第8話 温かい瞳

まぶたの向こうに、焼けつくように眩しい光がまたたきました。痛みがじりじりと尾ビレから伝わってきます。


…僕は人間ではなくなってしまった。けど、後悔なんてしていない。ただこれからは、父さんとはあまり会えなくなるだけ…

深い闇から戻りながら、カイトはつぶやき続けました。

陸の世界に別れを告げた自分をなぐさめてくれるように、懐かしい温もりが、包み込んでくれています。軽やかな波の音は、赤ん坊をなだめる子守歌のようです。 


カイトは目を開きました。

金色の長い髪の人が、優しい眼差しを向けていました。抱えてくれている腕の下に見える尾ビレのウロコは、磨き上げられた宝石のように滑らかでした。

「ごめんね、少し遅れてしまったわ」

鈴のような声で 母さんが話しました。


「ううん、いいんだ。だって、こうやって来てくれたじゃないか」

ずっと信じていました。

どうしても必要な時、母さんは必ず駆けつけてくれるということを。

カイトは、もう半年も会っていなかった母さんに そっと微笑みました。

横には、柔らかい海綿に包まれた父さんが寝ていました。いい夢でも見ているように、顔をほころばせています。その隣には、ゆったりと丸まったチロがいます。


「よかった。みんな助かったんだ」

「坊ちゃま。無事のお目覚め、なによりです」

ほっと息をついたカイトに、低い声が投げられました。


「八海坊、君は待っていてくれたんだね」

「もちろんですとも」

笑い声とともに、カイトたちがいる場所が ぶるぶると震えました。三人と一匹は、巨大なシロナガスクジラの背中に乗っていたのです。


カイトは、母さんの柔らかい腕に ずっと抱かれていたい気持ちでした。

でも、今日からは 自分も海に生きる人魚のひとり。同じ世界の姫様である母さんに甘えることはできません。

むくりと起きあがったところで、

「あっ!」

小さな叫びをもらしました

目を向けた先に、尾ビレに変わったはずの人間の足が、そのまま残っていたのです。

よく見れば、足首にはサポーターのようにウロコが巻いていて、指の間には水掻きがついています。少し変わってはいますが、やはり元の足に違いありません。

まさぐった胸元には、ペンダントのなくなったチェーンがぶら下がっていました。


「おかしい。僕には足がある。それにペンダントもないのに、母さんや八海坊と話をしている」

狐につままれたようでした。もしや、これは夢なのでは・・。

「ふふ、確かにね。でも、おかしいことはないわ。空をご覧なさい」

母さんが言いました。

 

朝が来ていたはずなのに、空は暗いままでした。

ざらついた霧のようなものが、辺りに漂っています。島が噴火した時に吹き上げた火山灰が空をおおっているのです。

その中に、真っ直ぐにのびる白い光の筋がありました。


「あれは?」

「光の妖精たちよ。緑島へもどる道を教えてくれているの」

「光の妖精、僕が助けてあげた…」

「そう、女の子の妖精が、あなたにお礼がしたいって 仲間を連れてやってきてくれたのよ。彼女は言ったわ。お礼に、あなたを自分の目に焼きつけた元の姿に戻してあげるって。それで恐ろしいほどの光を放って、あなたの足を元に戻したの」

「けど…」

せっかく覚悟を決めて、陸の世界と別れたというのに…カイトは素直には喜べませんでした。


「光の妖精は、あなたの本当の気持ちを聞いたのよ。あなたは幾度も 後悔なんてしていないとつぶやいていた。そのたびに涙を流して」

母さんの緑がかった目が、じっと見つめました。

「私、とても嬉しかった。だってカイトは、陸の上での生活が本当に気に入っていることがわかったのですもの。それに目覚めてしまった人魚の力は残っている。これからはそのまま話ができるし、同じ世界を見ることだってできるわ」

優しい微笑みが、無理に固めようとしていた気持ちをほぐしてくれるようでした。


『うん そうだ。そのとおりなんだ…』

胸の内に わだかまりの溶けた喜びがあふれてきました。カイトは八海坊の背にすっくと立ちました。

「ありがとう、光の妖精さん。今度は皆を連れておいでよ。いっぱい光のご馳走をするから」


キラリ!

投げられた声に応えるように、白い筋は強く光り、ずっと先の方で ひときわ明るく輝きました。


波の先には、数十頭、いや数百頭ものクジラの背中がてらてらと光って見えました。

その上には たくさんの人が乗っているようです。

「あそこにいる人って、人魚たち?」

「いいえ、あの人たちは人間よ。カイトを巻き込んだ巨大な波が、先を進む船や近海にいた船にも襲いかかったの。大きな噴石ふんせきも降ってきて、ほとんどが海に沈んでしまったわ。それで溺れそうになっていた人々を私たち人魚やクジラが助けだしたの。

姿は見えないけど、たぶんここには、南太平洋に住んでいる人魚やクジラたちが皆 集まっているはずよ。さすがに危険があってはいけないから、海王であるお祖父様には、宮殿に残ってもらったけど」


やがて 光の先に見慣れた島影が見えてきました。どこからともなく 美しい歌声が聞こえてきます。

「もうすぐ緑島。この歌は 人間の耳のずっと奥に響いて、人魚を見たことを記憶から消すためのもの。クジラたちはともかく、私たちは人間の前に姿を見せてはいけないから」

母さんが少し寂しそうな顔をして言いました。


「いや、」

カイトは柔らかい手を握りしめ、しっかりと胸を張りました。

「父さんと母さんが愛し合って僕は生まれた。人間と人魚に隔たりなんてものはないんだ。もし、あったとしても、きっと僕が間をつなぐ橋をかけるよ」


「まあ頼もしい。それこそ、海の王家の血をひく者の言葉よ」

母さんは、もう一度強くカイトを抱きしめたあと、寝たままの父さんの頬にキスをしました。

「それではいくわね」と一言をいい、尾ビレをひらめかせて、海に潜っていきました。

どこを泳いでいたのか、数え切れないほどの人魚が、ウロコをきらめかせて跳ね上がり、母さんの後を追うように海に見えなくなりました。


「僕もいく、新しい僕の今日に向かって!」

朝の荒い海風に髪をなびかせながら、カイトは力強くいいました。



… … …



「ブハー、皆様が、坊ちゃまのたくましい成長を見守っておられる。わしは幸せものだ、そんな方のお近くにお仕えできるなんて」

低いつぶやきが、波の上に静かに流れました。


終わり


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「海の少年カイト」〜ハーフ・マーマンの少年の愛と勇気の物語 @tnozu

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