ロッティとマグナ1

 2017年、夏。初夏の夕陽が名残惜しそうに山の稜線からその顔を覗かせる夕飯時。集合住宅の敷地から一歩飛び出したところから前のオーナーの青年が俺とマグナ(マグナ50)を見送ってくれた。


 恭しく頭を下げ合う俺と前オーナー。『じゃあねッ!』健気な声とともに少女は目一杯に手を振って、曲がり角で彼が見えなくなるまでその別離を惜しんでいた。


 そして角を通り過ぎ、高くかざしていた手を徐に眼前へと持ってきて、ひとつ大きなため息を零した。


「やっぱり悲しかったりする?」


『そだね・・・・・・ちょぴっとね』


 少女は翳していた手で顔をぐしゃぐしゃと拭い、今度は満面の笑みを作ってくれた。


『でもさっ、アタシってばすっごいラッキーだよ! フツーだと次のオーナーも決まらなくてそのまま廃車って娘も結構多いって聞くし!』


 この手の話題は出来得る限り避けた方が好ましいようだ。何より俺が耐えられない。


「それより・・・・・・どうなんだ? どこらへんを治せば動けそうなんだ?」


 彼女・・・・・・マグナ50を引き取ったのは良いものの、自賠責保険も切れていたし、恐らくバッテリーも上がっているためエンジン自体掛からないだろうと思われた。従って、自宅までの道すがら、俺はマグナの車体を押して歩いていたのだ。


 フロントタイヤの回転とともにキー、キーと規則的な不協和音が奏でられる。これはディスクブレーキの引きずりであり、修理は必須のようだ。


『どーかな? 一旦バッテリーだけ充電してみたら? 案外掛かるかも』


「随分大雑把だな」


 彼女の健康状態は、今後俺がしっかり管理なければならない。タイヤは最悪チューブと本体の交換、フロントフォークも油が滲んでいたため修理は必至に思えた。しかしそれとて素人の見立てである。一度しっかりとしたお店に見せる必要があるのだろう。


『だってぇ、早く走りたいんだもん! ・・・・・・オーナーもさ、早く乗りたいでしょ!?』、マグナは外見に違わず子供のワガママのような物言いの後に、決してしつこくないさっぱりとした甘みを湛えた瞳で誘惑してきた。


 その誘惑に一瞬クラっときてしまう。「相手は原付だ、しっかりしろ俺!」自身にそう言い聞かせ、オトナの対応を心掛ける。


「ちゃんと治してキレイにしてやるからそれまでは大人しくしてろよ?」


『えっへへ、オーナーだいすき!』


 ツーンとそっぽを向いて腹の中を探られまいとする俺の腕に、少女がギューと絡みつく。


「・・・・・・ッ‼?」


 果たして今の今まで、我が相棒たるロッティ(SR400)との間でかわされるやり取りの中で、こんなに弾けるような体験をしていただろうか? いや無かった。


 俺は、心中で「HONDA最高! HONDAマジ神! HONDA一生ついてく!」と叫び続けた。


 ちょうどそのタイミングである。自宅へとたどり着いたのだが、運悪くと言うべきか、先にも述べた相棒たるロッティが表へと出ていたため、その決定的瞬間を見咎められてしまっていた。


 近隣の住民の証言によれば、その瞬間ディスクブレーキの引きずりのような甲高い悲鳴が閑静な住宅街に引き渡っていたそうだ。

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