第5話 甘楽ジュン「先輩たちって仲がいいんですね」


 「ジュン~」


 学校の中庭にあるベンチに座ってたら、後ろから抱きしめられた。気配で分かっていたけれど、おおげさに驚いてみせることにした。


 「もう、びっくりしたー」

 「あはは。ジュンはかわいいなあ」

 「子供の頃とは違うんですから。芝原先輩」

 「一緒に遊んでたのに、こんなに大きくなってー」

 「なんですか、それ。どこかのお母さんですか」

 「あはは。ほい、お弁当」

 「ありがとう。チカ姉ちゃん…」

 「くうう。たまらんなあ」

 「もう」


 ふざけてくっついてくるのを両手で抑えつつ、お弁当をもらう。

 芝原さんこと、チカ姉ちゃんは母が務めている惣菜屋さんの子で、よくいっしょに遊んでもらっていた。ずっと本当の姉妹のように仲がよかった。いっしょにいたずらしては二人の母親から同時に叱られた。高校もチカ姉ちゃんと同じところに行きたくて勉強をがんばった。そのおかげで、いまでもいっしょの時間を過ごせてる。…もうひとつがんばっていたことがあったけれど。


 「足は? もう痛まない?」

 「心配性なんだから。激しい運動をしなければ大丈夫だって、いっしょに先生に聞いたでしょ」

 「そうだけどさ。お姉ちゃんとしては心配なんだよ。あんだけ走るのがんばってたから」

 「そうだね…。あーあ。インターハイ出たかったなー」

 「高校入ってすぐだったね。膝の骨がおかしいってわかったの。あのときお姉ちゃん、びっくりしたんだから。痛がって病院に運ばれて…」

 「ごめんね、心配かけて。でも、もう大丈夫だから」

 「本当? 本当? 嘘つかない?」

 「つかないって」

 「もう、心配だなあ」


 むぎゅーと抱きしめられる。膝に置いてたお弁当が落ちそうになって、ちょっと慌てた。


 「ほらもう。落としちゃうでしょ」

 「あはは。ジュンはいつもがんばっててえらいえらい」

 「いつまでも子供扱いして…」


 ふと、チカ姉ちゃんが遠くを見る。


 「ジュンみたいないい子は悪に染まらないか心配だな」

 「なにそれ」

 「お姉ちゃんの友達で、妖魔司教ザボエラみたいな人がいてね」

 「妖魔司教」

 「なんかこう、好きな人のために権謀術策を練ってるんだけど、どうにもやることが悪役ぽいんだよね」

 「権謀術策」

 「なんていうかさ、人を好きになることって、そこまで堕ちるものなのかなって」

 「堕ちるって…。よくわかんないけど、好きになったらそこまでやるんじゃないの? この人のためなら、みたいな」

 「ううん、違うよ、ジュン。それは違う。好きな人ができても、ジュンはそういう人になっちゃダメだよ」

 「まあ…」


 人を好きになるか…。まだよくわかんないな。そういう日はいつか来るのかな。

 ふたりでもそもそとお弁当を食べる。いつものミートボールはとてもおいしい…。でも、もうちょっと楽しくいたい。話題を変えたいと思っていたら、チカ姉ちゃんが口を開いた。


