オーナーとマグナ10

 手にしたマグナ50の譲渡証明書と廃車証明書。これは原動機付自転車のみならず、あらゆるオートバイ、または自動車を譲渡売買する時にも利用される書類である。


 何故俺がこの書類を持っているかと言えば、答えは至極簡単である。前のオーナーに直接お会いして、譲って頂いたのだ。


 初めてマグナ50に逢った日、相棒であるロッティ(SR400)のエールもあり、諸々吹っ切れた俺は自分の意志の赴くままにやってみようと決意した。


 先ず件の集合住宅の住人のフリをして管理人へと連絡を入れ、駐輪場にあるバイクが邪魔なので撤去して欲しいとの要望を述べた。幸運にも管理人からオーナーへと連絡が行き、駐輪場に顔を出したため、マグナに気付かれないよう彼を捕まえて本当のことを話したのだ。


「彼女に乗る気がないのならどうか譲って頂きたい!」


 一瞬学生かとも思える若い雰囲気の青年であった。


「あー・・・・・・そういう感じかぁ」


 邪魔なバイクを退かすために表に出てみれば突然現れて「バイクを譲ってくれ」と頼む変人の出現にさぞ驚いたことであろう。驚きから少し間を空けて、青年は刑事に囲まれて己のやるせない胸中を明かす犯人のように自身の腹の中を吐露しだした。


「オレも放置したくて放置してたわけじゃないんだよな・・・・・・いつか綺麗に、いつか直してやろうって思っててさ」


 これまで当たり前に在り、在ることにさえなんの疑問も抱かなかったもの。しかしそれがいざ無くなってしまうとなると途端に惜しく、また愛おしく想えてしまう。


 物凄く当たり前で傲慢な人間の性だ。こればかりはどうしようもないと、交渉は失敗だったと諦めかけた矢先に青年は次の言葉を紡いだ。


「でも、そう思いながらも何もしなかったオレがいるんだよな・・・・・・」


 そして最後に、


「・・・・・・どうか、大事にしてやって欲しい」


 青年は初夏の清々しい晴天を眺めながら、短く、ため息のように吐き出した。



 無論マグナは愕然としていた。


 そもそもなぜ初めから彼女に告げることなく、ひた隠しにしていたのかと言えば、男子として気になった女の子に対してちょっぴりイジワルしたくなったと言うのもあった。


 そして何より、走りたいという彼女の意志をオーナー変更と言うフィルターを介さずに聞いておきたかった、というのが大きい。折角『彼女たち』の姿が見えて、意思疎通が出来るのなら、一体何のために存在しているのか、些か気になるところであるのだ。


「俺はやることをやった・・・・・・後はマグナ、君が走りたいかどうかだ」



大きな衝撃と動揺を持て余していた少女であったが、次第にこちらが投げた言葉の意味とその状況を理解し、自分自身の感情と折り合いをつけているように見え、少しづつ、見えない距離を埋めて、近づいてくるのが分かった。


そして、


『走りたいよ・・・・・・バイクだもん』


 ポツリ、音を立てて彼女の本音が溢れ出てきた。


 感情というものはさながらダムのようで、一度決壊すれば、後は濁流のようにすべて流れ出してしまうものだ。


『乗ってくれる人が、風を感じて、ほんのちょっとでも自由だ、最高だって思えるようにアタシたちは走るんだ! ・・・・・・走りたいに決まってんじゃん・・・・・・ズルいよ、そんなこと訊くの・・・・・・』


 『すべてのバイクは走るために』オーナーに走って貰うために存在している。ロッティに出逢った当初そのような考えに至ったことを思い出した。それと同時に『それくらい解りなさいよ、貴方って本当朴念仁ね』と誰かさんにディスられた気がした。


「そっか・・・・・・すまんな」


 ちょうどマンションの間に太陽が沈む頃合い、小さな影が大きな影とひとつになる。それは映画のワンシーンのようにドラマチックであったことだろう。


「これからよろしくな」


『うん! いっぱい大事にしてね、オーナー!』


 このようにして、マグナキッドの伝説は今日もどこかで生まれ、そして語り継がれていくのだろう。

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