エベレスト、人類初登頂までの道程

きつねのなにか

かみがすわるところ

 ここに数名の登山者がとある山を登っている。


「5月23日午前6時。こちらエドモンド・ヒラリー。視界は良好、雲もなし。登山は順調だな、オーバー」


「テンジン・ノルゲイだ。酸素ボンベの空気もまだまだ足りているよ。荷物運びの役目も順調だ。オーバー」


「こちらベースキャンプ通信担当。状況把握。思わぬクレバスがないか注意して行動してくださいね。オーバー」


「こちらエドモンド、了解した。オーバー」



「こちらベースキャンプ。現在時刻5月23日午前8時。登頂は順調かな? こちらでは蝶が舞い奇麗な朝露で草木が華やいでいるよ。この付近の自然はここまで登ってきていても素晴らしくきれいだ。オーバー」


「こちらエドモンド。順調だがこっちはすでに雪と氷と岩しかない。ただし後ろを振り返って世界をみると……言葉にならないな。カメラを持つ余裕さえあればなあ。テンジンに持たせればよかった」


「こちらテンジンだ。俺は運び屋だが何でも運ぶわけじゃないぞ。オーバー」


「こちらベースキャンプ。エドモンドはテンジンに何でも持たせすぎなんだよ。オーバー」


「ほらな、神の怒りがお落ちになった」


「ま、持たせすぎは間違いないからな。こちらエドモンド、以上だ」


 一人の登山家と一人の荷物持ち。登山家エドモンド・ヒラリーと荷物持ちテンジン・ノルゲイが、頂上へと向かっている。神の頂に座るために。神の祝福を受けるために。


「こちらエドモンド。現在時刻5月24日午前6時。体調は良好。本日も登頂を開始する。前日の緊急キャンプ、ビバークだな。そのあとの登頂で、観測隊が計測したキーポイントを明確に通過した。現在8500メートルを踏破したということになる。山頂まで残り300を切ったか?第3キャンプサードを張るがよろしいか。オーバー」


「こちらベースキャンプ。状況把握。イエローバンドを超えたというわけだね。おめでとう。キャンプは3つめサードを張ったら残りは最後の一つしかないが大丈夫か? ビバークの残りはどうなっている? ビバークしたというが体調は? オーバー」


「こちらエドモンド、イエローバンドは凄かったぞ! 貝がな、貝が化石になって埋まっていたんだ! テンジンとピッケルで貝をほじくりあっていたよ! 僕が登頂したら今度は科学隊がここまで登るんだろうなあ!」


「ああ、凄かった。化石というものを見たことは初めてだ!」


「……あー、こちらベースキャンプ。聞いてるか? オーバー」


「こちらエドモンド、聞いてるぞ! なあテンジン、イエローバンドって目の前で見ても本当に黄色いんだな! 目の錯覚とかじゃないんだ! 本当にカメラを持ってきていないことが残念で仕方がない! 科学隊への資料にもなり得るのに!」


「そうだな、本当に黄色かった。この地域の信仰は本当だったんだ!」


「こちらベースキャンプ。こちらベースキャンプ。あーあーあー、聞いてますか、テンジンさーん、エドモンドー? オーバー」


「だから聞いてるって! テンジン、自分でベースに成果を報告してみろって! ああ、まだ英語がうまくないんだったな。よくわからないが虫っぽい化石だったんだ!風化しすぎていて採掘したら砕けてしまったんだけどね!」


「ああ、壊れたな。残念なことだ」


「……あー、こちらベースキャンプ。こちらベ・エ・ス・キャンプ。聞いてる? オーバー?」


「……すまん、こちらエドモンド。すまない、興奮してしまった。オーバー」


「こ・ち・ら・ベ・エ・ス・キ・ャ・ン・プ。キャンプは3つめ《サード》を張ったら残り一つだが大丈夫か? オ・オ・バ・ア!」


「こ、こちらエドモンド、すまない。ああ、わかってる、すまない、わかってるよ。本当にすまない。……ふう。うん、第3キャンプサードキャンプはここにする。ここならテンジンと二人で簡単にキャンプを立てられる。最後の一つファイナルテントは8700付近で立てようと思う。見た限りそこまではビバークしてしまう以外に安全にキャンプできる場所がほとんどないんだ。オーバー」


