第8話 烏丸スバル「女の腐った奴め!」
あれは暗に体を使えと言われたのだろうか。なかなか会おうとしない相手に、さて、どうやって体を使うんだ?
矢が的から外れる。後ろから後輩たちの残念そうな声が広がる。
今日はだめだ。無心になれない。
自分への負けを認めて弓を下す。後輩たちに断りを入れ、弓道場を後にした。
気を引くために本をたくさん読んだ。語ろうと何度もメッセージを送った。あいつらに助けを求めた。
何をしても。どうしても。どうやっても。
そもそもなぜ会おうとしない。なぜ告白したんだ。なぜ避けられる。なぜ…。
…。
…このままでは私がふられる?
…。
目が大きく開く。
そんな。そんなばかな…。ありえない。
焦燥感が体をめぐっていく。兎賀や星野の笑い顔がちらつく。特に兎賀…。
男に負ける? そんなのは許さない。いままで私は男に言うことを聞かせてきた女なのだから。
どうすればいい、どうすれば…。
脱ぎ掛けの袴の手を止める。
…南里の前から私以外を消せばいいのでは? 選択できる状態なら選択できなくすればいい。まずは兎賀。そのあとは…。
「なあんだ。簡単なことじゃないか」
自然に笑みがこぼれる。ああ、なんてすがしいすがしい。久しぶりにすっきりしたな…。
校舎のはずれにある人気のない空き教室。そこにふたりで入ると、兎賀はちょっと嫌そうな顔をしていた。
「烏丸先輩、どうしたんですか? アキトならまだ部室にいる…」
「ちょっと誰にも聞かれたくない話なんだ。ああは言ったものの私は降りようかと思ってな…」
「えっ、そうなんですか?」
後ろ手で扉を閉める。
「…先輩?」
兎賀が何かに気がつく。するすると表情が消えていく。
だめだ、どうしてもニヤニヤしてしまう。
身構えられる前に、私は一歩を踏み出す。走り出す。兎賀に体ごとぶつかる。あっけなく倒れる。兎賀の上に乗る。腕を片手でつかむ。暴れる。握りしめる。抵抗をあきらめるまで。もうひとつの手は…。
「やめてっ!」
まったくこの男は女のようにさえずる。私は諭すように言う。
「お前と既成事実を作ってしまえば、お前は主人公に嫌われる。わかれよ」
「何を言ってるんですか! おかしいですよ、そんなの!」
「お前のほうがおかしいだろ。変態が!」
片手でシャツを破く。ボタンが床に飛び散る。あはは。胸はないじゃないか。
…。
ひゅんと喉が鳴る。
私はそれが色気だというものになかなか気づけなかった。
すらりと伸びた細い首筋、いかにも首を絞めてくれと言わんばかりの。
ゆるやかな曲線を描く鎖骨、指でなぞってそのままへし折ってみたくなるほどの。
じんわりとした白い肌、殴ってあざを作ればきっと花のように美しいと思うほどの。
自分の体が兎賀に吸われていくように、犯したい、めちゃくちゃにしたいという衝動が瞬時に湧き上がる。
「や…」
兎賀がか細く鳴いて顔をそむける。
そのしぐさはあまりに生々しかった。
それはいますぐ犯せ、犯し尽くせというサインだった。
汗が垂れる。
こいつ…。
…。
バシャン!
