第4話 星野ミヤコ「私たちの安心を奪わないで」
気が重いなんてものではなかった。正直、烏丸先輩はどうでもいい。あれでは自然消滅もいいところだろう。でも、兎賀は、安心できない…。烏丸先輩とアキトの告白のときに見せた兎賀の笑顔は、どうにも不安にさせる。図書室で本を読む兎賀を前にして、私はいいようのない感情を抱えていた。それを見せないように努めて笑顔で語りかける。
「兎賀さん」
「ん? 星野さん、どうかした?」
「その…、アキトから助けてあげて欲しいと言われて」
「何を?」
「それが…。私もよくわかっていないんだけど、なんか苦労してるって」
「ああ。なるほどね」
兎賀が本を閉じる。目を細めて私に笑いかける。
「アキトはやさしいね」
「まあ、ああいう男ですから」
「そうだね。連絡先交換していい? 何かあったら相談したいから」
「いいよ」
お互いとスマホを見せ合いながら、フレンドになる。兎賀とフレンドか…。うーん。
「それで、これからどう助ければいい?」
「そうだね…」
兎賀が何かを演じているように頭をかしげる。それからふと思いついたように言う。
「じゃあ、アキトをちょうだい」
「はああ? 何を言って…」
「なんてね」
彼はそれはそれはとてもよい笑顔で私に笑いかけた。
昼休みは、だいたい仲の良い女子グループと一緒にご飯を食べている。机を寄せて5人ぐらいで、ご飯を食べながら、差し障りはないがそれなりに面白い話題を語り合う。先生の髪の薄さ具合が進行しているとか、グループの一人が飼ってる猫がかわいいとか、近づいてきた夏休みの話とか。「それそれ」「わかる!」「ウケる」「かわいい!」「何の話だっけ」がたくさん混じった会話。その女子たちの声が暖かい。この場こそ女の本質だと思う。最近気に病むことが多かった。ドン引かれるので、ここでは話せないが、まあそれはそれ。女子たちの会話を聞きながら、私は確かに癒されていた。
「そういえば、兎賀さんどう?」
いい気持になっていたら、仲の良い芝原に急に話しかけられてびっくりした。
「どうって…。とくに何もないけれど」
私がそう言い返すと女子グループは自動で語りだした。
「なんかさー、キモくない? 男子たちがあたふたしてさ」
「ああ、わかる。なんか浮つきだしたよね」
「意味わかんないよね。相手、男だよ」
「そうそう。まあ、かわいいのはわかるけど」
「メイクしたらもっと化けそうだよね」
「女物の服を着させたらどこまで行けるかな」
「え? 何着させるの?」
「よくわかんないけど、オフショルダーとかエロいキャミとか? 白いワンピースじゃないよね」
「それな」
「あはは。きっしょい!」
「本人には言えないけど、こっちくんなって感じかな。まあ絡んでこないし、いいけど」
「そういやさ、旦那がわりと兎賀さんに絡んでない?」
みんなが私を見る。なんて返事すればいいのか。それを言ってしまったらたぶん次に起こることはわかっていた。でも…。いや…。あいつが悪いんだ。そうだ…。あいつのせいだ。
「まあ…、ちょっと、ウザいよね?」
それを言ったらみんなが納得した。「ウザい」はよくできた大義名分だ。私はそれを与えてしまった。
言い訳ができると人は何でもできる。良いことも良くないことも。ただ、それは少しずつ行われていく。
最初は、ちょっとしたゴミが兎賀の机に入れられるとこから始まった。それは消しゴムのカスだったり、丸めたティッシュだったり。自分で間違えて入れたのかな?ぐらいのものだ。実際に兎賀はそれを見て不思議そうにしていた。女子たちはそれを見て、兎賀のいないところで、くすくすと笑っていた。
人は同じ内容では飽きる。もっと新しい何かが欲しくなる。だからだんだんエスカレートしていく。ティッシュから汚れた雑巾になるのはすぐだった。実行犯は誰だかわからない。ネット上では兎賀の悪口が堰を切ったようにあふれていたから、誰でも犯人に成りえた。
それを眺めながら、私は兎賀がこれで学校に来なくなって欲しいと願ってしまった。頼むから。頼むから。私たちの安心の場を奪わないでくれ…。アキトと私の生活を奪わないでくれ…。ただ静かに去ってくれと…。私は卑怯者だ。だけど、それでも願った。
さすがに気が付いただろうが、兎賀は何でもないようにしていた。反応がなければもっと強い反応をさせたくなる。ある朝に兎賀が席に座るなり「ひっ」という小さな声を上げてあとずさった。椅子が大きな音を立てて倒れる。何事かとみんなが注目するなか、机の中から灰色の毛皮を着た小さな動物が落ちた。血が少し床に飛び散る。私は「どこで見つけたんだそんなもの」とのんびり思った。
そのまま具合悪そうに兎賀が教室から出ていく。「ウザいから懲らしめてやった」と多くのクラスの女子たちは思ってたようだが、私は複雑にそれを見ていた。何もそこまでも? そこまでしないとわかってもらえない? これでなんとかなるのなら? 穏便に解決? 本当に?
