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 足を止め、ざっと周囲に目を動かす。事務所は左にあると言われたが、内部に少し興味があった。正面には二階へ続く大階段があり、ロビーから二階までが吹き抜けになっている。右の通路には廊下に面していくつか部屋があるようだったが、ここもこれ見よがしに天井に監視カメラがつけてある。それに左の事務所側の通路にもカメラはあり、二階の吹き抜けの天井にもあった。

 監視カメラが警察署より多い。民間企業は機密漏洩防止の為に監視カメラを多数配置する場合もあるというが、この研究所もそういうものらしかった。

 機密というなら、メタフォーミングに関する情報は最重要機密だろう。環境寛解タワーの改善にかかわる技術は関係企業などにも公開されているそうだが、その技術を解析すれば、逆に環境寛解タワーを誤作動させたり破壊することが出来る。情報は統制されているとは聞くが……ここ最近のメタ犯罪を見ていると不安になる。何がきっかけなのかは分からないが、急に増加したのだ。そして、多数の人命を奪う凶悪な事件がついに起きてしまった。

 摩瑠鹿は左に進み、一番手前の部屋の前で止まった。ドアの上のプレートには企画事業部とある。担当は鶴城だと門衛の彼が言っていた。ドアをノックし、入る。

「失礼します」

 摩瑠鹿の声に机に座っていた職員達が視線を向けた。デスクを四つ合わせた島が右と左にあり、一番奥に二つの机が少し離して置いてあった。その二つの机の左側にある壁には、まるで銀行で見るような厳重なロックのドアがあった。機密情報はその中にあるのだろう。

 どの机にも人はいたが、そのうちの一人が摩瑠鹿を見て立ち上がった。背の高い眼鏡の男だった。

「瀬尾儀さんですね? お待ちしてました」

 その男は机からIDカードを手に取って摩瑠鹿の方へと歩いてきた。

「鶴城諒太と申します」

「泰遠警察、メタフォーミング犯罪対策課の瀬尾儀摩瑠鹿と申します」

 鶴城は胸ポケットから名刺を取り出し、摩瑠鹿に両手を添えて差し出す。摩瑠鹿も遅れないように、ポケットから一枚の名刺を出し、交換した。

 鶴城の名刺には、企画事業部と計量分析部主任の二つの肩書が併記されていた。兼任しているようだ。主任ということは、相応の年齢ということだろうか。見た目では三十前後に見えた。

 鶴城の名刺を持ったまま、摩瑠鹿は聞いた。

「彼の引き渡しに関する書類は昨日送付させていただいたとおりです。特に問題がないということでしたが、彼はもう出所可能な状況でしょうか」

「ええ。問題ありません。三階に打ち合わせの部屋があるので、お手数ですがそこまで。あと、これを」

 鶴城は摩瑠鹿に青いストラップのIDカードを差し出す。

「二階より上のドアや通路はこのカードがなければ入れません。ゲスト用をお渡しします」

「はい、ありがとうございます」

「では、ご案内します」

 鶴城は摩瑠鹿の隣を通り抜け、ドアから出る。

「失礼しました」

 摩瑠鹿は軽く頭を下げた。誰に目を合わすともなく、摩瑠鹿は職員達を見た。向こうもこちらを見ていて、目礼を返していた。その目は好奇に満ちているように見えた。仕方がないだろう。彼らは普段、刑事など見る機会はない。それもメタフォーミング犯罪対策課だ。自分達の仕事にも無関係というわけではない。

 それに、一昨日の事件は当然知っているだろう。テロにより消防署が火事になり、四十一人の消防士と犯人一人が死んだ。ニュースでも大々的に取り上げられているし、新聞にも一面に書かれてしまった。メタフォーミング犯罪対策課としては、あってはならないことだった。しかし起きてしまったから、こうして自分がこのメタ研の恩沢支部に来ているのだ。