 「あ、そうだ。陸上部もう辞めたんでしょ。新しい部活決めた?」

 「まだだけど?」

 「ほら、うちの高校って、どこかの部活に必ず入んないといけないし」

 「うーん、なんか先生に聞いたら夏休みまでに入ればいいって言われたよ」

 「え。もう1か月ないよ?」

 「そうだけどさ…。なんか運動部以外の部活って、よくわからなくて」

 「まあ、ずっとそっちだったからね…」

 「いいとこ知ってる?」

 「美術部とかはむずかしそうだし。あんな絵じゃ…」

 「う」

 「科学部ってわけでもないし。あんなテストの点数じゃ…」

 「うう」

 「軽音ってわけでもないし。あんな音痴じゃ…」

 「ううう」

 「まあ、消去法で言うと、あそこしかないかな…」

 「どこ?」

 「文芸部」

 「ああ、そっか。私、本なら読めるよ」

 「そりゃ読めるでしょ。ああもう、ポンコツかわいいな、ジュンは」

 「なにそれ、ってもうチカ姉ちゃんってば」


 チカ姉ちゃんにむぎゅむぎゅされながら思う。いつも心配してくれる。心配をかけたくない。私はいつだって前向きだ。それを見せなきゃ。がんばろう!おー!



 文芸部の部室にある重い扉を恐る恐る開ける。


 「すみません…」


 壁一面の灰色のキャビネット。テーブルに乱雑に積み上げられた本の山。その奥にひとりの男の人が座っていた。読んでいた本から目を離すと、私を興味深く見つめた。


 「どうしたのかな?」

 「あ、あの。1年C組の甘楽ジュンです。入部希望です!」

 「そうか…。あ、ちょっと待って」


 彼は立ち上がるとキャビネットの引き出しをいくつか開けて何かを探し出した。


 「ああ、あった。これ入部希望の紙だから。ここに名前書いて先生に持っていけばいいよ」

 「ありがとうございます! って、それだけですか?」

 「あ、ごめん。言い遅れたね。僕は2年A組の南里アキトです」

 「2年A組! 芝原さんってわかります?」

 「ああ、ミヤコの友達の。知ってるよ」

 「良かった。私、その人の妹みたいなものです」

 「そうなんだ」


 チカ姉ちゃんを知っている人がいるのはちょっとうれしい。


 「それで、その…。この部活って、どんなことをすればいいですか?」

 「うーん、僕もよくわからなくて」

 「え?」

 「わりと顧問の先生も放置気味で。先輩たちも基本来なくて」

 「な?」

 「まあ一応年に1回、文集を書くぐらいかな。ほら、この棚に歴代のが…」


 ペラペラとした薄い冊子を1部取り出し、パラパラとめくりだす。ちらっと見ただけで余白が多すぎだと思った。


 「私、がんばりたいんですが…」

 「がんばるね…。そうだ、どんな本を読む?」

 「その…。私って運動ばかりで、あんまり、その、よくわからなくて」


 呆れられるかと思ったが、南里先輩は私にやさしく微笑みかけた。


 「そうか、そういうことなら…」


 テーブルの本の山から、崩れないように注意しつつ1冊の本を取り出す。ほこりを袖でぬぐい、それを私に渡す。


 「これはカレルチャペックという作家の『ダーシェンカ』という本で、この人が一緒に暮らした犬のことを書いているんだ。ちょっとページをめくってみて」

 「はい…。わあ、かわいい!」

 「ところどころ犬のイラストが入ってて、それがすごくいいんだ。たぶん読みやすいんじゃないかな。まずは、この本をがんばって読んでごらん」

 「はい! これなら読めそうです!」

 「そう、よかった」


 南里先輩はやさしいな。こんな人なら…。そんなことを思ってたら、部室に人が入ってきた。


 「アキト、いるー?」

 「あれ、ミヤコ。めずらしいね」

 「めずらしいって…。烏丸先輩が探してたよ」

 「そうか…。さてと」

 「なに逃げようとしてんの。烏丸先輩に詰められるの私なんだよ」

 「ごめんな、ミヤコ」

 「もう…、ってあれ?」


 私のほうに先輩が振り向く。あいさつは元気良くしなくちゃ。


 「あ、あの! 新しく入部した甘楽ジュンといいます!」

