第6話 珊瑚の薬

「ややっ、カイトじゃないか」

イスをぐるりと回した父さんが、幻でも見ているかのように目をしばたきました。

その前のベッドには、苦しそうな息づかいのおじいさんが寝ています。


「どうしてここに?それに服が濡れているじゃないか」

「話はともかく、これを粉にして、患者さんに飲ませてみて」

カイトは珊瑚を父さんに手渡しました。

これまで暗くて、木の枝のようにしか見えませんでしたが、珊瑚は黒いながらも、水晶のように透き通っていました。


「それ、八海坊が病気に効くかもって、海の底から採ってきてくれたんだ」

「へっ、おまえ、あいつに乗ってやってきたのか」

父さんは、カイトの胸のペンダントに初めて気づいたようでした。片手で、服の下にぶら下げている自分のペンダントを押さえています。

「母さんはどうした。もしや、近くに来ているのか」


興奮したように話し始めた父さんでしたが、目の前に患者さんがいることを思い出して、声を細くしぼりました。

「ううん、遠くで開かれている会議に出ているんだって」

渋そうな顔をして、カイトは首をふりました。

「そうか。久しぶりに会いたかったんだけどな」

父さんは、残念そうにがくりと首をうなだれました。

「それより、薬!」

「おう、そうそう」

苦笑いしながらメスを取り出した父さんは、半分開いたおじいさんの口の上で、ずりずりと珊瑚を削りました。荒い息に飛ばされながらも、黒い粉が口に入っていきます。

おじいさんの顔は苦そうに歪みましたが、ヒーヒーといっていた息が、たちまち静かになりました。


「先生…」

しわだらけの顔のなかで、ぱっちりと目が開きました。

「おかげさまで治りましたぞい!」

先程までの苦しさはどこへやら、おじいさんはすくりと起き上がると、丁寧に頭を下げて診療所を出ていきました。

人魚が薬に用いている黒珊瑚は、金色の花が引き起こした人間の病気にも効いたのです。


「まるで魔法だ。いろんな薬を使っても効かなかったのに。こいつはすごい」

父さんは珊瑚を電灯にすかして、しげしげとながめました。

「まったく、あいつは大したクジラだ。この島で起こった病気を治す薬をとってくるなんて」

「そのことなんだけど…」

カイトは、光の妖精と八海坊から聞いた話を伝えました。


「そいつは大変だ。ここは島全体が火山とも言える。どこから噴火が始まってもおかしくない。すぐに島の人に避難するように伝えなくては。いや、だめだ。先に病気を治さないと。家でウンウン唸っていられては、にっちもさっちもいかない」


父さんは、ルームヒーターのスイッチを入れ、ロッカーから新しい白衣を取り出しました。

「濡れた服のままでは風邪をひいてしまう。これに着替えて、そこで寝ておいで。その間に、薬の準備をしておくから」

カイトはだぶだぶの白衣を着て、ベッドに横になりました。

「出かける時には起こしてよ。もし、噴火が始まる時に、父さんがいなかったら、いろいろ大変になりそうだから」

「わかっているさ。おまえに心配かけたら、母さんの雷がズドーンだもんな」

言いながら父さんは、カイトのほほを両手で挟んでなでました。消毒液の臭いのするガサガサの手でしたが、何よりも安心しました。もう、夜中も近かったからでしょう。そのまま、あっという間に眠ってしまいました。


ゴゴ、ゴゴ、ゴゴー…


不気味な音がベッドから伝わってきます。

まるで地の底に魔王がいて、いびきをかいているようです。部屋中の家具がビリビリと震えています。

目を覚ましたカイトが横を見ると、机の上に小さな紙包みが山積みにされていました。


「さあ、準備は整ったぞ。さっそく島の皆さんに薬を飲ませにいこう。さっきから妙な地鳴りが続いている。噴火まで時間がないのかもしれない」


父さんは白衣のポケットに紙の包みを詰め込むと、ヒーターの前のハンガーから、カイトの服をはずしてもってきました。

服はほとんど乾き、ぬくぬくと温まっていました。

「ありがとう、父さん」

「なあに、これしき」


カイトが服を着た後、二人は急ぎ足で診療所の外階段をのぼり、二階で寝ていたヘリコプターの操縦士、木村さんを起こしました。

「この薬を、島の西側に住んでいる人から、飲ませていってください。僕は東側から飲ませていきます。それと、すぐに船で避難するように伝えてください。島が噴火し、爆発してしまうかもしれないのです」

父さんは、紙の包みの束を半分、木村さんに渡しました。

木村さんは呆気あっけにとられたように、二人の顔を見つめましたが、すぐに「了解しました」と返事をし、建物をでて西側に走っていきました。


カイトと父さんは島の東側に走りました。

家々は、港に沿って散らばっていますが、息が切れそうになる前に、もう東の端の家にたどり着きました。

父さんは、ノックもせずに戸を開けると、中に上がり込み、寝ている人に薬を飲ませていきました、カイトは家中をまわり、忘れている人がいないかを確かめ、

「すぐに島から避難してください」とどなりました。


元気になった人々は、家から出て、ぞろぞろと港の方に向かいました。

地鳴りは、噴火の予告を疑うことができないほどに、大きく響き始めていました。


山際からは、薄雲のような塊が、次々と流れ出ていっています。

『何の妖精たちだ。噴火を予知して島を離れようとしている』

カイトは思いました。

見上げる紺色の空には、もう星は殆ど見えませんでした。振り返って見た東の空は、紫色に明るくなってきています。

「父さんも薬を飲んどいて!夜が明けると、金色の花が咲いて病気になってしまう」

カイトは声をからしながら言いました。

「はいよっ」

父さんは走りながら、紙包みをそのまま口に放り込みました。

「うう、にがすぎ!」

一度ぐらりとよろけて、また走り出しました。



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