オーナーとマグナ9

 もっかい走りたくないか?


 午後一番に彼女、マグナ50のクリーニングを始めて、気がつけばもう夕方であった。黄金色に輝く太陽の光を駐輪場の白いコンクリートが反射させ、俺たちは思い出の中にいるような、ノスタルジックな雰囲気に支配されていた。


 当初、俺の言葉を受けたマグナは目を丸くして、それこそ鳩が豆鉄砲でも喰らったかのような面持ちでいた。


 しかし、徐々に言葉の意味を理解していく。


 もっかい走りたくないか?


 何故そんなことを訊いたのか。それを訊ねるお前は一体アタシの何なのか。『はい』と答えたとしてお前はアタシに一体何をしてくれるのか。


 きっと彼女の脳裏では様々な思いが瞬時に過ぎっていたことだろう。


『えっと・・・・・・ゴメン、何それ、どういうこと?』


 結局彼女は詳細を求めるに留まった。



「もう一度エンジンに火を入れて、地面を蹴って、風を切り裂いて、走りたくないか、って・・・・・・そう訊いたつもり」


 同じことを、改めて、噛み砕いて説明するのは気恥ずかしさを伴う。言葉を選んで格好つけているつもりであるのに、心臓の鼓動はパワーバンドを迎えた速度と回転数の如く高鳴りを始めた。


 正面に夕陽を迎えていて良かったと思った。赤面がバレなくて済んだ。それとは裏腹に夕陽を背にしたマグナの表情は一層の陰りを見せていた。


『いやさ、無理だって・・・・・・見てよこれ! このフロントフォーク、オイル漏れてるじゃん?』



 そんなもの直せば良い。


『タイヤは? パンクしてんじゃん!』


 空気を入れ直せば良い。1番簡単な作業かもしれない。


『亀裂入ってるかもしんないよ?』


 だったらチューブを取り替えれば良いだけだ。


 サビ、汚れ、バッテリー、キャブレター、電装系、ブレーキ? すべては些細な問題だった。


 ひとつひとつ、彼女の『走れない理由』を潰していく。そうすれば、最後に残るのは『走りたい』という剥き出しの本能だけが残る。


 俺はそう信じていた。いや、そうあって欲しいと願っていた、と言ったほうが正しいかもしれない。


『いやいやっ、ってかさ、おにーさん。そもそもアタシってば人様のバイクなワケで・・・・・・』


 その通り、俺たちはこれっぽっちも関係ない赤の他人なのである・・・・・・





 しかしそれは昨日までの話であった、



「ならウチに来い」


 ついにそう言って、ポケットに隠していた書類を彼女に見せつけた。それはマグナ50の廃車証明証と譲渡証明書であった。



『で・・・・・・で、えぇぇッ‼?』



 仰天するのはマグナ50だけではない。ここまでのだいそれたこと、やった自分自身が一番驚いているし、ビビっていたのであった。

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