第6話 星野ミヤコ「お前らなんかに負けるはずがない」



 状況を整理しよう。


 アキトは烏丸先輩に告白済み。だけど、恋人らしい付き合いが乏しい。最近は兎賀と仲がいい。それ以上先に進むとは思いたくないが…。私とは少し喧嘩もしたけれど、いまでは元の状態に戻っている。

 烏丸先輩は恋人として扱われていないことにイライラしている。もともと男にちやほやされて生きてきたような人だ。状況として面食らっているはずだ。私にまで相談しだしたのだから、だいぶ焦っているのだろう。アキトに好意を持っているのは明らかだ。こんな仕打ちされたら普通は関係を断つ。まったくやっかいだな…。

 兎賀は…。正直わからない。アキト以外と仲良くはしていないのは知っている。本好きらしく、アキトとはそれをきっかけに仲良くなったようだ。あまり深く考えると死にそうになるが、それでも冷静に見ればアキトに好意はあるのだろう。何かしら関係を進めようとする気配はある。

 それを見ている周りはわりと引いている。アキトの立ち振る舞いで、兎賀へのちょっかいは男女ともに減った。春川ぐらいだろうか。積極的に兎賀と話そうとしているのは。腐女子を公言しているような女だからほっとけないのだろう。ご苦労なことだ。アキトと私の関係がズレ始めたことに気がついた芝原あたりは、わりと本気で心配してくれているけど…。

 私は…、私はどうしたらいいのだろう。アキトを縛るような言葉をかけたくない。…なんていうのは建前だ。もし告白したとして、アキトからよくない返事をもらった場合、この愛すべきいまの生活を続けられなくなる。それだけは避けたい。本音としては気持ちを打ち明けるのは「よい返事しかをもらえない状態」に追い込んでからでいい。そのためには、なるべくいまの中途半端な状態を続けていく。そして誰にも決定的な状況にさせない、というところが正解なんだろう。

 どこまでコントロールできるのか…。外堀は埋めている。仲の良い友達を中心にそれとなく情報をもらえている。彼らも面白がっているのだ。それを最大限に活かす。そういや新入部員がいたな。あれを使って文芸部の状況を監視していくか…。わからないのは兎賀だ。いじめの状況を活かしてアキトに抱き着くなど、なかなかの策士じゃないか。やはり最大の障害とみなすべきだろう。ランチェスターの法則に倣えば、有効な攻撃ができる味方を増やしたいところだ。兎賀対私たちという関係に持っていくのがいちばん良さそうに思う。最大の敵を最大の火力で撃ち滅ぼす。あとはそれからでいい。

 アキトの家の食卓。深く赤い夕日が差し込み、さっきまで温かったおかずたちを照らしている。おひたしをアキトに見立て、煮物やらサラダやらにくっつける。はあああ…。私はいったい何をしているんだろ。アキト、遅いな…。



 あくる日。授業が終わり、芝原たちと少し話して帰り支度を始めていたころ、兎賀がのんびりとやってきた。


 「あれ、アキトは?」

 「図書室か文芸部の部室じゃない? そっちは兎賀さんのほうが詳しいでしょ?」

 「どっちもいなかったんだよね。借りた本を返そうと思ってたのに」

 「預かろうか? 今日もアキトの家には行くし」

 「うーん、いっしょに感想も言いたかったんだけど…。まあ、しょうがないか」


 一冊の小さい本を渡される。背表紙が水色だ。確かにアキトの本棚で見たことがある。


 「なんか言っとく?」

 「いいよ、私が直接言うから。お嫁さん」


 どうにも言い方に棘がある。表面上、私たち3人は仲良しでなければならない。ここで兎賀との距離が離れてしまうと、アキトとの状況が見えなくなるからだ。ひたすら怒りを抑えながら、あいまいに笑う。


