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これから研究所に迎えに行く男、九羽場雁人(くはば かりひと)は、いったいどういう男だろうか。摩瑠鹿は事前に資料に目を通してはいたが、実際に見るまでは判断出来ないだろうと考えていた。このメタドームに住む五〇〇万人の中でただ一人の特異型メタフォーミング能力発現者。俗称、稀覯人(きこうじん)。自身の意思によらず、周囲を凍結させてしまう危険なメタフォーミング能力を持っている。その能力で五歳の時に、自分の母親を事故死させている。
まるでドーム外の自然環境のような男だ。愛する母親であろうと、彼は自分の力で殺してしまったのだ。それ以来彼は研究所に預けられ育てられた。まるで幽閉だ。兄がいるそうだが、父も兄も一度も会いには来ていないらしい。
彼の為に特異型能力者保護法が作られ、それに基づき彼は保護され研究の対象となっていた。そして稀覯人と呼ばれるようになった。五歳から二一歳までの十六年の間を、ほとんど外出することもなく研究所の一室で過ごしている。
孤独で、厭世的。しかし普通の人間並みには倫理観や道徳心を持ち合わせており、特殊な出自ながら反社会的な性向を持ったりはしていない。社交性には難有りとのことだが、研究所に閉じ込められて会話の相手も限定的なのに、社交的も何もあったものではないだろう。その点は同情する。
しかし、極論すれば性格などはどうでもいい。必要なのはその能力だった。
彼の強力なメタフォーミング能力は周囲のメタフォーミング能力を無効化し上書きする。都市を守るメタフォーミング能力、メタドームでさえ例外ではない。
各区都ごとに約五〇キロ間隔で環境寛解タワーが建設され、タワーは住民のメタフォーミング能力を使って大規模連結型メタフォーミングを行ない、これにより有効直径一〇〇キロの範囲がメタフォーミングされる。タワーは区都の数と同じく二一基あり、有効直径を重ね合いながら都市全域をメタフォーミングし、形成される直径二〇〇キロの広大な空間、それがメタドームと呼ばれている。
環境寛解タワーによるメタフォーミングは強力であり、個人レベルのメタフォーミング能力ではタワーの生み出す環境に影響を与えることは出来ない。しかし、九羽場雁人は違う。個人でもタワーの出力を上回る力を持っており、能力を発現させれば、彼の周囲には氷点下六〇度の超低温の環境が上書きされて展開される。彼自身は低温の影響を受けないが、彼以外の人間が受ければ短時間でも死に至るような温度だ。この能力が制御能力の未熟な五歳の時に発現し、彼の母親の命を奪った。
それ以来、彼は研究所内部で暮らしている。最初は半ば強制的なものだったが、自分の力の危険性を理解するようになってからは、自発的に留まり続けている。その点で言えば、彼は極めて良心的な、利他的な人間とも言える。他者の安全の為に自らの自由や権利を放棄し続けているのだ。
自分であればどうだったろうか。摩瑠鹿は自分に置き換えて考えてみる。恐らく、もっとひねくれた性格になっていたろうと思う。九羽場という男には同情してしまう。しかし、私情は禁物だ。メタフォーミング犯罪対策課は彼を道具として利用したい。摩瑠鹿自身の考えとしてもそうであった。
人間として協力してほしいわけではない。その強力なメタフォーミング無効化能力が必要なだけだ。スイッチを押せば発現するような、そんな関係が望ましい。それは人権を無視した考えではあったが、メタフォーミング犯罪対策室、そして下部組織である対策課は、それほどまでに追い詰められていた。
とはいえ、相手は人間だ。押せばいいのか、引けばいいのか。ただでさえ特別な境遇の男なのだから、微妙な駆け引きが必要になるだろう。それをやるのは自分だ。押し付けられた形だが、やるしかない。
やがてバスが目的地についた。研究所前という停留所で、研究所までは徒歩五分ほどのようだった。