 踵を返し、摩瑠鹿も部屋を出る。外では鶴城が待っていて、摩瑠鹿が来たのを確認してエレベーターに向かった。

「こちらへは車で?」

 鶴城がエレベーターの上りボタンを押した。すぐに開き、二人はエレベーターに乗る。

「いえ、電車です」

 摩瑠鹿は歩きながら答えた。扉が閉まり、エレベーターが動き出す。

「電車ですか。泰遠からだと……一回乗り換えですか」

 鶴城はドア脇のボタン操作盤の方に立ち、前を向いたまま言った。摩瑠鹿はその対角線上の反対の角に立ち答えた。

「はい。一時間半ほどでした。この区都は暖かいですね。コートが、少し暑かったです」

「ははは。そうですね。斗詩はちょっと暖かいですから。おかげで私達は、もう十月ですけどまだ冷房を使っています」

 エレベータは滑らかに上昇し、三階まではすぐだった。扉が開き、鶴城の目くばせで摩瑠鹿は先に外に出た。

 そこはエレベーターホールだった。左右は通路につながっているが、金属のフレームと、強化アクリルの壁で仕切られていた。左右のどちらにもドアがついていたが、ノブの所に箱状の装置が取り付けてあり施錠されているようだった。IDカードはこの装置にかざして使うのだろう。

「左の方です」

 鶴城について左のドアに行く。鶴城はドアの脇の操作盤に胸から下げた自分のIDカードをかざした。電子音が鳴り、ガチャリとロックの解除された音が聞こえた。

 鶴城はドアを開けて進み、摩瑠鹿は自分の首にIDカードのストラップをかけながらついていった。

「ここが打ち合わせ室で、隣の隣が彼の部屋です。この研究所で一番見晴らしがいい」

「そうらしいですね。彼への配慮と伺ってます」

「ええ。中学生位の時に、高い所はあんまり好きじゃないと言っていたそうですがね。他に部屋を移すのも金がかかるので、そのままです。ま、今では気にしてないようですが」

「それは……大変ですね」

 うまい返しが思いつかず、摩瑠鹿はそう答えた。

 鶴城は打ち合わせ室のドアもカードで開錠し中に入り、摩瑠鹿も続く。自動で電気がつき、中には四人掛けの机が二つ並べてあった。部屋の奥には棚があり、古びた書籍や、カバーをかけられたいくつかの機械があった。

 鶴城と摩瑠鹿は机に向かい合わせに座る。

「彼のことは資料で送った通りです。過去の事故や、ここに来てからの調査記録。目は通されましたか?」

「拝見しました。彼の能力や、性格……社交性に難ありとの事でしたが」

「ええ、まあ」

 鶴城は苦笑した。

「子供の頃から割と無口で、今もあまり他人には興味がないです。人間嫌いというわけではないようですが……彼はこのドームにたった一人だけの稀覯人ですからね。孤独を感じているというか、所詮他人には自分のことを理解することは出来ないと考えています。あと一方的な命令は嫌います」

「と言うと?」

 命令を嫌うとは、聞き捨てならない言葉だった。他人からの指示に関しては過敏に反応する場合があるというような事が書いてあったような気がするが、その事のようだ。こちらは命令する為に彼の身柄を預かるのだ。それが嫌いというのでは、お話にならない。

「彼は法律や規則を重んじます。ですから、根拠の不明な指示や命令を嫌うんです。いいからやれ、とか。研究所でも、過去にそれでトラブルを起こしています。まあ、その時の担当者が少々横柄だったので」

「……今回の彼への協力依頼は法律に基づいていますが?」

「ええ。ですので、協力するということについては理解していますし、法律なら従うまでだと言っています。しかし、そちらが雁人をどのように扱うかによりますが……彼の能力を行使して犯罪を止めるとは聞いていますが、その際の状況や説明如何によっては彼は拒むでしょう」

「想定しているのは、大規模なメタ犯罪、危険なメタフォーミングを彼の能力で無効化し被害を未然に防ぐことです。その為現場で力を使えと命令することはあると思いますが、それに問題が?」

「いや、普通にそういう状況なら従うでしょう。しかし例えば、周囲に関係のない人などがいて巻き込んでしまうような場合に、被害はどうでもいいからさっさとやれとか、そういうのは恐らく拒みます。事前に、この法でこういう決まりになっているとか、そういう事を説明しておいてください」

「一般人への被害……確かに、想定されることではあります。彼の能力に巻き込まれると危険でしょうね……分かりました。その件については私から改めて説明させていただきます」

「はい、お願いします。注意点はその位です。あとは……過去の事件については触れられたくないようです。必要だと彼が理解するならいいでしょうが、興味本位では聞かないでください。へそを曲げます」

 彼は愛する母を、事故とは言え自分の手で殺してしまったのだ。その事を思い出したくないというのは当然だろう。事故の概要は資料にもあったが、敢えて本人に聞くようなことはない。摩瑠鹿はそう思った。

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