ロッティと初回点検

 2016年、夏。福島・会津若松ツーリングの2日後、梅雨が明けた。雨天と晴天を繰り返しながら徐々に気温が上がっていくのではなく、スイッチを押して切り替わったかのような、はっきりとした季節の変わり目であった。


『もう少し早く来なさいよ』


 恨めしそうに雲ひとつない碧色の空を睨みながら軒先にてブツブツと文句を垂れ流すロッティ(SR400)。


 確かにその通りであった。梅雨さえ開けていれば雨に降られることもなかったかもしれない。彼女は安達太良山でずぶ濡れになったのが余程気に入らなかったようである。


 ツーリングの後車体全体を拭いて上げたのだが、時折ゲホゲホと態とらしく咳き込んでみたり、『風邪みたい』と言って病人ムーブと取るようになっていた。


「機嫌直してよ・・・・・・会津に行ったお陰で今週は初回点検に行けるんだしさ」


 凡そ700km程の距離数を稼いだロッティ、そもそもツーリングの発端が初回点検のための距離数稼ぎでもあった。


『・・・・・・!』


 驚いたようにロッティが目を丸くしてこちらに向き直る。どうやら初回点検のことは失念していたようだ。


『・・・・・・貴方』


「はい」


 彼女の声量は決して大きくなかったものの、通りの良い美しい声に思わず背筋を正してしまった。


『磨きなさい』


「・・・・・・はい?」


 急にどうしたと言うのか、ロッティは外装やらクロームメッキやらの磨きセットを俺に渡し、清掃を促す。目が本気と書いてマジだった。


「・・・・・・って磨いたじゃん! 福島から帰ってきた後に」


『ピカピカじゃなきゃ、行きたくない!』


「なんで?」


『なんでって』とロッティは一瞬どもった。何かいけないことでも訊かれたかのような野暮ったさである。


『・・・・・・汚れた外装で代理店に行ったら周りの娘たちに『やーい、タチの悪いオーナーに引き取られてやんの』って笑われてしまうじゃない! 嫌よそんなの』


「何じゃそりゃ・・・・・・」


 単なる見栄じゃないか。そうも思ったが、綺麗にしてあげれば、少しは機嫌も良くなるのではないかと思い、丁寧に磨いてあげることにした。


「ってか風邪は?」


『馬鹿ね、治ったに決まってるじゃない』


「・・・・・・」



 週末、綺麗になったロッティと代理店を訪れる。出迎えてくれたのは展示会で俺にロッティを買わせた夜の街風の男だった。貰った名刺でアダチと言う名前なのだと知った。


「お待ちしていましたー・・・・・・ではSRはお預かりしますね」


 ロッティの車体は別なスタッフによって奥のピットに連れて行かれ、彼女も『変なところ触られないか心配だから見張ってくるわ』と要らん心配を胸に連れ添って行った。


 俺はしばしアダチさんと世間話に興じる。


「随分綺麗に乗ってますね、SR」


「わかるの?」


「そりゃ見ればすぐ分かりますよ」


 確かにそうだ。やはり見る人は見ているのか、と襟元を正された気分であった。


「どうでしょう? 乗り心地とかは」とも聞かれるが、正直よく分からなかった。そもそも彼女の魅力が分かるほどの距離をまだ乗っていないようにも思える。


「ま、今後ともご贔屓によろしくお願いしますよ」


 含んだような気味の悪い笑顔を残して、アダチさんは自分の仕事に戻っていった。


 思っていたよりも早くロッティは帰ってきた。


「サービスでオイル交換もしておきました」


 作業を担当したと思われる同い年くらいのスタッフが帽子を取ってにこやかに告げる。戻ってきたロッティも心なしか上機嫌に見えた。


「ありがとうございます」


 サービスで貰っていたチケットでオイル交換が無料となったらしいのだが、正直なところ無料だからやるのであって、どう言う効果があるのかイマイチよく分かっていなかった。


「ねぇロッティ、エンジンオイルとかってバイクにとって結構重要なの?」


 スタッフが奥に引っ込んだ後、小声でその様に尋ねたところ、ロッティは呆れ顔を俺に向けた。


『貴方ね・・・・・・機械にオイルが必要なんて当たり前じゃない』


「確かに!」


 言われてみればその通りであった。


『エンジンの中では沢山の歯車やパーツが複雑に高速回転しているわ。だからオイルが足りなかったり、汚かったりすると金属が摩耗してしまうの・・・・・・それ以外にもエンジンの汚れを洗浄したり、シリンダーの密閉を保ったりする役割があるのよ?』


『結構どころじゃないわ。必要不可欠よ』と鼻を鳴らされる。


『エンジンオイルはバイクにとって『血液』って言われるくらいよ? ・・・・・・そうね、だいたい2000km毎に交換してくれれば良いわ』


「な、なるほど・・・・・・」


 ロッティのお陰でエンジンオイルの重要性を学ぶことが出来た。オイル交換をしっかりしていないとバイクが長持ちしないと言うわけだ。


「ありがとう、今日は大切なことを学んだよ・・・・・・つまりオイルが無いと『老いる』ってことですね・・・・・・しでででででぇッ!⁉︎」



 思いっきり足を踏まれた。踵で。


※空冷か水冷かによってもオイル交換に適切なタイミングは違います。また年式などによっても必要なオイルの種類、容量、交換頻度は変わって来ます。

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