2章 研究所

2ー1

 メタフォーミング研究所恩沢(おんさわ)支部は第十四区都の斗詩(とし)にあった。第九区都の泰遠(たいおん)からは区都鉄道の斜行線と循環線を乗り継ぎ約一時間半。メタフォーミング犯罪対策課の刑事、瀬尾儀摩瑠鹿(せおぎ まるか)は車で行くことを希望したが、メタフォーミング犯罪対策課への車両の割り当ては無い。その為他の課の空いている車両を借りているのだが、今日に限ってはどこの課の車両も出払っていた為、公共交通機関で移動することになった。車なら小一時間で着く所を、電車に揺られながら倍の時間をかけて斗詩にようやく到着した。

 日差しが暖かい。少し暑いほどだった。泰遠では秋物のコートを着てもちょうどいい位の気温だったが、この斗詩ではまだコートは早いようだった。平均的に二度気温が高いそうだが、実際に日差しを浴びながら感じる暖かさはそれ以上だった。

 斗詩は区都の方針として森林面積の最大化を掲げており、駅の周辺や通りに面した公園に一定の広さを持つ森林が整備されていた。特化した産業は無かったが、これらの森林、自然環境を目的に行楽や宿泊をする者が多い。しかし摩瑠鹿は自然に興味がなかった為、ただ単に時間をかけて二級区都に来たという思いしかなかった。仕事でもなければ、このような区都には来ない。

 二級区都とは、二一ある区都のうちの二桁番号を振られた区都を指す。

 メタドームの中心には首都でもある第九区都の泰遠がある。その泰遠を中心とした直径一〇〇キロの円周上に、第一から第八の区都が等間隔に整備されている。この第九及び第一から第八の区都は最初期に整備され都市の発展度合いが高く、一般に一級区都と呼ばれる。発電所や自動工場の数が多くインフラに恵まれ、日用品や食品等の都市自給率も高い。文化的にも、様々な施設が多く整備されている。

 そして第一から第八区都の円の更に外周、泰遠を中心とした直径二〇〇キロの円周上に、第一〇から第二一までの一二の区都が整備されている。これら二桁の番号を割り振られた区都が二級区都と呼ばれている。

 しかし二級という言葉が差別的な響きを持つ為、公式な場で使われることはない。摩瑠鹿も口に出すことはしないが、しかし内心では二桁区都は所詮二級区都と考えていた。

 メタドームは直径二〇〇キロであるが、当初の計画では直径一〇〇キロであり、区都の数は九つの予定であった。しかし五〇〇万人が住むには狭く過密であり、そしてメタフォーミングを行う環境寛解タワーの出力に余裕があった為、途中から直径二〇〇キロに変更された。その為第一〇以降の区都は後付けであり、インフラ等の整備計画もやや貧弱なものとなってしまった。その為に首都である泰遠からの距離によって格差が生まれ、それが一級区都、二級区都という言葉を生んだ。

 生まれる場所は選択出来ないが、住む場所はある程度選択出来る。各区都ごとに人口の許容限界があり、それが上限値を上回っている場合は区都外からの移住は出来ず、住民の転出や死亡により減少するのを待つことになる。現在はどの区都も九八%程度で若干の余裕があり、金銭的な余裕があればどの区都にでも住む事が出来た。

 この斗詩に好んで移住してくる者がいるというのは、摩瑠鹿には信じがたいことだった。自然が多いとは言うが、結局の所管理されたものでしかない。決まった樹種が育てられ、限定された動物、遺伝子再生された鳥や栗鼠などが生息しているだけだ。

 それは解放された貧弱な動物園とでも言うべきものだ。自然環境に存在するはずの攪乱はない。捕食動物は危険である為生息していないから、動物達の警戒感は希薄だ。季節を問わず丸々と脂肪を蓄えた栗鼠がよく見かけられるが、それが何よりの証左だろう。メタフォーミングにより気候も安定しており、酷暑や厳寒の風雪などもない。結局の所、全て作られた物に過ぎない。

 それを自然というのなら、それは、本来の自然に対する冒涜だろうと摩瑠鹿は思っていた。

 真の自然とは、このメタドームの外にある世界を言う。スーパープルームによる海底火山の粉塵により寒冷化が進み、向こう千年は氷点下二十度の状態が続く。それは凍結災と呼ばれており、人類以外の種の生命を奪い、人類も生存を脅かされ、その脅威は現在も続いている。

 かつての氷河期は、それでも四季があり、ずっと寒かったわけではない。気候が不安定という問題はあったが、氷河期は生物にとって生存可能な時代であった。

 しかし、現在の地球は違う。極端な寒冷化が進み、赤道であろうとどこであろうと氷点下二十度となり、地球全体が冬の状態だ。大地には霜が降り、全てが氷に包まれ、動植物は生存していない。微生物は生きているかも知れないが、せいぜいがその位だろう。人間も一〇〇年前にメタフォーミング能力に覚醒しなければ、とうに絶滅していたはずだ。

 自然とは、生物に対して斟酌などしないものだ。当然だ。我々の言う自然というのは地球であり、それは突き詰めて言えば物理現象でしかない。愛する我が子であろうと、高所から落下するならば死ぬ。私はその子を愛しているので重力を止めてくれ、などと言う話はないだろう。

 自然を愛しているのなら、メタドームの外に出て生きればいい。管理された……哀れとしか言いようのない樹木や動物達。それは我々の目を楽しませる為に飼われている道化のようなものだ。種の保存という意味では、どこかの研究所などで冷凍保存されているよりは価値があるのかも知れないが、区都内に自然環境を作るというお題目であれば、それは下らない行為だ。メタフォーミングを切ればいい。自然が欲しいというのなら、無慈悲な物理現象にその身を晒せばいい。

 摩瑠鹿はバスで恩沢市の研究所に向かいながら、そんなことを思っていた。

 バスのドアの上部に路線図が表示されていた。それがアニメーションに変わり、森の中で花が咲き、栗鼠が団栗を食べていた。そして文字が表示される。ようこそ、恩沢市へ。豊かな自然、豊かな心。

 人工的な自然を唾棄する心情を逆撫でするかのような標語に、摩瑠鹿は無意識的に溜息をついていた。

 しかし、自分のような考えを持つ者は少数派、いや、ほとんどいないだろうということは分かっていた。偏屈な考えだ。素直ではない。ひねくれている。

 凍結災によりほとんどの生物種が失われた。生体としては壊滅と言ってもよかった。野生動物、植物はもとより家畜や作物も死に絶え失われた。残ったのは精子や卵子、種、胞子の状態で保存したものと、ごく一部の猫や犬のようなペットだけだった。

 そのような世界なのだから、木の一本、小虫の一匹さえ貴重だ。木を生やしてそれを自然と表現することには抵抗があるが、そういった生命の営為を眺めていたいというのは、まだ理解出来ることだった。道化を見て慰めを得るのだ。

 摩瑠鹿は時計を見た。十時五十七分。研究所には十一時十五分には着けるだろう。予定通りだ。

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