オーナーとクララ8

クラブマンと別れ、すっかり暗くなった山道を1人下れば、急に心細くなってきてしまった。足場に転がるゴツゴツとした岩も、行く手を阻むように突き出された木々の枝も、まるで侵入者を逃さない山の意思に思え、かなり怖かった。


宮沢賢治著『注文の多いレストラン』の物語が思い出されたのは言うまでもない。


堪らずに夜空へと目を向ければ、木々の腕の隙間より星々の光が伺える。標高もそれなりにある場所で空気は乾いており、はっきりとした輝きを

放っていた。


本当に帰れるんだろうか? そんな不安が脳裏を過ぎった刹那、ついに俺の視界に町の光が入ってきた。


光と言っても閑散とした廃駅の町である。申し訳程度に道脇に配置された電灯のものかと思われた。しかし、近づくに連れて電灯とは違う、時折赤く鋭く点滅する光が目に入るようになった。


(ロッティだ!)


それはロッティ(SR400)のイモビライザーの点滅だった。彼女の光が飛行機の誘導灯のように力強く俺を導いてくれたのだ。長い時間の行脚で疲れ切っていた身体に、再び活力が戻ってくる。


「おーい!」


手を挙げて、彼女を呼ぶ。遅い時間ということもあり、近所迷惑というものを思い出して、結局一回で止めた。


幸いにもロッティはその一回の呼び掛けで此方に気がついてくれたようで、驚きを孕んだ顔を向けてきた。


『貴方! ・・・・・・嘘!? まさか!』


どうにも様子がおかしい。まるで、信じられないものでも、それこそ幽霊でも目にしているかのような、そんな面持ちで此方を見つめていたのだ。


「あっはは、ゴメンゴメン、随分待たせちゃったよね?」


再開のハグでも、と近づいた俺と距離を保つようにロッティは後ずさった。彼女が震えていることに気が付いた。



「・・・・・・ど、どうしたの?」



『貴方・・・・・・落ち着いて聞いて欲しいのだけれど、貴方が山に入った日から今日でちょうど1ヶ月になるの・・・・・・』



「・・・・・・え?」


『普通の人間なら生きてはいないわ・・・・・・』


彼女の言葉の後、辛うじて視界を確保してくれていた街灯が不気味に明滅を繰り返し、辺りの空気は一瞬で凍らされたように温度を失っていった。



「・・・・・・・・・・・・じょ、冗談だよね?」


『・・・・・・・・・・・・えぇ、冗談よ』


流石に堪えきれなくなったのか、ぷっと吹き出してロッティは笑った。


「おま・・・・・・ちょ、ロッティ!」


ドッキリにしても流石に冗談がキツすぎた。ホッと胸を撫で下ろせば、心なしか周囲は明るみ、温度も戻ってきたようである。


にしても迫真の演技。彼女なら良い女優になれるのではないだろうか。


『あんまり帰ってこないものだから、ちょっと驚かせようと思ってしまって』


フフン、どうだった? とこれっぽっちも悪びる様子の無いロッティである。心臓に悪い。



「・・・・・・あ、そうだロッティ。俺からもひとつ報告があるんだよ」



『えぇ、何かしら?』



「家族が増えるんだ! GB250クラブマン! それも初期型! ・・・・・・凄くない!?」



『え・・・・・・』


名女優ロッティの恐れおののき顔パート2であった。




『・・・・・・・・・・・・』


「・・・・・・・・・・・・」




『・・・・・・・・・・・・』


「・・・・・・・・・・・・ひょっとして、『嘘だ』って言うの、待ってるの?」



残念、本当のことなのであった。

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