第2話 南里アキト「僕には女の子がわからない」
みんなもいつの日にか、ふと気がついてしまったことがあるだろう。僕も気づいてしまったほうだ。
たとえば、ミヤコの両親が自分の家より仲良かったこと。ミヤコには話さないが、僕の両親がなかなか家に帰らないのは仕事だけが理由ではなかった。
たとえば、ミヤコは僕より素晴らしい人だということ。ミヤコは僕より頭がよく、学年の順位ではいつも一桁だ。僕は中の下。友達も僕より多くて慕われている。
たとえば、ミヤコと僕は釣り合わないということ。根暗で本ばかり読んでいる出来の悪い僕は、いつもミヤコの足を引っ張っている気がしている。
僕はミヤコに嫌われたかった。
僕は君より下だし、僕よりもっといい人がいる。平日はいっしょにご飯を食べたり、休日もいっしょに遊んでいるが、最近はそんな気持ちを隠していた。
もうご飯を作りに来なくていい、なんて言ったら、ミヤコのことだろう、あらゆる手を使ってすがってくる。ミヤコはそんな女だ。
だからこそ、僕はミヤコに嫌われたかった。
そのほうがいい。
そのほうがミヤコのためだ。
そのために烏丸先輩に告白した。たまたま生徒会の仕事でお互い連絡を取ることが必要だったから連絡先を交換した程度で、恋愛的な感情はとくになかった。誰に告白されても玉砕するということもちょうどよかったのだ。
ミヤコに嫌われたかった。別の女に告白するようなこんなどうしようもない男を。
それがなぜこうなったのかわからない。僕には女の子がわからない。二人ともわからない。
スマホに届く烏丸先輩からのメッセージを見るたびに重たい気分になる。内容はだいたい会いたいということなのだけど、部活があるだの、時間がとれないだの、僕は適当にのらりくらりとかわしていた。会うことが怖かった。なぜ烏丸先輩と付き合うことになったのか、僕にはよくわからないから。
その日は学校の図書室に新刊が入った話を聞き、昼休みにのぞきに行った。どうせ自分の好みの本は入らないが、それでも読めるものがあれば、ぐらいの気持ちだった。なによりあまり烏丸先輩が来ないところだから、うっかり会って気まずくなることが防げる。
図書室には人気があまりなく、ひとりで新しい本を探すのは面倒だなと思っていたとき、窓際の机をふと見たら転校生が本を読んでいた。
カーテン越しの日差しが頬杖をついて本を読む彼にやさしくふりかかり、その光景は何かの絵画のように思えた。何か気持ちがこみ上げる。これがエモいという感情なんだろうか。
「…兎賀さん、写真撮っていい?」
彼が本から目を離し、思わず声をかけた僕にとても嫌そうな顔をした。
「だめ」
「あ、いや、なんか絵になるから撮っておこうと…」
「新手のナンパ?」
「違う、違う」
「教室から逃げて一人になりたかった私を捕まえるなんて。もうちょっとデリカシーを持ったほうがいいよ、旦那さん」
「いや…」
「くふふっ」
困った僕を見て彼はいたずらっぽく笑う。
「ねえ、君には私が何に見えるの?」
「何ってそりゃ…」
なんだろう、それを口にしていいか迷う。口ごもっていると彼はあきらめたように言う。
「まあ、自分がこんなのはわかっているんだけど。おかげで前の学校でいろいろ問題を起こしちゃって。私はなんなのかなって思うよ」
「兎賀さんは…。兎賀さんだよ」
「くふっ、なにそれ」
彼は目を細めながらちょっと笑う。男にはまるで見えない。かといって知ってる女とも違う。
「ねえ、旦那さんは何を読むの?」
「いや僕は…。新刊が入ったって聞いて探しに来たんだ」
「そっか」
「そっちこそ何読んでるの?」
「ヘルマンヘッセ」
「車輪の下?」
「くふふ。嘘」
「え?」
「そう答えれば似合うって前の学校の先生に言われてたから」
「まあ、それは僕もそう思うよ」
「そう思う? 本当はケンリュウの『紙の動物園』なんだけど」
「あ、僕も読んだよ。切ない感じがいいよね。というかSF読むの?」
「うん、いろいろ読むよ。ディックとかアシモフとかギブスンとか有名どころもそうだし、コニーウィリスとかチェリイとか…」
「もしかして本棚青い?」
「うん、そうだよ」
「あはは。うちもだよ。やっぱりSFは楽しいよね」
なんだ意外と話せるじゃないか。少なくても彼は男とか女とかいうより、ちゃんと人間だ。
彼は困ってた。見た目は生まれ持ったものだけど、過剰だといろいろ周囲の反応が変わってくる。あの日からお互いおすすめの本を話したり、本の貸し借りをしているうちにそんな話になった。だから彼が困っているときは助けようとなんとなく思っていた。
授業の合間にちょっとした事件があった。クラスの中のちょっとやんちゃな男子が「こいつほんとは女じゃね?」と兎賀さんの胸元にずぼっと手を入れた。兎賀さんはうつむきながら「それちょっとヤバいよ」と震えて言った。それを見て固まった周囲。さすがに度が過ぎてる。誰も動かない中、僕は立ち上がって二人の間に入った。やんちゃ男子の腕を取りながら、少し低い声で言う。
「やりすぎじゃね?」
「…いや。でもさ、こいつが…」
「兎賀さん、大丈夫?」
「…うん」