 「星野さん、アキトどうしたんだろうね。烏丸先輩のとこかな」

 「特に連絡ないけど」

 「いまごろいやらしいことしてたりして」

 「そういうことはないでしょ」

 「言い切れるの?」

 「まあ…。ないから」

 「ずいぶん自信があるね」

 「さすがに付き合い長いからね。兎賀さんと違って」

 「そう…」


 兎賀が目を細めて私を見つめる。ああ、つい言ってしまった。しかし、でも…。


 「烏丸先輩をどうしたいのか、アキトに聞いたことがあるんだよ」

 「それは…。なんて言ってたの?」


 兎賀はくるりと楽しそうに回る。髪が揺れ、光に照らされ、それは可憐な美しい踊り子のように見えた。

 ぴたりと止まると、いたずらしたくてたまらない顔で私を覗き込む。


 「自分で聞いてみれば?」

 「お前…」


 拳を握ってしまう。できることならこいつをいますぐボコボコにしたい。罪状はアキトをたぶらかしていること。それだけでじゅうぶんだ。


 「くふふ、さっきの仕返しだから。気にしないで星野さん」


 兎賀が私に手を伸ばす。その手は私に届かない。


 「でも、自分で聞かないと進まないことだってあるんだよ」


 彼は寂しそうにそう言う。

 なんでそんなことを言われなければならない。

 …あ。これって烏丸先輩に私が問いかけた言葉だ。

 扉を開ける音。入ってきたアキトは、私たちに気が付いて近づいてくる。


 「あれ、まだミヤコいる」

 「アキト、どこいたの?」

 「いやなんか生徒会が学生アンケート取りたいとかで、さっきまで打合せしてたんだよ」

 「そっか。少し心配してたよ」

 「ごめんな、急に捕まったんだ。いっしょに帰れそうだし、なんかどっかで適当なものでも食べようか? ハルカはどう? いっしょに来る?」

 「私はいいよ。嫁と旦那でどうかお幸せに」


 兎賀は細めた目で笑顔を作り、手を小さく振る。

 兎賀と私たちの間には距離がある。決して同じ場所に立てない長い距離。



 午前2時、眠たい目をこすりながら、ベットから出る。机に置いたスマホがぶるぶる震えている。手に取って見ると、もう100件ぐらい未読メッセージが溜まっていた。あ、また来た。さすがに5分起きにメッセージがくるようになると、だいぶつらい。


 「烏丸先輩は壊れたな…」


 そうつぶやくと、のろのろとメッセージを読んでいく。「このまま相手にされず捨てられる不安」「奇麗な女の私になびくはずというプライド」「何をしても気を引けない焦り」「イライラとした怒り」「他にすべきことがないのか助けの求め」、要約するとこんな感じだ。さすがに度が過ぎてる。心底めんどくさくなってきた…。このまま兎賀に言われた「自分で聞いてみれば?」と突き返してブロックするのはたやすい。しかし…。兎賀への緩衝帯や援軍として烏丸先輩は押さえておきたい。

 ここは私以外の相談相手を用立てて、烏丸先輩の気持ちを分散するしかないか…。



 「それで私に話を聞きたいと」

 「来てもらえてうれしいな。春川メグミさん」

 「なあ、星野。こいつが切り札なのか?」

 「私はそう思いますよ。そういう男同士の恋愛に詳しい人ですから」

 「そうなのか!」

 「はい。おそらく学校一詳しいと自負しています」

 「それはすごいな! 頼む。よくわからないんだ」


 それからは烏丸先輩が一方的に喋った。アキトに告白されてからあまり恋人らしいことができないこと、かなり無視されていること、最近は兎賀とばかり仲良くなっていること。

 古い喫茶店の古めかしいソファにもたれかかる。宝石のような緑色のクリームソーダ。そこに浮かぶアイスをスプーンでひとさじすくいながら、ふたりの話に聞き入る。

 意外とこいつできるな…。脈絡もなく話してくる烏丸先輩の話を、聞きながら組み立て、わからないところを的確な質問で引き出してくる。


 「でも、きっと星野さんは違う考えをお持ちなのでは?」


 話をふられる。烏丸先輩からの情報は吸収し終えた、というところか。


 「そうだね。私としては烏丸先輩とアキトがそれなりに仲良くなるのは容認できるところで、兎賀を脅威として捉えているのは烏丸先輩と同じだけど、私のほうが危機意識が高いと思う」

 「性別の壁は乗り越えられると?」

 「ええ。アキトにあまりそういうところを気にしていない感じはある」

 「では、どこらへんが脅威なんでしょうか?」

 「それは…。つかめないところかな」

 「つかめないとは?」

 「本好き同士で友達になるのはかまわないのだけど、なんかこうアキトの気を引いてくるところがわからない。好意から来るところではあるかもしれないし、アキトが優しいから勘違いさせているのかもしれない。いずれにしろ兎賀がわからないから怖いとは思ってる」