敷地の柵は見えるが、正面玄関までは少し遠い。柵の中には森林というほどではないが、木が等間隔に生え木立のようになっていた。ここでも自然、という訳だ。なるほど、意味や価値はともかく、泰遠より樹木を見る頻度は確かに多いような気がする。
木の隙間から、遠くに研究所と思しき施設が見えた。三階建ての白い建物。隣には更に高く黒いビルのような建物があったが、それは研究用の小型環境寛解タワーと資料にあった。
彼は研究所の三階で生活しているとのことだった。高い方が見晴らしがよく、多少は気がまぎれるだろうという配慮と聞いている。
二十一歳までの十六年間を、彼はその部屋で過ごしている。彼は三階の部屋から何を見てきたのだろうか。羨んだり、嘆いたりしてきたのだろうか。扱いやすい人間であればいいのだが。
歩いていくと正門にたどり着いた。門は遮断機のような細い棒でふさがれていた。門の左側の柱は詰所のようになっており、受付のガラスの向こうに門衛がいた。門衛は座っていたが、摩瑠鹿を見て立ち上がった。
「研究所に御用ですか?」
柔らかい口調だったが、男の体は屈強で、荒事にも対処出来そうだった。受付の内側、門衛の後ろの壁には警杖が立てかけてある。まるで警察署だ。男はひげも剃り身綺麗に整えている。摩瑠鹿には士気が高いように見えた。
「泰遠警察署の刑事です。瀬尾儀摩瑠鹿。事前に連絡をしています」
警察手帳を見せながら摩瑠鹿が答えると、門衛が右耳につけているインカムから音が聞こえた。門衛はそれに耳を傾け、音が止むと答えた。
「お聞きしております、瀬尾儀刑事。お通りください。事務所は入り口を入って左、一番手前の部屋です。担当の鶴城がおります」
「はい、分かりました。どうも」
門衛は目礼し、摩瑠鹿も目礼を返した。
なるほど、これが研究所か。摩瑠鹿は改めてメタフォーミング研究所という場所がどういうものかを理解した。門衛にも気合が入っている。監視カメラも目立つ所に二台。他にも何台か隠してあるだろう。よく見ると、さっきは気づかなかったが柵の上には鉄条網が張ってある。研究所とはなっているが、警察か軍か、その位の警備のようだった。
メタフォーミング研究所は我々メタドームの住民の生活を守っている。環境寛解タワーが無ければ我々は死ぬ。その為メタフォーミング能力の研究は現在も続けられており、いずれは、更にタワーを増やしドームの範囲を広げる計画があるとも聞く。
今までメタフォーミング研究所を意識したことはなかったが、これだけ厳重に守られているのは予算が潤沢ということであり、それは安心出来ることだった。そしてその予算の中には九羽場雁人の生活費も含まれている。その生活費分、彼には働きを期待したいものだ。
玄関は大きな板ガラスで作られており、風除室の内側から、外に見えるようにポスターが貼ってあった。
メタフォーミング犯罪警戒中! 危険な思想にNO!
警察官の制服を着た栗鼠のような生き物が標語と共に描かれている。これが斗詩警察のマスコットなのだろう。泰遠警察は肌がオレンジ色の人型生物だった。名前は何だったか……興味がないので覚えていなかった。
しかし、危険な思想にNOとは、なんともタイムリーな標語だ。そう思い、ポスターを横目に見ながら風除室でコートを脱ぎ、所内に入った。摩瑠鹿がここに来たのも、そのメタフォーミング犯罪、いわゆる危険な思想というものが原因だった。この二か月ほどで頻発し、そして一昨日にも大規模な犯罪行為があったのだ。そのおかげで彼、九羽場雁人の力を借りることが決まった。
自動ドアを抜けると空気がひんやりしていた。顔で感じる温度は、外よりも少し涼しい。わざわざテラフォーミング屋外を暑くしているのに屋内で冷房を使っているとは、なんとも贅沢なものだ。それも予算が多いからかも知れない。泰遠警察署は、冬寒く、夏暑い。四季を感じられると揶揄されたものだった。
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