扉が蹴られ、派手な音を立てて床に倒れた。
「やめてください先輩。無駄ですよ」
顔を上げて扉のほうを振り向くと、そこには星野がいた。
「…はは、なんだそれ。いつのまに…」
「押し倒されたとき、咄嗟に…」
兎賀が細く言う。壁際に飛んで行ったと思われるスマホがあった。
あは…。この口を塞ぎたい。罰を与えたい。じわりと手を伸ばす。
「烏丸先輩、そいつを犯してもアキトに泣きついて、うちらが悪者にされるだけですよ」
「…」
離れたがたい。このまま…、このまま…、このまま…。
「お前が悪いんだ」
兎賀に呪いの言葉を吐く。しぶしぶ体を離していく。自由になった兎賀は、体を起こし、やぶけたシャツを手で引き寄せてうつむき黙る。
痛々しいだと? 男のくせに…。男なのに…。ちっ。
「女の腐った奴め」
兎賀は顔を伏せたまま、少し笑う。
「それは最高のほめ言葉だね」
ふん。気持ち悪い出来損ないが、何を言う。
私は立ち上がる。息が乱れていることに今頃気が付く。どこかにぶつけたのだろうか、足が少し痛むのも理解した。
まあ、いい。
星野もいるなら好都合じゃないか。…さあ、続けよう。
「まだ、わからないんですか?」
星野が兎賀との間に立ちふさがる。
「おい。そいつは、お前の男を取ろうとしてんだぞ」
「だからって、これはやりすぎです」
「甘いな。そんな甘さだから南里を取られるんだ」
「ええ、甘いです。それが?」
星野が手を広げる。星野が私をまっすぐににらむ。
ふふ、少し震えているな。わかるぞ。私はもう化け物になったんだな。お前が怯えるような。
「まあいい。私は何度でもやるよ。何度でも」
私はゆっくり後ろに下がる。それを見た星野が、兎賀に手を貸し、よろよろと立たせた。
「兎賀さん、どうするのそれ?」
「…転んで破けたことにするよ」
「あとで私のジャージを貸すから。前はそれで隠して」
兎賀の手を引き、星野が私を遠巻きにして教室を出ようとする。
兎賀が私とすれ違うとき、震えた声で言う。
「負けないから」
星野が続ける。
「私もだよ」
私は言う。
「あはは。言ってろ。私が最後に勝つ」
文芸部の扉は灰色の鉄製でとても重い。片手では開かないそれを乱暴に体ごと押し開ける。本が山積みになったテーブルのその奥に南里がいた。彼は私に気がついて本を置き、こちらのほうに顔を向けた。
「どうしたんですか、烏丸先輩?」
お前が…。お前が…。
「お前がーっ!!」
テーブルの上の本を両手でなぎ倒す。ドサドサと音を立てて本が崩れ堕ちていく。テーブルの空いたところに乗りかかり、その上を獣のように這いながら前に進む。進むのに邪魔な本を両手で押しのける。こんなものが! こんなものがあるから! 本がテーブルの下へと落ちていく。ドサドサ。ドサドサ。ドサドサ。
南里は顔色ひとつ変えずただ私を見ている。怒りで体中が沸騰する。荒い息の音で頭がいっぱいになる。
私は南里の胸倉をつかんで、力任せに引き寄せた。
「お前が私をこんな化け物にしたんだ! どうしてくれる!」
それは自然な動作だった。
南里の顔が近づく。
唇と唇が重なる。
その瞬間は何をされたのかよくわからなかった。南里の息を感じ、ようやくキスされていることに気がついた。
それは、すごく長い時間に感じたが、たぶん数秒のことだったろう。ゆっくり南里の顔が離れていく。
驚きを隠せない私に南里が言う。
「烏丸先輩、いまはこれぐらいしかできません。でも、いつかきっと。待ってもらえたら」
南里をつかんでいた手を放す。そのままテーブルの上にぺたりと座り込む。唇に指をあてる。柔らかかったな…。
「ああ…」
それが私の精一杯の返事だった。
自宅に帰ると母に具合が悪いと嘘をつき、自室に引きこもる。
机の下の引き出しをガラガラと開ける。そこからひとつずつ黒い物を取り出していく。
バトン型スタンガンSKF-3。
バトン型スタンガンASDF8万ボルトタイプ。
ハンディ型スタンガンABT8。
拳銃型スタンガンPLUT-PS。
トリプルアクション催涙スプレーMES。
UGI型特殊警棒。
並べ終えると少しは気が晴れた。
私は強い。私は強いんだ。南里に選ばれたんだ。あのふたりなんか、いつでもどうにでもできる。
スタンガンの黒い光沢をなぞっていく。その圧倒的な暴力を秘めた姿に目を細めてうっとりする。
兎賀め…。
あの色香、確かに男のものではなかった。女の自分でもくらくらしてしまった。本能であれは危険と思った。
このままではいつか南里も…。
「なんでいうこと聞かないのかな…」
男が男に好きになるなんて…。
ありえない…。
絶対に。
スタンガンを手に取り、チラチラさせながら思う
「めんどくさいな、もう…。みんな殺しちゃおうか、ふふ」
手にした黒い暴力を机に放り投げる。バラバラとした重たい音が響いた。
椅子に座ったまま手を組んで上げ、背伸びをする。
「あー、拳銃欲しいなー」
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次話はこの事件を受けて星野ミヤコと春川メグミが話し合います。それは無事では済まなくて…。
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