 「ん? こんな時期に新入部員?」

 「いままで陸上部にいたんですが、足をおかしくしちゃって」

 「そうなんだ…。あ、私は星野ミヤコね。アキトと同じ2年生。一応、ここの幽霊部員だから」

 「ミヤコ、自分で幽霊部員って名乗るのはどうなんだろうか」

 「はあ…。誰が毎日夕飯作ってると思ってるの? ちゃんと先生には家庭の事情でって断っているんだから」

 「ああ、そうか」

 「そうかって…。甘楽さん、この人は本のことしかわからない人だから、気を付けてね。苦情やご不満なところは私に言えばなんとかするから」

 「は、はい!」

 「アキトいる?」


 またひとり部室に入ってきた。その人はなんというか。胸元が少し空いたり、ちょっとだらしなく服を着こなしていて、それがなんというか、美しく思えた。


 「あれ、お客さん?」

 「ハルカ、こちら新入部員の甘楽さん」

 「はじめまして!」

 「ありがとう甘楽さん。私もここの部員やってる2年の兎賀ハルカと言います。よろしくね」

 「よろしくお願いします! その…、なんで女の人が男の制服を着ているんです?」


 その奇麗な人はきょとんとびっくりした顔をした。星野先輩が兎賀先輩を指さしながら、こちらを向いて言う。


 「これ、男よ」

 「ええーっ。ぜんぜん見えない」

 「くふふ。よく言われます」

 「その、私、始めてで…。ごめんなさい」

 「気にしないでいいよ」


 兎賀先輩が目を細めて私に笑いかける。とても奇麗な人だな…。見惚れていたら、星野先輩が兎賀先輩のほうに振り向いて問いかける。


 「で。兎賀さんも烏丸先輩に詰められた感じ?」

 「そうそう。ついさっき烏丸先輩にばったり会ってさ。アキト連れて行かないと食い殺されそうな勢いで言われちゃって。あ、アキト、さっき居留守使ったでしょ」

 「ばれてた?」

 「それはもう。お怒りで、お湯が沸くぐらい」

 「そうか…」

 「だーかーらー。どうして逃げようとする」

 「ミヤコ、かんべんしてよ」

 「だめだってば。放置プレイしているあんたが悪いでしょ」

 「あはは、先輩たちなんだか面白いです」


 私は3人のやりとりを見ていたら、なんだか楽しくなって笑ってしまった。


 「先輩たちって、とっても仲がいいんですね」


 …。

 ……。

 あ、あれ?

 3人がそれぞれ違う方向に顔をそむける。そして少し目を伏せて困った顔をした。

 微妙な空気が広がっていく。何かをむしばむように。

 私、何か良くないこと言ったのかな…。


 バン!

 兎賀先輩が南里先輩の背中を叩いたあと、私におどけながら言った。


 「アキトはロクデナシだから好きになっちゃだめだよ」

 「おいおい、ハルカ、本気にされたらまずいだろ」

 「好きになるなってとこ?」

 「いやロクデナシというところだよ」

 「好きだって言ったくせに恋人らしくかまってあげれない人が何を言ってるの?」

 「はいはい、連行しますよー」

 「ああっ、ミヤコ引っ張るなって。じゃあ甘楽さんまたね。部室は適当に使っていいから」


 部室の扉が閉じられる。とても静かになる。カーテンからは外の日差しが漏れだし、テーブルの本を照らしている。

 私はひとりになった。

 まあいいか。先輩たちはいい人たちぽい。

 南里先輩はやさしさにあふれた人だ。

 星野先輩はあったかい世話焼きなお母さんのように思えた。

 兎賀先輩は…。なんだろう。不思議な人かな。

 文芸部、がんばれそう。

 さっきまで南里先輩がいた椅子に座り、渡された本のページをめくる。1ページ進むたびに、かわいい話があふれだす。

 この本を読もう。私ならできる。On your mark! Get set! Go! 甘楽ジュン、いつものようにがんばろう。



---

次話は星野ミヤコが烏丸先輩といっしょに兎賀ハルカに宣戦布告します! 南里アキト争奪戦の始まりです!

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