第9話 春川メグミ「私はわかるから」
兎賀と廊下ですれ違ったとき、違和感があった。…ジャージ? なんで?
「兎賀さん」
声をかけたとき、彼は足を止める。こちらを向こうとしない。
「どうしたの。何かあったの?」
「いや、ちょっとね」
振り向きながらそう言う。兎賀は笑っていた。とてもあいまいに笑っていた。その中に少しの恐怖感が混じっているのを見逃さなかった。
「私にはなんでも話して大丈夫だから。その…。わかるから」
「ありがとう。でも、これは自分への罰だから」
そういうと目を伏せる。そのまま背を向け、離れていく。
私はそれを見送りながら思う。
襲われたのか襲ったのか。星野、烏丸、南里、あるいはほかの誰か。いずれにしろ、兎賀が学校で着替えたことがないジャージを着るような事態があったということだ。
まずい。心の中のちんぽがおっきしてしまう。
快楽は人に与えられし神の御業。誰が抗えなかったのか。
もう少し見極めが必要だ。もう少し近くにいたい。
男同士のアレを見るために。
星野から呼び出されたのはそれから3日後ぐらい経ったあとだった。以前烏丸先輩たちと話し合った古い喫茶店。店の中に入ると、クリームソーダのアイスをつついている星野がいた。
「何かありました?」
「まあ、座りなよ」
かばんを肩から下げてソファーの横に置くと、星野の前に座る。初老の店の人がおしぼりとお冷を持ってきたので、ブレンドを頼む。星野が話し出すのを待つ。待ちながら会話の誘導の方法を頭の中で組み立てていく。何を言われてもいい。どう話が転んでも星野を利用してやる。
「春川さんは兎賀さんをどう見てる?」
やはり、そこか。星野の話に合わせていく。
「まあ、女の子じゃないんですか? 本人は先に進みたくない感じでしたが」
「どうしてだろうね」
「その先に進むと何か不都合があるのでしょう。そういえば、こないだジャージ姿ですれ違ったときに罰とか言ってましたが」
「罰か…」
アイスをほおばる星野。スプーンをテーブルに置くと私が知りたかったことを話し始めた。
「烏丸先輩に兎賀さんが襲われた。未遂だったけど」
あはは。そう来たか。ここは知らないふりをしなければ。
「烏丸先輩がなぜ?」
「なんでも兎賀さんが男だと証明できれば、アキトが嫌うとか。私もよくわからない理屈とは思ったけれど、追いつめられると人は得てしてそうなってしまうのは知っている」
「それはまた。ここで烏丸先輩たちと作戦を立てていたのが懐かしくなる出来事ですね」
「そうだね。私としては兎賀さんと共に戦う戦友になれればと思ってたけれど…」
「烏丸先輩は余計なことをしましたね。無能な働き者、といったところでしょうか?」
「私は無能な働き者というのは状況で作られると思っている。そこまで追い詰めてしまった者の責任なんだろうと」
まあ、そうも思えるが、それは烏丸先輩を放置プレイしていた南里のせいだぞ。ここは仕掛けるか。
「兎賀さんは南里くんを落としにかかるかもしれませんね」
「それは?」
「以前、南里くんが兎賀さんへのいじめやちょっかいを止めてましたよね。今回の事件も知られてしまったら、烏丸先輩とは距離を置き、より兎賀さんに近づくはずです。兎賀さんが憐れんだ声で助けてと南里くんの胸に飛び込んできたら、彼はどう思うんでしょうね」
さて、いつ芽吹くかな。疑心暗鬼という芽は。
「そうだね…。そうかもしれないけど…」
「再確認ですが、星野さんは現在の関係を維持し、機を見て南里さんを手に入れる。そのためには時間稼ぎを続ける。これが戦略目標ですよね」
「ええ、その通り」
「クリスマスまで、というタイムリミットを置き、星野さんはその時間内にリソースを集中投下できるようにした。やはりその間に『機』を見てしまえばいいように思います」
「先に手を出せと?」
「いまがその『機』なんじゃないんでしょうか?」
「先ず勝つべかざるをなして、以って敵の勝つべきを待つ、とも言うよ。様子を見ていたら、もしかしたら私以外は離脱していくかもしれないし」
「先んずれば人を制す、遅れれば人に制される、ですよ。兎賀さんに制されたくはないでしょう?」
「これをはかるに五事を以ってし、これをくらぶるに計を以ってして、その情をそとむ。私には五事が整っているようには、まだとても」
「死地に陥れて然る後に行く、という言葉もあります。あえて飛び込んでみるのもいいのでは?」
「それ必勝の術、合変の形は機に在るなり。まだ陣地構築が間に合わない気もしていて…」
孔明かよ。何だよ恋愛の陣地構築って。八卦の陣でもやるつもりか。こっちは準備不足で突っ込んでもらい、玉砕してもらいたいんだ。兎賀へのけん制や南里の気持ちの整理もなしに関係を進めようすれば、必ずスキができる。そこが狙い目。ふふ、そんな時間など与えるものか。よし、お前がわかりやすいように説明してやる。私は、メガネをくいっと直すと、静かな口調で話し始めた。
「クラウゼビッツによれば攻撃と防御は表裏一体のものです。攻撃が南里さんへの行動、防御が烏丸先輩や兎賀さんへのハラスメント攻撃や陣前減滅としたら、いま現在では攻撃が十分にされていないのでは? 攻撃による戦果は時間とともに減っていきます。だからこそ定期的に攻撃を続けないと行けませんし、防御が多くなるということは、少なくなっていく戦果をただ守るということなので、負け戦となるのは必然です」
「攻撃の限界点の話かな?」
