2-5

 摩瑠鹿は並んでいる本を見ながら、先ほどの九羽場との会話を考えていた。第一印象としては、なんだかやる気のなさそうな男に見えた。粉骨砕身頑張ります、などというのを期待していたわけではないが、先が思いやられるような気がした。

 しかし問題なのは、彼の能力がメタ犯罪に対して有効かどうかということだ。彼の性格がどうあれ、犯罪を止めることが出来ればそれでいい。

 しかしその為には、結局ある程度心を通わせる必要があるだろう。彼は刑事でも兵士でもない。先ほど鶴城も言っていたが、命じられれば動くというわけではない。友好的な関係を築いて損はないし、そう心掛けるべきだ。

 摩瑠鹿は二十四歳であり、九羽場よりも三歳年上だ。彼の目には自分はどう映ったのか。それは気になる所だったが、気にしすぎるのも本末転倒だ。仕事は仕事。上司や同僚のご機嫌取りをやって無理に笑ったこともあるが、これもその延長のようなものだろう。気は重いが、メタドームの住民の命が懸かっている。

 角の部屋のドアが開き、九羽場が出てきた。右手にリュックを持っている。

「じゃ、行きましょうか。刑事さん」

「はい、では」

 鶴城が部屋の外に出ようと後ろを向いた所で、九羽場は声をかけた。

「鶴城。賭けはどうなった?」

「ん? ……ああ、あれ?」

 鶴城は足を止めこちらを振り返った。

「賭け、とは?」

 摩瑠鹿の問いに、鶴城は困ったように言った。

「いや、刑事さんの前で使う言葉じゃないだろ……まあゲームですよ。雁人がこの研究所を出ることを、刑事さんがなんて言うかって」

「どうだった?」

 鶴城は摩瑠鹿を一瞥し答えた。

「出所だったよ」

「そうか、それは良かった。俺の勝ちだな」

 九羽場は微笑んで部屋を出ていこうとするが、その背中に摩瑠鹿が問いかけた。

「それは何の……賭けです? 出所?」

 言い訳をするように少しうろたえて鶴城が言った。

「いや、こいつが……出所だとまるで刑務所から出るようだなって。法的には特例外出と言うんですが、それを刑事さんが何と言うかって……すいません、下らないことで」

「いいじゃないか、その位。それにここは牢獄のようなものだ。出所が似合いだ。一応言っとくが、金は賭けてないからな」

「それは……配慮が足らず申し訳ありませんでした」

 摩瑠鹿は九羽場に頭を下げた。確かに、出所と言えば刑務所をイメージするかも知れない。研究所なので出所だろうと思っていたが、しかしそんな事を賭けにしていたとは。

「気にしないでくれ。俺は性格が悪いんだ。この能力のせいで心まで凍てついている……」

 そう言って九羽場は部屋を出る。

 その背中を見ながら、摩瑠鹿は九羽場の陰のある表情が気になった。心まで凍てついている……自虐的な言い方だった。やはり過去の事故が彼の心には強い影響を与えているようだった。母親の事故死の事を言うとへそを曲げると鶴城は言っていたが、やはりそうなのだろう。言葉には注意を払おうと、摩瑠鹿は思った。

 出ていった九羽場に続いて鶴城と摩瑠鹿も部屋を出る。九羽場はスニーカーを履き、爪先で床をトントンと叩いていた。

「俺が死んだらジョニーは頼むぜ、鶴城」

 振り向かずに、九羽場は言った。

「縁起でもないことを……お前は殺しても死なないさ」

 九羽場は玄関のドアを開けて先に出る。靴ベラで靴を履いている鶴城に、摩瑠鹿は聞いた。

「ジョニーとは?」

「観葉植物です。名前をつけて呼ぶと育ちがいいとかで……ペットみたいなものです」

 そう言われ、摩瑠鹿は部屋の隅にあった観葉植物を思い出した。

「大事にしているんですね」

「いや、水やりはほとんど私で。ただ、たまに聖書の朗読を聞かせていますよ。神の加護で良く育つか実験だと……冗談なのか本気か分からない」

 その鶴城の言葉に、摩瑠鹿は何も答えなかった。少し変わっている。さっきの賭けの話にしても、人を食ったような所がある。なかなか手間がかかりそうな相手だった。

 部屋の外に出てアクリルのドアからエレベーターホールに進むと、九羽場は既にエレベーターの中に入ってボタンを押して待っていた。

 鶴城はアクリルのドアが閉まらないように手で押さえながら摩瑠鹿に言った。

「では、雁人を頼みます。瀬尾儀刑事。私はちょっと片付けがあるので。IDは下の企画事業部に返してください」

「はい。ご協力に感謝します」

 摩瑠鹿が中に入ると、九羽場はボタンを押してエレベーターのドアを閉めた。無言のまま一階に到着し、IDカードを先ほどの企画事業部に入って返す。

 摩瑠鹿が先を歩き、九羽場は少し遅れて隣を歩く。門衛に目礼し敷地の外に出ると、九羽場は大きく深呼吸をした。

「久しぶりだな。半年ぶりだが……何だか熱いな」

 九羽場はニットの襟元を引っ張ってパタパタと内側に風を送り込んでいた。

「研究所よりは暑いようですね。では、バスと電車で泰遠まで向かいます。一時間半ほどです」

「車じゃないのか。残念だな。久しぶりに乗れると思ったんだが」

「使える車両が限られていますので……緊急ではないので公共交通機関になりました」

 二人はバス停までの道を歩き出した。九羽場は周辺をきょろきょろと見回していた。それほど珍しい物があるようには見えないが、ずっと部屋で生活している九羽場には違って見えるのだろう。

「警察に行って捜査に協力しろとは言われた。刑事に同行して現場に行き、そこで能力を使えと。しかし……俺の力で本当に止められるのか? あんたらが止めたいのは、一昨日のような大規模な事件なんだろう?」

「対象はそうです。大規模な組織的な犯行。連結メタフォーミングで施設の内部にまで範囲を広げ、入り込んだ一人から少数の人間が致死性のメタフォーミングを発現させる。それを部分的にでも無効化出来れば、彼らの連結メタフォーミングは崩れると考えています」

 一昨日に起きたのは消防署での殺人だった。事前に防犯装置の解除コードを盗み、それを使って消防署内に一人が潜入。そして連結メタフォーミングを行い、一〇〇〇度の気温を生み出した。消防署員四一人と犯人一人が死んだ。消防署内部は難燃性の素材だったが表面は燃え、署員と犯人は全員が焼け死んだ。

 建物の火事はむしろ殺人の副産物のようなものだったが、全焼し全員死んだという事実は非常に衝撃が大きかった。それまでにも同様の連結メタフォーミングによる事件はあったが、影響が大きいものでもせいぜいが軽度の気圧変化や温度変化程度で、昏倒する者はいたが死人が出るほどではなかった。それが一気に四一人が死亡し、犯人も自決するかの様に死んだ。今まで犯行に関与した団体とは違い、正気の、尋常の組織ではない。メタフォーミング犯罪対策課としても、強硬手段を取ってでも対抗せざるを得なかった。それが稀覯人である雁人への協力要請だった。

 メタドーム内では個人によるメタフォーミングはほとんど不可能である為、メタフォーミングによる犯罪もそれほど数は多くなかった。一番多いのは反メタドーム団体による数十から数百人による連結メタフォーミングで、タワーに負荷をかけて損傷を与える目的で犯行は実施されていた。それでも短時間だけ時期外れの強い日差しや雪が降るなどでほとんど実害はなく、メタフォーミング犯罪対策課としてもそこまで強硬に取り締まることはなかった。

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