ハニービタートラップシュガー
冬寂ましろ
第1話 星野ミヤコ「負けヒロインは努力が足りない」
私たちは学校では「嫁」と「旦那」って呼ばれている。
「それでさ、山田の奴がさ、実際に赤い洗面器を頭にかぶってみたんだよ」
「ええー、ちょっと引く。でも、そのとき見たら笑ってたかも」
「そうなんだよー。あまりの間抜けっぷりにみんなでゲラゲラ笑ってさ。
そしたら山田もつられて笑って。洗面器落としたんだよ。ぼこんと。
いい音してさ。みんな大爆笑」
「あはは、なにそれ。私も見たかったかな」
「いやあ、破壊力あるわ。赤い洗面器」
アキトの家で囲む夕飯。2人で何気ない話で笑い合いながら、おかずをつまむ。アキトは意外と煮物とかの和食が好きだ。もう5年もこんなことを続けていたら、好みは自然とわかった。
今日もおかずを5品は用意できたし、彼が好きな筑前煮は会心の出来だ。アキトが笑いながらそれをほおばる。
これ以上の幸せはない。これが私の幸せ。変わらない昔からの幸せ。
それでじゅうぶんだ…。
たとえこの気持ちに彼が気づかなくても…。
小学校の時に親同士が仲良くなり、それから私たちは家族同士で付き合っている。アキトの両親はふたりとも雑誌の編集者で、毎日帰宅が遅い。コンビニご飯ばかりなのを見かねた私が母に料理を習い、彼の家で夕飯を作り始めた。最初はいろいろ失敗もしたが、彼は笑って食べてくれた。そんな頃からもう5年が過ぎ、いまは高校2年生。気が付いたらまだ続いている。同じクラスの友達にもこの関係は知れ渡っていて、だから嫁とか旦那とか言われている。
最初は弟のような感じだった。義務感のようなものがあった。いまはたぶん違う。
意識したのはいつだろう。たぶん自然とそうなった気がする。
私はほかの男を知らない。アキトだけだ。それでもかまわない。私はそうして生きていける。
なぜなら好きだから。
ふたりで食器を片づけているときだった。
「あのさ…。明日さ」
「うん?なに?」
「明日、烏丸先輩に告ろうと思うんだ」
私の手がふと止まる。そしてまた何でもなかったようにすぐ手を動かす。
「そう…」
「良かった…。怒られるかと思った」
「ぷふ、なにそれ。まあ、がんばりなよ」
「おう」
「でも妬けるから。ていっ」
「うおっ、何すんだよ」
彼は笑う。私も笑いながら、彼にちょっかいを出す。いつものかわらないふざけ合い。
動揺はなかった。私にはわかっていたから。
彼の家から帰り、自分のベットにバサリと身を投げる。灯りもつけず暗いままスマホを見る。学校にはいろいろなグループがある。クラス同士も仲良し同士も恋人的なものも。そのなかでも女の子同士は強力だ。私はネット上にできたそれを眺めながら、絶えず人間関係の情報を得ていた。
先輩たちのやりとりに混ぜてもらいながら、烏丸先輩関連でひっかかったメッセージや写真を眺めていく。烏丸先輩は人気者で、黒い長髪が奇麗で有名だ。所属している弓道部でも成績が出ているし、勉強もできる。わりと高嶺の花として周りは見ている。男子たちはそれなりに告白したりしているらしいが、烏丸先輩はそれをみんな断ってる。もう恋人がいるんじゃないのかとか、女のほうが好きな人なんじゃないかとか、噂というよりは悪意のある話が流れている。
アキトは相手にはされない。やさしいだけで本を読むのが好きな、あまりぱっとしない男だ。私はそこが好きだけど、それほど接点のない烏丸先輩には、たぶんわからないところだろう。
よく知っている先輩たちには、何かあったら教えてほしいとメッセージを送る。できれば釘を刺してほしいとも。
手からスマホを離す。
ぷふ…。ぷふふふ…。
どうしてもにやけてしまう。
幼なじみは負けヒロインという。私に言わせれば負けヒロインは努力が足りない。彼の好みの把握、外堀の埋め方、私達の関係を崩すすべてのことへの早期警戒。すべてを念入りに用意周到に油断なく。
あははは。くふふふふ。口元を押さえるがどうしても笑いがあふれだす。
まあ玉砕だろう。明日の夕ご飯には、アキトの好きなものでも作ってあげよう。
初夏のさわやか朝。ふたりで学校にいると、妙に先生が来るのが遅い。一限目は数学だけど、あまりに遅れたことがないのに。ようやく先生が来たかと思ったら、もうひとりそこにいた。
その人を見たクラスがささやき合い、それが徐々に重なり、教室に大きく反響していく。
私は最初に見たとき、人ではない何かに見えた。
