3-3

「……一つ、言っておくことがある」

 田馬がドアノブに手をかけた所で、靴を履き終えた雁人が言った。

「何だ?」

 少し苛ついた様に田馬が聞き返した。左手には巨大な工具のような装置を持っていた。

「もし俺が能力を使った時のことだが、氷点下六十度になる」

「それは知ってる」

「想像の三倍位冷えると思ってくれ。それに物に触るな。自分の体にも。水分が凍り付いて張り付く。鼻や唇も閉じると開かなくなるから気をつけろ。それと、防寒着も無駄だ。肉体に直接作用する」

「鼻や唇ね……なるほど、分かった。じゃ、いいな? 今なら周辺に通行人はいない。出たら奴らの住居まで走る。で、普通にインターホンを押して名乗るが、まあ出ないだろう。こいつでドアをぶっ壊して……」

 田馬は左手の工具を持ち上げた。ドアを破壊する為の道具のようだ。

「中に入ったら俺達が建物内部の安全を確保する。あんたは瀬尾儀の後ろだが、なるべく壁に近づいて動け。奴らに背後に立たれないようにしろ。いざという時に瀬尾儀が撃ちにくい」

「分かった」

 雁人が答えると田馬は摩瑠鹿に目配せし、ドアを開けた。そして走り出す。全速力ではないが結構な早さだった。道路の向こう側からも誰かが走ってくる。田馬が言っていた他の連中、工藤と詩谷だった。

 やがて目的の住居につき、田馬がインターホンを押す。そして強くノック。工藤と詩谷、摩瑠鹿と雁人はドアの脇で下がって突入の時を待つ。

「こちらは泰遠警察だ。九田従人、中にいるのは分かっている。一昨日の消防署での火事について重要参考人として聞きたいことがある。ドアを開けろ」

 再び強くノックする。そして十秒ほど待つが、インターホンからの返事はなく、中で人が動く気配もなかった。

「九田、いるのなら出てこい。ドアを破壊するぞ」

 田馬が抱えていた工具をドアノブにはめるようにドアに当て、そして引き金を引いた。爆発音がして、工具の後ろから白煙が漏れる。工具を放すとドアノブ周辺が破壊されており、ドアノブが鍵の部分と一緒になって落ちた。田馬は装置をドアの脇に放り、ドアの抉れた部分に指をかけて勢いよく開けた。

 田馬は先頭になって拳銃を構え玄関に入った。摩瑠鹿も工藤達も拳銃を構えて続く。

 中には誰もいない。左右に部屋につながる戸があり、奥にもドアが見えたが内部の様子は分からなかった。正面には二階への階段があったがそこにも人影はない。

「下から制圧しろ。家の裏は別の班もいるが、極力この建物から逃がすなよ」

 そう言い、田馬は階段の右奥の部屋に向かった。摩瑠鹿と雁人は左の部屋、工藤と詩谷は右の部屋に向かう。

 摩瑠鹿はガラスの引き戸を開け、拳銃を前方に向けながら部屋に入っていく。室内の左右を確認するが誰もいない。その部屋は居間らしく、低いテーブルとソファが二脚。壁際に棚があったが何も置かれてはいなかった。ゴミ箱にはビニールの包装があふれ、人が生活していた痕跡があった。

 部屋の奥側には更にドアがあり別の部屋に続いている。物音はしないが、誰かが潜んでいるかも知れない。

 摩瑠鹿が雁人に目配せし、雁人は壁際に張り付いた。

 足音を殺してドアに近寄り、摩瑠鹿は勢い良くドアを押し開けた。摩瑠鹿は拳銃を前方に構えて中に入っていく。

 誰もいない。そこは書斎のようだった。本棚には本が並んでおり、机の上にも何冊か乱雑に置かれている。ノートもあるようだった。

 九田が使用していた部屋かも知れない。摩瑠鹿はそう思いノートに近づいて確認する。表紙にNo.2と書かれており、ページの途中には走り書きされた付箋などが挟まっていた。中身を確認したかったが、証拠資料を荒らすことになる。それに今は九田の身柄を抑えることが優先だった。

 雁人は本棚に近づいて口を閉じたまま何かを指さしていた。摩瑠鹿が本棚を確認すると、そこにはメタフォーミング能力や環境寛解タワーに関する技術的な書籍が何冊もあった。九田は洋服店の販売員。こんな技術書を必要とするような職業ではない。

 趣味という可能性は低いだろう。犯罪の為のメタフォーミングの方法を独学で学んでいたのか、それとも別の誰かが使っていた資料かも知れない。それも九田に聞けば分かることだ。摩瑠鹿は窓を開けた形跡がないことを確認し、部屋を出た。

