ロッティと日常の風景

 2016年、秋。日毎に寒さが増してゆき、一層木々の緑たちが紅く色めく晩秋のことであった。


 早朝、寒さによって目を覚ました俺は寝巻きのまま台所で湯を沸かし、インスタントのコーヒーを淹れた。ブラックの尖った香りを楽しみながらも、ミルクを2つ入れる。


 柔らかい飲み口が好きだった。


 マグカップを握り、居間へと戻る。


 軒先に目を向ければ、そこにはブラックのカラーリングが施されたロッティ(SR400)がいる。


 彼女を購入して凡そ半年、軒先と言う粗末な駐車スペースに凛と佇むその姿は、すっかり日常の風景の一部となっていた。


 窓を開け放ち、縁側に下りてより近くで彼女の姿を目に入れる。室内との温度差によってマグカップは白い息を吐き出したが、今だけは寒ささえも心地良いものに思えた。


『どうしたの? 人のことをジロジロと・・・・・・気色悪いわね』


 吐き出される毒にもすっかり慣れてきた。単気筒特有の気性の荒いムーブメント・・・・・・その割にもっさりとしたやるせない加速、か細い足回り、漆黒のボディ、研ぎ澄まされたクロームメッキ、全てが美しい一台だ。


「いや、改めてさ、俺なんかには勿体ないバイクだなぁ、って思ってさ」


 かのヤマハ発動機が約40年に渡りその系譜を絶やさない、差し詰め『深層の令嬢』たるSR400、正直なところ内包された彼女の魅力に対し、俺のような新米ライダーは力不足と言えよう。


『・・・・・・』


 もっと良いオーナーに巡り逢えてさえいれば、そんな本音をポツリとこぼしてみれば、彼女は瞳を大きくして驚いてみせた。そしてほんの少し頬を赤らめながら開いた目を細めていく。奥に隠した瞳が『そんなことないわ』と言っているような気がした。


 やがていつもの彼女に戻る。


『そうね、勿体ないと思うのなら、より一層大事にして欲しいところね』


「おうさ」


 互いに鼻を鳴らしてみせる。おうさ、大事にするとも、歯を見せて笑ってみれば、ようやく太陽が民家の谷間から顔を覗かせた。


「・・・・・・そうだ! 今日は随分天気も良くなりそうだし、何処かへお出かけしようよ!」


『良いわね、賛成』


 彼女の不敵な笑みを見てから直ぐに身支度を整える。安っぽいウィンドブレーカーに色褪せたオリーブドラブのボトムス、クラシカルな彼女の意匠にぴったりのゴーグル付きジェットヘルメット、黒の革手袋を装着し、軒先へと出ずる。


 しかし何だろう。何か大切なことを忘れている気がしてならない。


「さ、行こうか」


 彼女の手を取る刹那、忘れている何かを思い出そうと一瞬躊躇してみる。


「あ、思い出した!」


 ピンときた。あるいは天啓の如く降ってきた。『何?』と彼女は首を傾げる。


「ロッティ、オチだよ」


 忘れてはならないものだった。オチをひとつ下さい。


『OK、任せて!』


 蹴られた。40年間の、そのうちのたった半年の間のご愛顧に感謝を込められて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る