オーナーとクララ2

「ひょっとしたらこれは遭難なのでは?」


そう感じたのは昼の軽食を摂ってからであった。ビスケットを齧りながら登山道入り口で入手した山の見取り図を確認したのだが、どうもこれまで通ったルートが正規の登山道からは逸脱していることに気が付いた。


実際、お堂や集合墓地、崩れた橋など地図に無い場所を抜けており、地元の人しか知り得ない道にでも迷い込んでしまったものと思われた。危機管理意識に欠けていたと痛感する。「ちょっと迷っちゃった(笑)」くらいに捉え、目の前の道を突き進んでしまったのだ。


そして、今現在、三原色の絶景を眼前に捉え、お堂や墓地にすらも戻れなくなってしまっていた。


携帯電話はお決まりの圏外。


「ロッティィィィィッ‼‼」


断崖から大声で呼び掛けてみるが勿論応答は無い。


こういう時、どうしたら良いものかと思案してみるが生粋のシティボーイである俺にボーイスカウトの経験は無く、妙案はさっぱり浮かんでこなかった。


「取り敢えず陽のある間は麓を目指して歩こう」


そのように結論づけ、回れ右をして来た道(かどうかも定かではない)を戻ることにしたその時であった。


俺の視界に、見るも美しい少女の姿が写り込んだのだ。


漆黒の装いに光の反射で銀にも金にも艶めく髪、ドレスのような浮世離れした出で立ちが彼女が『普通の人間』ではないことを物語っていた。


「うわっ‼ ロッティ! ビックリさせるなって・・・・・・ってあれ?」




・・・・・・違う。


ロッティじゃない。


大まかな外見は似ているが、細部の意匠が所々異なっている。両サイドに出された三つ編み、足にはブーツ。少し長めのフリルのあしらわれたスカート。漆黒のジャケットは薄手であるが革製、胸にはアスコットタイ、赤いHONDAのロゴマーク。


何より、胸の膨らみがロッティよりも大きいのであった。超絶可愛い。


『ロッティ? ・・・・・・それはどなた様でしょう?』


竪琴を弾いたような高くハリのある声、透き通る碧色の瞳をまん丸くして、きょとんとした、というよりも少し間の抜けた表情を少女は作った。


「ごめん、人違い、というか、バイク違いだったみたい」


『バイク? ・・・・・・まぁ、貴方も私達に乗られるんですね』


「まぁね」


ちょっぴり気恥ずかしさがあったものの、ここで彼女に出逢えたのはまさに不幸中の幸い、地獄に仏と言えた。オートバイの化身たる彼女がここに居るということは、近くに車体があり、その車体を管理する人間が居ることを示している。


「君は?」


『私はHONDA・GB250・・・・・・クラブマンとお呼び下さいませ』


少女は恭しくスカートの裾を持ってお辞儀をひとつ、随分と時代錯誤な挨拶であったが、装いも相まって違和感は感じない。


「よろしくね!」


GB250『クラブマン』、何度かカタログで見かけることがあったバイクだった。1983年、スポーツとレトロ、相反する2つの要素を孕み、GB250クラブマンは生まれた。本来であれば時代の先駆けとなるモデルの称号『CB』の名を冠する筈であったが、上層部の『時代に逆行している』この発言により『GB』と名付けられる事になった。今で云うところのカフェレーサースタイルをノンカスタムでゆくデザインバイクとしての完成度は勿論、バルブを放射状に配置する(RFVC方式)ことで燃焼効率と吸排気効率を向上させたDOHCエンジンを搭載、単気筒ながら高回転まで回る粘り強い走りも彼女の魅力のひとつだ。


「あ・・・・・・あのさ、ちょっと道に迷っちゃったんだけど。ここってこの地図だとどのあたりなのかな?」


彼女に地図を見せて案内をお願いすることにしたのだが、クラブマンはしばし地図を眺めてみて首を傾げた。


『うーん、ちょっと分からないですね・・・・・・近くに私の家があるんですが、寄っていかれませんか?』


「ぜひぜひ! そうさせて貰って良いかい?」


遭難時間約十数分。どうやらどうにかなりそうである。鍛え抜かれ、鋭利なナイフさながらの我が身ひとつ、過酷な山中で何処まで頑張れるのかと勇み立っていたところでもあったため残念にも感じたが。



いやはや誠に残念でならない。

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