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「はい。分かりました。では……」

 鶴城はポケットから通信端末を出し、画面上で何かを確認した。

「彼の心拍が少し高くなっている。無関心なようで、あれで緊張しているんでしょう。不愛想ではありますが、まあ気にしないでやってください。大きな子供のような部分はありますが、彼なりの正義感を持ち合わせています。犯罪抑止の為であれば協力は惜しまないでしょう」

「はい。ありがとうございます。彼の……心拍数などもモニタリングしているのですか?」

 鶴城は通信端末を掲げて答えた。

「首に着けている能力制御装置に組み込んでいます。普段の健康管理の為です。では、行きましょう」

 鶴城に続いて部屋を出て、奥へと進む。隣の隣の部屋。壁にドアがあるが、そこから突き当りまで十五メートル。その範囲が全て彼の部屋らしい。奥の五メートル程は壁全体がアクリルになっていて中が見えるようだったが、ここからでは中の様子は見えなかった。

 鶴城がドア脇のボタンを押す。

「俺だ。刑事さんがいらっしゃった」

 数秒して返信が返ってきた。

「分かった」

 思ったより高い声だった。顔写真は資料に添付されていたが、どこか中性的な顔立ちだった。髪は短く、目つきは少し鋭く見えた。

 鶴城が操作端末にカードをかざし開錠、中に入る。そこは玄関で、上がり框のように二〇センチほど高くなっていた。

「スリッパに履き替えてください」

 摩瑠鹿は出されたスリッパに履き替える。何かの芳香剤の匂いがする。まるでよそ様の家に上がった時のようだが、実際そうだろう。ここは彼の家だ。研究所の一室だが、彼はここで十六年を過ごしている。家に違いなかった。

 玄関の奥のドアから室内に入っていく。中はフローリングだった。奥の壁には一面に本棚が並び、手前側の壁には流し台があり、その流し台の前の机で彼は座り本を読んでいた。左右の壁はアクリルで、ブラインドがついているが今は上げてある。外にはさっき通ってきた通路があり、通路越しに窓から外の景色が見える。奥側の角には壁で仕切られた部屋があったが、恐らくそこは寝室なのだろう。

 彼は入ってきた摩瑠鹿を見たが、すぐに興味なさそうに視線を本に戻した。首には金属製のチョーカーのような物をつけている。資料で見た、メタフォーミング能力を制御する装置だ。

「彼女が泰遠警察の刑事、瀬尾儀さんだ」

 鶴城の横に立ち、摩瑠鹿は九羽場を向いて名乗った。

「瀬尾儀摩瑠鹿です。ご協力に感謝します」

 九羽場は本にしおりを挟んで閉じ、ゆっくりとした動きで立ち上がった。

「……九羽場雁人だ。俺の力を使いたいとは……今更だが、警察は本気なのか?」

 質問の意図が摩瑠鹿には分からなかった。警察庁は本気だし、泰遠警察署も本気だから自分はここに来ている。そして今後の事件を止められると本気で思っているのかという意味であれば、それも本気だ。止めなければならない。摩瑠鹿は聞き返した。

「本気とは? 我々は事件を未然に防ぎたい。その為ならあらゆる手段を使う。これは、その一つです」

「メタフォーミングの無効化とは……確かにそういう実験もやったが、犯罪者相手にやるとはな。しかし、その位しか俺に利用価値はないか。この能力は……」

 最後の方は摩瑠鹿に答えると言うより、自分に言い聞かせるような言葉だった。

「不安に思われるのは分かりますが、貴方の安全は我々が確保します」

「お願いしますよ。協力はするが、命まで懸ける気はない」

 九羽場は首の能力制御装置を指で叩いた。

「こいつは? 外すんだろ?」

「ああ、そうだ。今までの外出とは違う」

 鶴城は九羽場の方に歩み寄っていくが、摩瑠鹿は聞いた。

「制御装置を外す? それが無いと……危険なのでは?」

 そう言われ、九羽場は鶴城の方を向いて首を傾げた。

「外さないのか? まあ、どっちでもいいが。外さないなら刑事さん、あなたがこいつの制御解除装置を持っていないといけない。それにいざ使うって時は、いちいちそいつを押さなきゃいけないぜ」

「解除装置?」

「話が行ってないのか? どうなってるんだ、鶴城」

「ええと……すいません、その話は……そちらの警察の方に行っていないかもしれません」

 鶴城が眉間にしわを寄せながら言った。目が泳いでいる。何かを思い出そうとしているようだ。

 それを見て、呆れた様子で九羽場が言う。

「俺は能力を制御出来る。こいつがなくても勝手に能力が発現することはない。まあ銃で撃たれたり刺されたりしたらどうか知らんが……いざという時に、いちいちポケットから解除装置を出してボタンを押している余裕があるのか? まあ、あんたに任せるよ」

「それは……」

 摩瑠鹿の認識では、九羽場は能力制御装置をつけた状態で協力してもらうと考えていた。そして必要な時にだけ制限を解除する。しかしそれでは、確かに九羽場の言うようにいざという時に即応出来ない。

「では、捜査中は外してください。それ以外、宿舎にいる時などはつけて下さい」

「そうか。で、今はどうなんだ? 捜査? それ以外?」

「今は……付けていてください」

「ふむ。ではそうしよう。従うよ」

 九羽場は角の部屋の方を向いた。

「荷物を取ってくる。それと、通信端末も充電中だ。茶は出さないが、少し待っててくれ」

「お構いなく」

 九羽場は読みかけの本を持って小部屋のドアを開け入っていった。摩瑠鹿はその間に、彼の生活の全てである部屋の様子を眺める。部屋の隅には観葉植物。他に置いてあるのはゴミ箱位のものだ。流し台の上にも何も置いてはいない。ネットを張った三角コーナーがあったが、ゴミはない。しばらく留守にするから片付けたのか、それともいつもこうなのか。生活感が無いと言えば無い。しかし特殊な環境だから、何とも言えなかった。

 一番目に付くのは本棚だった。奥の壁に四つの本棚が並べられ、どの棚も八割方埋まっている。

 本棚を見る摩瑠鹿の視線に気づき、鶴城が言った。

「紙の本が好きで……まあ結構読書家なんですよ。SFが好きらしいですが。よければ、近くでどうぞ」

「そう、ですか」

 どうせ待つだけの時間なので、摩瑠鹿は本棚に近づいていった。タイトルだけではどういうジャンルか分からない物が多いが、SFと書かれた雑誌が二十冊位あった。他にも漫画や、絵本もある。古典的な哲学書のような、かなり装丁が痛んだ古い本もある。凍結災以前に作られた本も混ざっているようだった。

「これは十六年分ですか?」

「いえ。多分五年分位……古い奴や読まない奴は外の物置に入ってます。売るのは嫌らしいので、溜まる一方です。希少な物もあるのでちょっとした一財産ですよ。買うだけ買って読んでないのも多いようですが……積読って言うんですかね」

「積読……」

 買って読まない? 訳が分からない。読む為に買ったのではないのか? しかしまあ、服を買っても数えるほどしか着なかったというようなことは摩瑠鹿にも覚えがあった。そんなものなのかも知れない。

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