されて手を引くとでも?」

 「なあ春川。ここから先には私の独り言だ。私はある『係』を星野の家から頼まれてやっている。私みたいのが他に何人かいる。彼女らはミヤコを守るためにいるんじゃない。ミヤコがちょっと気持ちを違えたせいで周囲に被害が起きたとき、その事態をすぐ収拾するためにいるんだ。ミヤコには、それだけの力がある。私はそんなことにならず、ミヤコが博愛主義者なまま、高校生活を過ごさせてやりたい。誰かを追い詰めて破滅させた思い出より、もうちょっと明るい思い出を残してやりたい。脅しじゃない。ミヤコの親友としての『お願い』だ」

 「そうか…」


 春川さんががっくりと下を向く。しばらくしたら、顔を伏せたままチカ姉ちゃんに尋ねた。


 「なら、2つ聞かせろ」

 「なんだ?」

 「なぜ星野は南里に固執する? 別れてもいいだろ、あんなの」

 「南里の親たちはブン屋だよ。ただの記者じゃない。星野の家と似たような情報を金に変える『事業』をやっている。だから家同士が近づいたのが最初だ。家からも話はあるだろうし、似た親を抱えた子供たちだから通じるものもあるのだろう。そもそもミヤコは南里のことが大好きだ。南里のほうはどうだかわからんが」

 「わかった。もうひとつ。お前たちは兎賀の中見を知っているのか?」

 「なぜ高校を転校したのかは知っている。おとといレポートが来た。昼間に話せる内容じゃないとだけ言っておく。ミヤコも見ている。あとは知らん」

 「なるほど…」


 春川さんが顔を上げた。


 「なら、私にはまだやれることがあるな」


 人間はこんな表情ができるんだ…。

 春川さんは、この世の邪悪をすべて集めたような顔をしていた。

 それを見たチカ姉ちゃんがため息を漏らす。


 「春川、なあ頼むよ。手を引いてくれ。お前はミヤコのお気持ちひとつで人生台無しになるんだ。姉ちゃんの細腕1本で稼いでて生活は大変なんだろ? ああ、くそ。こんなヤー公みたいな手を私に使わさせないでくれよ」

 「うちを調べたのか。残念だな。内容を察して怖がったりはしないぞ。ここまでの話しを聞いて、そうくるだろうと思ってた」

 「なあ、おい…」

 「お前らは過保護だよ。ライバルぐらいいたほうがいいんだ。星野のためには」

 「はあ…。バカめ。なら、もう話はしない。私は見守るほうにまわるよ」

 「そうしろ。しかし…。心ってやつは面白いな。他人にはわからないところがいい。南里も兎賀も星野も、みんな本心がわからない。お前もだ芝原」

 「そうか」

 「まあ、でも」


 春川さんがベンチから立ち上がり、そのまま手を上げて「うーん」と背伸びをする。


 「お前が心配する事態になったら連絡する」

 「ああ、それでじゅうぶんだ」


 春川さんがさっと手を振り、去っていく。

 私たちはその姿をずっと見つめていた。

 今の話って…。

 どうして…。南里先輩は星野さんは幼馴染って言ってたのに…。先輩たちはあんなに楽しそうにしていたのに…。

 私はチカ姉ちゃんに抱き抱えられたまま震えていた。この感情は何? 恐怖? 先輩にはもう想いは伝わらない? どうしたら、どうすれば…。


 「怖がらなくてもいいよジュン。もう私たちは子供でいることを諦めないといけない。大人たちを知らないとね。いずれ私たちがそうなるのだから。大丈夫、怖くない。私が守るよ」

 「どうして…、聞かせたの…」

 「知らなきゃダメだ。お前が恋焦がれた相手は、化け物のフィアンセなんだ」

 「でもっ!」

 「脚の治療費、ご両親が払える額じゃなかった。ジュンの家は、積み立てるほどの

家庭に余裕がないから保険もなかった。うち経由で星野の家からお金が出てる。南里とジュンが付き合うとみんなが困る」


 「だからって、この気持ちを捨てなきゃいけないの?」

 「南里はダメなんだ。本当にダメなんだ。好きになっちゃダメだ。大人の事情をなしにしても、あれは私の大切な親友の旦那だから」

 「だからって、だからって…」


 行き場がなくなった感情が、瞳からじわじわとあふれていく。

 落ちてく水のしずくをぼやけた目で見ながら、一言だけ声を絞り出す。


 「つらいよ…」


 チカ姉ちゃんが強く抱きしめる。私の耳元で、せつなくつぶやく。


 「そうだね、つらいね。気持ちを捨てるのはつらいよな…」


 強く強く。壊れるほど強く抱きしめられる。





---

次話は星野ミヤコが南里アキトと兎賀ハルカの間に入ろうとします。それはなかなかうまくいかず、ミヤコは…。

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