第5話 家鳴
~
このマンションが新築されたと同時に入居して早十年になる。
これまでずっと平穏無事に暮らしていたのだが、昨年に越してきた隣人家族の
前の隣部屋は女性の一人暮らしで、それはそれは静かなもんだった。しかし、
今現在の隣は旦那、嫁、生後間もない赤児の三人世帯。何度か階下ですれ違い、挨拶を交わした程度の関係性だ。
一番辛く厄介なのが赤児の泣き声である。
どうやら嫁の方は専業主婦で、赤児と四六時中、ほぼ自宅で引き籠もり状態らしい。従って、昼夜を問わずのけたたましさが延々と続く。
実は自分もフリーランスの在宅ワークの為に、食料の買い出し以外は殆ど外出しない生活だ。なので、耳障りな音などは兎角気になってしまうし、とんだ迷惑なのである。
そんな訳で、まずは耳栓や壁に貼る遮音シート等々を試してみる。結論から言うと駄目だった。これは隣の部屋が、ドアや窓をしっかりと閉めてくれれば成り立つ話で、ほんの僅かでも隙間があると、効果を半減させてしまう。本人はきちんと閉めたつもりでも、少しだけ開いていた何てケースもザラにあるので、皆さんもお気を付け遊ばせ。
次にキツいのが衝撃音や振動音だ。
何事の
ほとほと困り果てた僕は、この悩みを管理会社に訴えた。
しかし、部屋の物音や、こと乳児の泣き声に
案にたがわず、隣の喧騒が止む事は無かった。
時折ニュースで報道される、近隣の騒音問題でのトラブル。時には殺人事件にまで発展する事もある社会問題だ。それで自分が当事者となった今、加害者側の気持ちも少なからず理解できる。正直に言ってしまうと、僕とて何度殺意を抱いた事か。
でも、僕は必死に自制した。もしもやってしまったら終わり。僕の負けだ。
世間に不名誉なエンタメを提供する事だって、
しかし、この不快音がすっかり常態化して一年も過ぎた頃に、僕はストレスによる不眠症と、全身に重度の
御陰で食事制限と言う名のドクターストップがかかり、大好物であるお菓子も自由に食べられなくなってしまった。僕の唯一の楽しみでもあったのに……。
この事から担当のお医者様には、「引っ越しを検討されてみては?」とも提案された。
今のマンションに移り住んで十年。
だから本物件を手放すのは非常に惜しいし、
そんな折、一ミリだって顔も見たくないのだが、隣一家とばったり
三人共に一年前よりも醜く肥えていて、あからさまに怠惰の象徴と言わんばかりだ。しかも旦那の頭頂部がハゲ散らかしているのを確認出来た時は、ちょっとだけ気分が晴れた。
だが、そんなのは一時的な鎮痛剤みたいなもので、隣の
有り体に申すと、この蕁麻疹が
ここが個人事業の辛いところで、一度失った信用を取り戻すことは難しい上に、僕の代わりなんて幾らでも居るご時世だ。実際に依頼は激減してしまい、言わずもがなその分の収入は途絶え、
決して大袈裟な表現ではなく、僕は
そしてこのタイミングで、過去最高の
……くっ、今日のは特に非道いな。宅配ピザのトッピング全部乗せってくらい、ノイズ音の大合唱じゃないか。
……あっはっは、オーケー、もう我慢の限界さ。
おうともさ、四の五の抜かしやがったら殺してしまうまでよ。まるっと
僕は包丁を片手に自室を飛び出し、隣の玄関チャイム連打&部屋ドアを荒々しく叩きながら、「いい加減にしろや! 今すぐ出て来やがれ!」と怒号を放つ。
そうすると、ゆっくりとドアは開かれ、中からのっそりと現れたのは、裸エプロンで片手にはガラガラ。頭部にはベビー帽子を被り、おしゃぶりを咥えた異様な出で立ちの旦那だった。
旦那は甲高い裏声で、「お~よちよち、ママのおっぱいが欲しいんでちゅよね~」と喋った後に、「オギャー!」と赤ちゃんの泣き真似声を発する。そうして最後に野太い声で一言、「女房と子供に出て行かれて、一人三役も大変なんだよ!」とブチ切れられた。
大変ってか変態だよ、とチープなツッコミを入れつつ、僕はその場で転居を決意した。
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