胸にかかる長めのさらさらとした髪、触れたくなるような細く長めの首、誘われているのかと錯覚してしまう開いた胸元。
何より目だ。やや眠たそうな目は艶かしく、見つめられたら心の奥底に秘めていた欲望を的確に引きずりだされるだろう。
そんなものが男の制服を着ている。
男というより、女ぽい男というより、艶やかな色気をじわじわと漂わせる蝶のように思えた。
「あー、こんな時期だが転校生だ。自己紹介しなさい」
「兎賀ハルカと言います。あの…、すみません。こう見えて男です」
彼が目を細めて笑いかける。人を堕としていく笑顔。私は握っていたシャーペンを落としてしまった。みんなはささやくつつましさを忘れて普通の声でこれはなんだと話し始めた。
休み時間中は転校生に大勢の人が群がった。だいたい男子のほとんど、女子でもちょっとオタク入っているのが何人かそのグループにいた。オタクたちのリーダー的な春川メグミがいろいろ仕切りだしている。好きだなこいつも。アキトも後ろのほうからのぞいている。みんな核心的なところは聞けず、まつ毛長いね、とか、色っぽいね、とか言っている。もう少し気が回る人だと、前はどこから?とか、もうすぐ夏休みなのにどうして?とか、なるべく差し障りのない話題を投げていた。転校生はあいまいに笑いながら、それに受け答えしていた。
女子の半数はそれを冷ややかに眺めている。私もそれを「仕方ないな…」という顔で見ていた。動物園は珍獣のほうがよく人が集まる。
放課後、学校を出たとこでアキトと会う。いつもは文芸部の部室で遅くまで本を読んでるのに、今日はちょっとめずらしい。さっとスマホを見て、まだ先輩たちからメッセージが来ていないことを確認すると、アキトに声をかけた。
「どしたん? 今日は早いね」
「いやー、ああいう人もいるんだね」
「転校生?」
「そうそれ。なんか本を読むどころじゃなくてさ」
「ねえ、今日は烏丸先輩に告白するんじゃなかったの?」
「あっ。びっくりして忘れてた」
「なにそれ」
「ほんとになにそれだよな」
彼は笑う。そのまま一生忘れてくれればいいのに。
次の日の昼休み。アキトがキョロキョロ教室を見渡してそわそわしてる。たまに教室から出たかと思ったら、すぐ戻ってきた。スマホを握りしめている。烏丸先輩に連絡しているのだろう、と見守っていた。そうしていたら、すぐ先輩たちから私のスマホに連絡が来た。放課後に校舎裏に呼び出したらしい。なんともひねりのないことで、これはむずかしいなと思う。
授業が終わったあと、アキトが小走りで教室を出ていく。それを見て私も少し遅れてついていく。廊下で良く知っている先輩にばったり会うと、先輩が心配そうに声をかけてくれた。
「あ、嫁。旦那があっちに行ったよ」
「ありがとうございます、先輩」
「まあ、たいへんだね。あんたたちは」
「でも、信じてますから」
「私は嫁の味方だから。なんかあったら言ってな」
「はい、ありがとうございます」
私には味方は多い。だから私たちは大丈夫だ。
たぶんここだろうというところで、廊下の窓からその場所を見つめる。やがてアキトと烏丸先輩がやってきた。声はどうにか聞こえる。よくある告白の風景を私は夕飯の献立を考えながら見守ることにする。
「すみません、先輩。返事を聞かせてください」
少し震えているアキトの声。わりとかわいいなと思う。
烏丸先輩は少し悩んだようなフリをしてにこやかに答えた。
「いいわ。私たち、付き合いましょう」
は…。
はあああ?
なんだと…。
今なんて言った…。
奥歯をギリギリとかみしめる。
絶望や後悔よりも先に怒りだけが湧き上がってきた。
「くそっ」
壁に背を向けて握った手を思い切り叩きつける。痛みの信号は腕から上へとすぐに登るが、沸騰している頭には届かない。
目の前がかすむ。世界が急速に遠のいていく。
そのままずるずると座り込む。
なにが…、なにが悪かった…。どこで油断した…。頭の中がぐるぐると回りだす。
「大変だね、お嫁さん」
「お前…」
見上げるとあの転校生が微笑みかけていた。その細めた目は欲しかったおもちゃをもらえたように嬉しそうだった。
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次話はどうしてアキトが烏丸先輩に告白したのか明かされます。
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