 「なるほど…。では。わかってしまえばいいのでは?」

 「それができれば苦労は…。ふふ、捕まえてローブでぐるぐる巻きにして口を割らせたほうがよいとでも?」

 「それでも本心かどうかはわかりませんよね」

 「それはそうだね」

 「では、それがはっきりわかるシチュエーションにすればいいんですよ。どうしても本心を語らないといけないような、そんなシチュエーションに追い込めばいい」

 「そんなシチュエーションがあるの?」

 「ありますよ。南里さんが『俺のことどう思ってるんだ?』と兎賀さんに問いただすとか」

 「それは…。リスクが大きすぎる」

 「そうでしょうか? これは兎賀さんがどう答えようとも、南里さんがその後の態度をはっきりしなければ問題ありません。だから決定的にはならない」

 「たしかに…」

 「星野さんの勝ち条件は、おそらく今のあいまいな状態をできるだけ長く続けることだと思いますが、違いますか?」

 「どうして! それを…」

 「よくあるストーリーです。そしてよくある勝ちパターンでもあります。機を見てるのでしょうね、星野さんは」

 「ええ、そうだけど」

 「でも、機を見すぎて負けヒロインになるパターンも多くあります」

 「では、どうしろと」

 「タイムリミットを決めてしまえばいいのです」

 「そうか…」


 なるほど、それは確かに。考えていたら、烏丸先輩が身を乗り出して私たちの話を遮る。


 「おいおい、お前たち、何の話をしているんだ」

 「恋愛の話ですよ?」

 「いや…。横で聞いていたらぜんぜん違う話に…」

 「烏丸先輩」

 「なんだ星野?」

 「恋愛は戦いですよ。クラウゼヴィッツ先生もそう言ってました」

 「誰だそれは?」

 「少なくても私はちょっと見えてきました。春川さん、具体策はある?」

 「ええ、もちろん。こういう計画にしてしまえばいいんです」


 それを口にしたとき、一瞬、春川の口がゆがんだ。笑ったのかもしれない。春川は信用すべき良き隣人なのか、それともただの化け物か。

 そしてその夜、私と兎賀と烏丸先輩の3人が公園へ集まった。



 別所坂公園。そこは坂の途中に作られた公園で、入口から細い階段が続き、上にあるぽっかり開けた場所につながっている。広い砂場があり、傾斜を生かした横に長い滑り台が続いている。高台にあるので、公園の端からは街を一望できる。とくに夜はビルや家々のきらめく明かりが連なり、とても奇麗だ。いま、私たち3人は、そういう場所にいる。

 黒いパーカーをだらしなく着ている兎賀が、一歩踏み出して口を開く。


 「これはこれは。みなさん、どうしたんですか?」


 袴のようなロングスカートをひらりと返し、烏丸先輩が長い髪を揺らして私たちに問いかける。


 「この3人は南里に愛されたいと願っている。違うか?」

 「なるほど、そういう話ですか」


 私はベンチから立ち上がり、綿のワンピースをはたきながら言う。


 「そうですよ。そういう話です」


 烏丸先輩が一歩近づくと強い口調で言った。


 「フェアに行こう。今からクリスマスまでに、南里に彼女を決めてもらう」

 「へえ」

 「彼女に選ばれなかった者は手を引け。それがルールだ」

 「くふふ、なんですかそれ」


 兎賀は口元を袖で押さえ、すごく楽しそうに笑っている。私は打ち合わせたときと同じセリフを言う。


 「私はわかったわ。それで行きましょう。兎賀さんは?」


 笑みが消える。目が変わる。少しうつむく。

 兎賀は私のほうを見て尋ねた。


 「ねえ、星野さんはそれでいいの?」

 「…お前らなんかに負けるはずがない」

 「そう」


 兎賀が口元がゆがむ。驚くほど低い声で言う。


 「負けませんよ。私も」


 空気が凍る。夏なのに凍死してしまう。公園の青白い灯に照らされながら、3人はただにらみ合う。

 耐えかねたように烏丸先輩が口を開く。


 「なあ、おかしいだろ? お前男だろ?」

 「だから?」


 兎賀は明らかに怒気を含んだその言葉を放つと、くるりと背を私たちに向け、そのまま去っていく。見つめる私たちを無視するように、1歩、また1歩と遠ざかっていく。




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次話は登場した春川メグミの本心が語られます! メガネをキラっとさせて、何を想うのでしょうか?

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