オーナーとクララ5
『もうひとつ、見せたいものがあるんです・・・・・・』
藁にもすがるような上目遣い。さながら飼い主の寵愛を求め切なく『くぅん』と鳴く秋田犬のようでもあった。
効果は抜群である。女性経験・・・・・・もといバイク経験皆無の者であれば致死量の可愛さであったことだろう。
しかし、俺は今日までにロッティ(SR400)とマグナ(マグナ50)という美少女二輪車に囲まれて生活を送ってきた。ちょっとやそっとの誘惑ではグラつかない精神を手に入れているのだ。
『こちらへ来て貰って良いですか?』
彼女は決して俺の手を離そうとせず。そのまま納屋の壁際に誘った。
そこにあったものは、
「・・・・・・あ!」
それは『鍵』であった。その鍵は木の柱に打ち込まれた釘にホルダーで引っ掛かっていた。恐らくは彼女の車体の鍵なのだろう。
「ね、ねぇ・・・・・・これってどういう意味なのかな?」
その問いにクラブマンはほんのりと口角を上げた。仄暗い納屋の中で飾らないグロスの潤いが妖しく光る。
『エンジン・・・・・・掛けてみたくないですか?』
それは確かにその通りであるのだが、
「・・・・・・君には、オーナーが居るよね?」
『えぇ』
「良いのかな? そういうの・・・・・・」
これではまるで不倫ではないか? 二輪だけに。
マグナの際は明確にオーナーの興味が別のものに変わり、朽ち果てゆく彼女を思えばこそ、一念発起して引き取ることにした。しかし、そのプロセスの中に於いて、前オーナーの意思を尊重し、断じて不埒な行為には及んでいない・・・・・・かった筈だ。
クラブマンは鍵を取り、その清楚であどけない顔立ちからは想像も出来ない艶めかしい手付きで俺にそれを握らせて、耳元で囁いた。
『ここが、人目につかない納屋で良かったですね』
古の時代より『据え膳食わぬは男の恥』と云う、訊きようによっては不貞行為の正当化とも取れることわざが存在するのは言うまでもないことだ。
しかし寛容なるはその背景に、やんごとなき事情があることを忘れてはならないことだ。
「・・・・・・ま、まぁエンジンを掛けるくらいなら良い、かな?」
よくよく考えて見ればである。
きっとお爺さんでは彼女の外装はキレイにしていてもエンジンを掛けることまではしてくれていないのだろう。
定期的に火を入れ、エンジンを動かしてやることで車体は長持ちすると云う。キャブレターにガソリンが溜まり続けるのも良いことではない。
コウジさんが帰ってきたとき、クラブマンの調子が悪くてはきっと面白くないことだろう。彼女の願いは1人の男として捨て置く訳にはいかない案件と言えた。
「ぐへへ、彼女のため」涎が出そうになるのを必死に堪え、鍵を手に彼女の美しい車体に歩み寄った。
我ながらその精神は天高く積み上げられ下層はグラつき放題のジェンガのようであった。あっちへフラフラ、こっちへグラグラと言った具合である。
しかし、鍵を挿そうとした既のところで『ある表示』に目が留まり、その手はピタリと止まってしまった。
『・・・・・・? どう、されたんですか?』
「ゴメン・・・・・・クラブマン。これは触れないよ・・・・・・」
それは走行距離を示すトリップメーターであった。示す値は200kmにも満たないものだったのだ。
これまでに交わされた会話、GB250クラブマン車体状況・・・・・・そして彼女の持つ儚さからある結論へと至った。
「・・・・・・コウジさんはもう、この世に居ないんだね?」
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