 玄関に続く廊下に戻ると、田馬が階段の脇に立っていた。向かいの部屋からも工藤達が戻ってくる。

「右の部屋は無人だ。外に出た痕跡もない」

「左も同じ」

 工藤と摩瑠鹿の報告を聞き、田馬が階段の上に視線を移す。

「後は上か……」

 階段の先の壁は突き当りで、部屋は手前側にあるようだった。そこに立て籠っているのか、それとも摩瑠鹿達が来るのを待ち構えているのか。もし銃で武装していたら、階段を上がる時が一番危険だろう。

 田馬は摩瑠鹿達の顔を見て、無言で頷いた。そして田馬が先頭になって一歩ずつゆっくりと階段を上がる。中ほどまで上がって反対を向き、逆向きに階段を上がっていく。足を止め周辺を確認するが、田馬はそのまま二階まで上っていった。工藤と詩谷が続き、最後に摩瑠鹿と雁人が二階に上がった。

 二階は東側、階段の左側にしか部屋がない。廊下にはもちろん誰もいないし、二階の窓から逃げた様子もなく、外の班から連絡もない。九田と他の二人、計三人がこの左側の部屋にいるはずだった。

 田馬は拳銃を握り直しドアに近づいていく。

「九田、中にいることは分かっている。出てこい。こちらは拳銃で武装している。危険なメタフォーミングを行った場合は発砲する」

 室内から返答はなかった。人が動いたり逃げるような様子もなかった。摩瑠鹿が雁人を見ると、雁人は部屋を壁越しに見つめ様子を窺っているようだった。不審なメタフォーミングを感じれば、雁人が無効化する。氷点下六十度の超低温空間。それも十分危険だが、事件で使われた気温一〇〇〇度のメタフォーミングよりはましだった。

 田馬が引き戸に手をかけ一気に開ける。拳銃を構え半歩進むと、そこには九田がいた。壁を背にし、窓の下に胡坐をかいて座っている。その手には四角い金属製の箱が握られていた。そして九田の右隣に男と女がいた。張り込みで確認していた、先日この家に入った二人だ。男は膝を抱え、女は正座を崩して座っていた。どちらも不安そうな表情で俯いていた。

「九田とそこの二人。消防署放火事件の重要参考人として逮捕する。抵抗はするなよ。この距離なら外さん……」

 田馬は拳銃を九田に向けた。本来なら威嚇射撃を必要とする所だったが、この状態で威嚇も何もない。九田の握っている金属の箱がメタフォーミング波増幅装置なら、危険に晒されているのはこちらの方だ。刃物を喉元に突き付けられているのと同じだ。威嚇をしている暇などない。

「死にたくないのなら、撃たない方がいいですよ、刑事さん」

 九田は拳銃を恐れる様子もなくそう言った。そして、田馬に金属の箱を見せるように右手を持ち上げた。

「これは増幅装置だが、デッドマン装置をつけてある。私の手から離れれば即座に発現する。私から奪おうとしても無駄だ。私が手を離す方が早い」

 デッドマン装置。そう言われ、田馬は九田の手にある銀色の箱を見た。

 スイッチ等を押している間は発現せず、保持者が死亡するなどして力が抜けた際にスイッチが戻り発現する。デッドマン装置とはそういう装置だ。確かに九田の右手の親指は箱の側面を押しているように見えた。

 最悪の場合は射殺して止めようと考えていたが、これでは射殺出来ない。腕などを撃つのも同じだ。九田を抵抗出来ない状態にするという事は、この装置を発現させることと同義だ。

「ここから出ていけ。我々に構うな。我々はこのメタドームの住民を救いたいだけなんだ。今ならばまだ間に合う。自力での連結が出来なくなってからでは遅い。早くタワーを止めなければいけない。君達にも分かっているだろう……? 去年、塔位(とうい)のタワーが停止したのはその前兆だ」

「消防署員を殺したお前達が何を救うと言うんだ? 俺達に分かっているのは、お前がその事件の重要参考人であるという事だけだ。その箱を停止させろ」

 田馬の言葉に、九田は憐れむかのような視線を向けた。

「君達はメタフォーミング犯罪対策課ではないのか?」

「……我々はメタフォーミング犯罪対策課だ。それがどうした」

「なのに……知らないのか? 私達がやっている事の意味が、分からないのか?」

 九田は本当に困惑した様子で田馬達を見ていた。そして、大きく溜息をついた。

「君達がメタ対なら、あるいは私達に賛同してくれるかもと思ったが……無駄のようだな。そうか。政府の隠匿はそこにまで及んでいるのか。それとも単に、君らが無知なのか、単に手駒というだけか……」

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