「こちらテンジン。ビバーク用の緊急キャンプセットはまだ在庫があるよ。」


「こちらベース。そうか、浮かれるのもいいがよろしく頼むよ。しかし、テンジンはどれだけの荷物を積み込んだんだ……? オーバー」



「こちらエドモンド、現在時刻5月24日午後1時。第3キャンプを設立する。オーバー」


「こちらベースキャンプ。了解。少しゆっくりしてもいいから頑丈なのを立ててくれ。どうも数日間雲行きがよくないようだ。オーバー」


「……よし、時刻は午後3時30分か。無事に第3キャンプを設立できた。テンジン、ベースに連絡を入れたらここで一晩泊まろう。いやあ、ここは全ての物質が凍ってしまっているな。ほら、ニュージーランドから持ってきたビスケットもカッチカチだよ。それでもガスバーナーは元気に燃えてくれる。凄い技術だね」


「教えてくれなかったら現地の人である私には魔法の品物って見えただろうね。実際最初はかなり驚いたよ」


「だろうな。よし、お湯が沸いた。テンジンも紅茶をどうだい。ここから先は、お互いの燃料などの物資を一つの、共有のものとして考えたいんだがどうだ? 登山者と荷物持ちのシェルパ、そういう風に別々に考えないで相棒バディとなって行動した方が……」


「――神のくらへ到達できると思うんだ」


「そうだね。その考えに賛成だ。行こう、相棒」


「こちらエドモンド。現在時刻5月26日午前12時。第3キャンプにこもること2日目。今日も動けそうにない。天候の女神が僕たちに振り向いてくれないね、オーバー」


「こちらベースキャンプ。状況把握。なんとか通信は確保しているよ。紅茶の在庫はあまりないのではないかな。こちらでは既にベースキャンプが撤退する準備を始めている。エヴァンズとボーディロンのペアが酸素不足で登頂を断念しているのは、もう話したよね。エドモンドのことだから大丈夫だとは思うが、ベースが決定したら必ず従ってくれ。オーバー」


「こちらエドモンド、わかってるさ――」


「――こちらエドモンド。現在時刻5月26日午後3時! 空が開いた! これなら登頂を再開できる! テントの中でルートも開拓したよ。今日ギリギリにビバークすれば明日には8700に突入できる! これで十分に到達できる!」


「こちらベースキャンプ、こちらも雲の状況を確認した。行動は追認する、が、過剰興奮していないか? 判断は慎重に! 通信終わりにオーバーをすることすら忘れていないりだろ!! エドモンド! テンジン! 判断は慎重に!! オーバー! 頼むよ!」


「大丈夫、私は冷静だよ。オーバー」



「こちらベースキャンプ、ひどい猛吹雪だ! 全隊員は嵐が抜けたのちに帰還しろ。繰り返す、こちらベースキャンプ!……」



「こちらエドモンド、残念なことに吹雪が襲ってきた影響で時計が壊れてしまった。今は5月27日か28日か。生きた心地はしなかったな、あの吹雪。しかしこの地方の不死鳥伝説は本当のようだ。なぜなら俺たちは今こうやってベースに向けて喋っているからだ。吹雪の後8700にファイナルキャンプを立てた。観測隊の計算だと後140メートルくらいか。僕もテンジンも無事だ、明日アタックする。いくしかない。オーバー」


「こちらベースキャンプ、こちらベースキャンプ! まずは応答してくれ! 一方的に話すな! ……聞いているか!? 聞こえているのか!? ええい、通信状態は吹雪が過ぎ去ったこの透き通った空以上にクリアなのに!!  こちらの計算ではもう物資がない! 酸素がギリギリだろう! 今、また、急速に雲が山頂へ向かっているんだ! 緊急避難するためにラストキャンプで過ごして、物資はそこで消費してくれ!! しのいだら帰還だ! もう帰還するんだ! テンジン! エドモンドを止めて! お願いだからストップしてくれ! オーバー!」