胸元を押さえながら兎賀さんは椅子に座り込む。少しうなだれている。それを見たら、痺れたように目が離せなくなったのを僕は無理矢理そらした。やんちゃをまあまあとなだめてから自分の席に戻る。また見たら目が離せなくなると思うと少しおびえた。
あとでミヤコから「アキトはやさしいねえ」とからかわれたが、その目はあまり笑っていなかった。
どこまでも青い空。見上げれば雲ひとつない晴天。夏の日差しにあぶられながら運動する気になれず、体育の授業をサボることにした。僕は文科系だ。体を動かすことはほかの人に任せたい。着替える時間にトイレに行くふりをして、適当な時間が過ぎてから教室に戻った。さて、読みかけの本でも読もうかと思っていたら、兎賀さんが教室の窓越しに校庭を眺めていた。
「あれ、兎賀さんもサボり?」
「うーん、まあ、似たようなものかな」
彼は困ったように笑っている。
「どうかした?」
「いや…。着替えることができなくて」
さすがにミヤコから鈍感と言われ続けてる僕でも察した。
「男子と一緒に着替えられないなら、使っていない教室とかで…」
「そうなんだけどね…。うーん、こないだみたいなのがあったから」
「あれは…。悪ふざけとは思うけど、あいつ、昔からああで…」
「いや…、うーん…」
何だかすごく困った顔をしている。
「…南里君にはちょっと言えるかな」
意を決したように兎賀さんが僕に向き合う。
「男が怖いんだ」
「どういうこと?」
「女の子は無理だけど、私なら手を出せる。そんなふうに男から思われることがよくあって…。最近このクラスのなかでもそんな感じで…。だから着替えるのはちょっと…」
「そんなのって…」
「うーん、まあ、仕方ないんだけどね…。あんまり安心できなくて…」
兎賀さんの苦労は僕にはわからない。でも、それでも…。わかりたい、と、そのとき始めて思った。僕は少し焦ったように言った。
「…あのさ、見張ったりするからさ。あんまり、その、心配しなくてもいいように…」
「南里君はやさしいね」
兎賀さんが目を細めて笑う。
「あーあ。いっそ女子な格好をすればと思うけれど、いろいろ面倒くさくてね。周りが」
兎賀さんがくるりとまわる。
「…あいまいな私は何になればいいんだろうね?」
兎賀さんが僕を見つめる。
その顔はとても寂しそうに思えた。それからすぐ、いいようのない衝動にかられた。抱きしめたくなる。ぎゅっと力強く。彼が嫌がるまで。ああ、だめだ、そんなことしちゃ…。これじゃ他の男たちと同じじゃないか。伸ばしかけた腕を抑えて、あえていろいろなものをはぐらかして答えた。
「将来の話し?」
そういうと兎賀さんは少し驚いた顔をしたけれど、すぐ目を細めてくすくす笑い出した。
「くふふ。南里君はどうなの?」
「…僕はなんだかんだ文章に関わる仕事かな。それならなんでもいい。好きだし」
「そっか。いいね」
「兎賀さんは? 本が好きなら…」
「私は…」
顔を伏せて、目をそらして、兎賀さんは何も言わない。
どうしたらいいんだろう。このままじゃだめだけど…。わからない。
どうしようもない男だなと自分で思いながら、帰り道にミヤコを捕まえて歩きながら話した。
「ミヤコ、あのさ…」
「…先輩とはどうなの?」
「どうって…。なかなか予定が合わなくてさ。あんまり話すこともできなくて」
「え。それって先輩に放置プレイかましてるの? ちょっとかわいそうだよ」
「そうなの?」
「ああ、もう。今日ご飯食べながらみっちりおしおきだからね」
「ごめん、ミヤコ」
「今日はハンバーグだからさ。おいしいもの食べながらだったら、すこしは怒られてもいいでしょ。ほら、アキトがこの前おいしいって言ってた…」
「それでさ! それで…」
「うん?」
「その…。兎賀さんを助けてやって欲しいんだ。いろいろ困ってるぽくて」
「はあ…。なんで私が…」
ミヤコがふくれる。でも本気では怒っていない。僕が待っているとミヤコは目をそらして言う。
「…まあ、いいけど」
「ありがとう!さすが、持つべきは長い付き合いの幼なじみ!」
「おだてても何も出ませんよーだ」
「あはは。でもさ、なんかかわいそうでさ。すごく寂しそうに笑うんだ」
「…アキトはやさしすぎるんだよ」
「そんなことは…」
「だいたいそんなの先生に相談すればいいでしょ? 同情させて気を引いてるんじゃ…」
心配性なミヤコ。いつもそうだった。僕は安心させるように言う。
「ミヤコ、兎賀さんはそんな人じゃないよ」
「…わかったよ。じゃ、とりあえず兎賀さんに聞いてみるよ」
「ありがとうな」
「いえいえ、どういたしまして」
ミヤコが嬉しそうに笑う。その笑顔を僕は抱きしめようと思わなかった。気持ちを動かされた人を助けるよう懇願する僕をどうか蔑んで嫌って欲しい。気持ちを隠して笑うのは何度目だろう。そんなことを思いながら、夏の暑さでどろりとした夕暮れの中をふたりで歩いた。
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次話は烏丸先輩が南里に恋人らしい扱いをされなくて、もがく話になります。
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