私は、そんなふうに見てるだけだったが、アキトは違った。
「おい、ハルカ!」
呼び止めても去っていく兎賀を追いかけていく。それはよくない、よくないぞ。私も立ち上がり、アキトのあとを追いかける。同じフロアの空き教室に逃げ込むのが見えた。開いた扉で話声が聞こえた。私はそのまま踏み込めず、教室の外からアキトの背中を見ていた。アキトが少し低い声で聞く。
「大丈夫か?」
「ごめん…」
兎賀のすすり泣く声が聞こえる。さすがに後悔はしたが、でも…。兎賀があんなことを言ったせいだ。仕方がないんだ。私は必死に自分を許そうとした。
「いつからいじめられている?」
「わからないよ。でも…」
口ごもる兎賀に、少し怒っているアキトが静かに聞き返す。
「でも?」
「ごめん…少しだけ…」
兎賀がアキトに抱きついた。顎をゆっくりアキトの肩に載せる。兎賀の泣き顔が恍惚とした表情に変わっていく。
「細いな…、ハルカは本当は女の子なんだろうな…」
アキトはぼんやりそう言う。
な…。
だめだ、だめだ。そんなのはだめだ。
「ア…」
と声をかけようとしたときに踏みとどまった。
笑っていた。
私のほうを向いて兎賀が笑っていた。
こいつは…。
明らかに利用したんだ。アキトに抱きしめられるために。
「あ、星野。こんなところで何やって…」
烏丸先輩の声が後ろからしたが振り向けなかった。
「先輩も危機感、持ってください」
「…そうだな」
烏丸先輩の圧を背中に感じる。ようやくこの人はわかったのか。
私は二人に鋭く声をかける。
「アキト」
二人がとっさに離れる。アキトが言う。
「…ハルカがいじめられているようなんだ。ミヤコ、何か知らないか?」
「アキト、何をしていたの?」
「ミヤコ」
私とアキトが見つめ合う。空気が凍り付いたまま時間が過ぎていく。話したい。でも何を? 話してほしい。でも何を?
2人ではどうにもならなくなったとき、兎賀が割って入った。
「ごめんね、星野さん。少し心細かったから抱きついちゃった。もうしないよ」
「本当?」
「本当だよ」
目を細めて、彼はそれはそれはとてもよい笑顔で私に笑いかけた。
それから家に帰ると、アキトとあまり話さず、夕ご飯を作ってもくもくと食べた。それまで喧嘩はあったが、今回は空気の重さが違っていた。洗い物を終えて暗い自宅に帰るなり、かばんを放り投げ、ふてくされてベッドに入る。アキトはやさしすぎる。でも、やさしさだけなのか…? 本当に? 怖い考えにどんどんなっていく。
このままだと兎賀にポイントを上げられてしまう。あんな言い訳でアキトにくっつかれるのはもういやだ。ここらが潮時か…。
かばんからスマホを取り出してロックを外す。顔だけがスマホの明かりに青白く照らされる。クラスの女子たちのグループを開く。仲が良い女子たちだけが知っているグループ。今朝の話はまだ盛り上がっていて、ざまあみろという言葉をもっと汚くした言葉があふれていた。ふうとため息をひとつだけ漏らす。それから「さすがに先生にチクられると面倒くさいよね」とメッセージを書き込んだ。それは波紋のように広がっていった。「それな」「ちょっとやりすぎ」「もう飽きたし」「まああれで懲りたっしょ」と、みんなそれぞれに理由をつけて遠ざかっていく。芝原だけが「いいの?」と聞いてきたが、どう返事すればいいのか気持ちがまとまらず、それは無視した。
リスクを示せば、みんな手を引く。みんないっしょ。そう、逃げるときはみんないっしょ。
「気持ちわる…」
スマホをベットに放り投げる。そう言う自分も気持ち悪いひとりだっけ。はは…。
暗い天井を見上げる。いままでアキトをつかんでいた手が振り払われてしまうかもしれない。その恐怖が、じんわりと私の心を侵食していった。
そんなことはない。ないはずだ。考えろ。考えるんだ。いろいろな策を考える。でも、何をしても勝てる気がしない。意外と難攻不落。まあ、それでも…。いつかはアキトは私に戻る。わずかで切れそうな望みだけど、いままでと変わらずにそう信じることにした。そうしなければ怖くてどうにかなりそうだったから。
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次話は少し変わって青春にまっすぐな娘、甘楽ジュンが星野ミヤコの親友、芝原チカと一緒に登場します! どうこの関係に絡むのでしょうか?
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