「こちらエドモンド。現在時刻午前4時。今から山頂へ登頂を目指すアタックする」

「こちらテンジン。最初で最後のアタックだ。大地の神よ、私たちに力を――」


「エドモンド、エドモンド・ヒラリー!! テンジン・ノルゲイ!! 後ろに前進してくれ!!」


「こちらエドモンドとテンジン。一歩一歩着実に登頂している」


「こちらエドモンド。今いるあたりがおそらく8800。いやあ、8700からの100メートルは相当きつかった。右足の感覚がなくなっていてね。テンジンが支えとなってなんとか進めたよ」

「僕たちは運命共同体だ」


「こちらベースキャンプ、馬鹿なことやってるんじゃない!足が死んだら帰れな……ザザ……、ザザ……、」


「こちらエドモンド。僕の酸素がなくなったのでテンジンと分け合い始めた」


「こちらエドモンド。Japanの……あれはなんだっけ」

「二人三脚だろ?二人の足、片方同士を縛ってともに歩く競技だ」

「そうだそうだテンジンよく知ってるな、ニニンサンキャクだ。ニニンサンキャクはこんな感じなのかな?」




「――なあ、みんな。ニニンサンキャクから途絶えてもう何時間だ……? ……こちらベースキャンプ。現在時刻5月29日午前6時。応答してください、オーバー」


 ――返信が、ない。


「こちらベースキャンプ。現在時刻5月29日午前7時。応答してください、オーバー」


 ――返信が、ない。


「こちらベースキャンプ。現在時刻5月29日午前8時。応答してください、オーバー」


 ――返信が、ない。


「こちらベースキャンプ。現在時刻5月29日午前9時。応答してください、オーバー」


 ――返信が、ない。


「現在時刻5月29日午前11時。こちら、こちらベースキャンプです。エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイに告げます。5月29日中に返答がない場合、ミッション中の事故ということで、あなたたちを回収することを諦めます。こちらにも雲が近づいているため、次いつベースキャンプから発信できるかどうか、わかりません……オーバー」


――返信が。


「こちらエドモンド、まだ登ってるよ。テンジンも横にいる。距離はもうあと5メートルないな」


 返信が。


「きた!? だれか、今何時ですか!?」


「不死鳥伝説ってのは、神に祝福されたもののことを言うのかもしれないな。さあ、あと数歩、あと数歩だ! 行こう! テンジン!」

「最後のエドモンドお荷物を運び込む! もう行ける、もう行けるぞ!!」


 ――ここは神がおわす、神がするところ


「こちらエドモンドとテンジン、聞こえているか?」 


「こちらベースキャンプ! クリアではないが聞こえているよ!」


「エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイ。二人でエベレストのサミットへ到達した。そう、テンジンと一緒にな。ああ、ここだ。ここが、神のくらだ」


「おめでとう! 現在時刻5月29日11時30分! 世界初の登頂者だ! 本当におめでとう! 帰りは……大丈夫か? オーバー……」


「こちらテンジン。ああ、帰れるよ。テンジン荷物持ちがいるからな。これよりファイナルキャンプへ戻る。そこには僕が持ち運んだ物資がまだあるんだ。酸素も添え木もね。オーバー」




「こちらベースキャンプ。現在時刻1953年6月1日13時24分。エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイを捜索隊が無事発見しました。これより両名に医療行為を受けさせつつ、我々は下界へと去っていきます。……ありがとう、エベレスト。オーバー」



 以下の言葉は1975年に不幸にも早い死を迎えたルイス・メアリー・ローズ夫人が一度だけ聞き、メモに残していた文章だそうである。


「なんで僕もテンジンも、どちらが先に最後の一歩を踏んだのかを「同時」としか言ってないって? 僕がいなければ、この登山計画は成立していないだろ? テンジンがいなければ、僕は最後まで登り切ることができなかったのは明白だよね。テンジンを、ただの荷物運びだと思っていたら、登ることはできなかったな。もちろん、ベースキャンプもいないとだめだった。チームが、全員が全員を後押ししたからこそ、最後の一歩を踏めたんだ。誰がかけても駄目だったんだ。だから、「同時」なんだ。だからどの人から尋ねられても「同時」としか言っていないんだ。誰がかけても、達成できるものではなかったんだ」

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