「はい、恋愛での戦果とは相手の好意です。攻撃を何回も行い、南里さんの好意を握り続けることにリソースを割いたほうがいいかと。兎賀さんになく星野さんにあるもの。具体策は、まあ、おわかりでしょう?」
…。
…空気が止まる。
…。
…。
パンパンパンッ。
「あっはっはっはっ!」
星野が大げさに手を叩いて愉快そうに笑う。なんだこいつ…。
「…何がおかしいんです?」
「そうやって烏丸先輩を篭絡したんだろうな。さぞ楽しかったろう」
「何を言って…」
「烏丸先輩を焚きつけた者がいる。体を使えとかなんとか。兎賀に向いたのはわりと成功、アキトに向いたらその話を兎賀に持っていって奴を煽るんだろう。それによって誰が利するのか、あれから考えていたんだ。今の話で疑念が確信に変わったよ」
「そうですか?」
「すました顔がいいな。春川」
「いきなり呼び捨てですか」
「私は博愛主義者なんだ。烏丸先輩も兎賀も大好きだ。春川、お前もだよ」
「それはどうも」
「ただ、アキトに手を出そうとするその行為だけは許さない。生活の安全保障が崩れるからな」
「なら、私はもう崩れてると見てますが」
「私は専守防衛をしたいんだ。何も相手に攻撃能力があるとわかっただけで、殲滅戦や飽和攻撃をしたいわけじゃない」
「過小評価し過ぎでは。もう南里さんの気持ちが傾いてるかもしれませんよ」
「春川、そう思いたいのはわかるが、そうじゃないんだ」
「どういうことです?」
「お前がなぜ兎賀とアキトをくっつけたいのかわからないが、そうはならない」
「は?」
「私がただアキトの家でメシだけ作ってるとでも思ってたのか? おめでたい奴だな」
…こいつ、家で何をしている。
「私が危惧してるのは、アキトの体も心も持って行かれて、今の生活がなくなることだ。どちらかであれば、私には何の問題もない。体を使えだと? お前の目的はそっちか」
「体に気持ちがついてくことも…」
「何かの見過ぎだよ、春川。体と気持ちが別のことはよくあるだろう?」
「バカな…」
「告白、キス、体、結婚、それが成されたら恋愛の勝利条件? 違うぞ春川。そんなものは一瞬で通り過ぎる通過点でしかない。誰かにそれをされても、関係を継続できれば私の勝ちだよ」
「お前…。南里とどんな関係なんだ?」
「なあ、春川。お前は後ろであれこれ指図しているだけで満足しているんだろう。でも、そのうち舞台に立ってしまうぞ。どうしようもなく舞台に引きずり出されるはずだ。あるいは自分で舞台に駆け上がる」
「推しは愛でるだけ。これが私の身上ですが」
「そう言って巻き込まれて、多くの国民を出兵せざるを得なくなった国はたくさんあるんだ。お前が兎賀に手を出したら、アメリカ参戦を聞いたチャーチルのように笑ってやる」
「手を出す? はあ? 私と兎賀さんがくっつくとでも?」
「恋は詭道なり、だよ」
「だまし合い? 連環計でもさせるつもりですか。いささか腹が立ちますね。この六者は天の災いにあらず、将の過なり。あなたこそ現状にあぐらをかかず、足元をすくわれないようにしたらいかがでしょう?」
「主は怒りを以て師を興こすべからずだ。私たちに火をつける前に冷静になれ。私はそこに興味はない」
興味がない? 私が? 私がしていることを? 私が兎賀を南里の正妻にしようとしていることを?
こいつはなんだ。なんなんだ。
私が考えていると見かねたように星野が声をかけた。
「是の故に勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」
「どういうことです?」
「わからないのか。私には勝ち筋は見えているが、お前のは戦いにもなっていないんだよ。敗兵が軍師気取りをするな。やりたきゃ自分で舞台に上がれ」
「はああ?」
「春川、話は終わりだ」
「納得できませんが」
「もう終わりなんだよ。春川」
ドンっ。
テーブルを両手の拳で叩く。
ふーっ、ふーっ。
怒りが…、怒りが収まらない。
私に頼るふりをしていて、こいつは…。私が軍師気取りだと? 敗兵だと? どす黒い言葉を星野へ吐きつける。
「その余裕がいつまで続くのか見ものだな」
「テーブル壊すなよ。ここは私の行きつけだ。金は払っといてやる。お帰りはあちらだ」
「言われなくても!」
私は立ち上がる。自分のかばんをひったくる。
星野はそれを無視して後ろを振り返り、隣の席のほうへ声をかけた。
「芝原、待たせた」
「いや、大丈夫」
いつのまに…。
「次はこいつに頼るのか、星野」
「もう頼ってるよ。お前が知らないだけだ」
「…コケにしやがって」
「素が出てるぞ、春川。ああ、いい顔だ。私はお前が大好きだ」
「クソが」
出口へと歩く。後ろの席の脇を通ると、芝原に声をかけられた。
「おい、春川」
「なんだァ、金魚の糞」
「手を引け。忠告したからな」
「知るかバカ」
喫茶店の扉を乱暴に開ける。やみくもにしばらく歩いていたら、どうにか怒りが収まってきた。
まあいい。私の願い、男同士のアレが見れればそれでいい。あいつら気持ちなんかどうでもいい。
私が南里に兎賀が襲われた件を伝え、兎賀を守るように促す。これでまた2人の距離が縮む。星野はそこからはじかれる。はは、ざまあみろ。
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次話は甘楽ジュンが再び登場。恋の報告を芝原チカにしますが、そこに春川メグミがやってきて…。タダでは済まなそうです。
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