マグナとフロントフォーク2

「ようし・・・・・・んじゃあやりますか!」


そう言ってマチダさんが立ち上がったとき、既に午前11時を過ぎていた。およそ1時間もカフェインとニコチン、そして談笑を楽しんだことになる。「そうですね。お願いします」と返事をしてみたは良いが、実際のところ椅子に根っこでも張ってしまったかのように腰が重かった。何かを始めようとするとのんびりとした時間が急に恋しくなってしまう。まるで夏休みの宿題でも始めるかの如く、億劫な気持ちで立ち上がった。


いや、やらねば・・・・・・やるんだ!


自身を鼓舞して、実家のような安心感を纏う空気を断ち切った。固くなった肩、腰を動かして、全身に油を回す。


『始めるの?』


緩やかに流れる空気に飽きて店内を物色していたマグナ(マグナ50)がこちらに向き直った。


「おうさ」


『わかった!』


一体何が『わかった』だったのか。マグナは車体のガソリンタンクをイメージされたシルバーのジャケットを勢いよく脱いでみせた。薄っすらと縦目が入り、身体のラインにフィットした黒のタンクトップが、そして大きな窓から差し込む陽光を瑞々しく弾く透き通った腕が何とも悩ましい。


「ちょっ、おま・・・・・・何脱いでんの?」


『え・・・・・・だって、整備するって』


「お前、整備のこと企画物のなんかだと勘違いしてないか?」


もしそんなものが実際にあったら買ってしまう自信があった。


『・・・・・・企画物って何?』


「・・・・・・」


こめかみを抑え、少女の身体から目を背ける。というか今回の整備、ガソリンタンクは外さない。いずれにしてもこんな格好のままうろちょろされては目の保養・・・・・・ではなく目に毒・・・・・・でもなく、マチダさんのご迷惑になってしまうので「あっちで遊んでなさい」と店から追い出すことにした。



マグナを追い出して、入れ替わりで外に置いていた車体の方をピットインさせる。マチダさんが「ようし!」と改めてかぶりを振ると後は早かった。アンダーブラケット、スイングアームにそれぞれレーシングスタンドが掛けられ、両のタイヤが宙に浮く。ブレーキキャリパー、アスクルシャフト、ホイール、フェンダー、メーターケーブル、トップボルト、そしてフロントフォーク。適材適所の工具を自在にに操り、まるで手品でも見せられているかの如く、いとも簡単に各パーツが取り外されていく。俺はその光景を車体が遊ばないようハンドルを抑えた状態で見ていた。


「す、すごい・・・・・・」


正しくそこは特等席であった。特等席であったのだが、その作業があまりに淀みなく流れるため、参考になったかと言えば難しいところである。マチダさんは脳内の作業工程を確認するかのように再度「ようし」と力強く呟いてみせた。


普段はしがないおじさんが、カメラを持つと顔色が変わり、煌めく一瞬を逃さぬハンターになる、と聞いたことがあったが、正にそれと同じく工具を握るマチダさんも職人と呼べる風格を漂わせているように感じられた。


使用済の工具を元あった場所へと戻し、分解されたネジや各パーツを丁寧に雑毛布の上に並べた。


「んじゃあ、休憩しますか!」



「・・・・・・・・・・・・」


只今午前11時30分。今日は長い戦いになりそうだ。

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