第143話 高いハードル ~グレアン視点~



「それなのに、さっきの今で腹筋なんて」

「はい」

「赤点過ぎて追試ものです」

「すみません」

「そもそも貴方が私に心を砕いている様に、私も貴方に心を砕いているの。その辺の自覚が足りなさすぎる」

「ごめんなさい」


 こんこんとお説教をされているが、何だろう。

 ちょっと普通の主人と騎士にしては距離感が近いような気がする。

 

 え、もしかしてこの二人――。


「セシリア様は、そばに置く者に対してはみんなあんな感じですよ」


 頭に浮かんだ疑惑をすぐさま引っこ抜いたのは、覗き共犯のメイドだ。

 思わず彼女を見上げれば、トーテムポールのすぐ上の顔がグレアンの方を見下ろした。


「まぁ私とユンとあそこにいる執事のゼルゼンは、幼少期からセシリア様と密に付き合いさせてもらっていましたから、そういう意味ではなお近いと言えなくもないですが」


 そう言うと、彼女はスッと視線を室内へと戻す。


「私たちにとってセシリア様は、出会った時からお貴族様ではありましたが、はぐくんできた絆は身内のそれに近い。こう言うと少しおこがましく聞こえてしまうかもしれませんが、少なくとも私たちは主人として信頼するのと同じだけ彼女の事を妹のように想い心配していますし、セシリア様も私達にそういう感情をこちらに向けてくださっている」


 確かに今のセシリアには、ユンが負傷した時に見た余裕な笑みも態度も無い。

 本当にユンを心配し怒っていると分かる声で言葉を投げている。

 それを『兄弟の様』と形容すれば、確かにそう見えるかもしれない。

 まぁ残念ながら、どちらかと言うとセシリアの方が年上のような貫禄だけど。


「セシリア様には立場があります。公の場で、必ずしも感情のままに動けるわけじゃない。だからこそ私達はそれを分かっていなければならないと、私は肝に銘じています」


 なるほど、そうか。

 さっきユンがセシリアから「褒める要素がどこにある」と言われても尚笑っていたのは、そういう事を分かっていたからなのかもしれない。


「ねぇユン?」

「はい、セシリア様」

「私はね、我儘なのよ。貴方が望む限り、貴方には私の護衛騎士であってほしい。でも、だからといって貴方の怪我を許容できるほど心が広くもない」


 セシリアのその言葉に、ユンは「つまりどういう事だ?」と小首を傾げる。


 そんな彼に、セシリアはフッと笑みを浮かべた。

 それはとても鷹揚でありながらある意味挑戦的でもある。


「たとえ仕事の結果であっても、怪我する事は許さない。私を守る事は貴方の職務上の大前提。その上で怪我もしないくらい強くならないと、褒めてあげる事は出来ないわ」


 セシリアの言葉に、ユンは一瞬キョトンとした。

 しかしそれも、すぐに強い笑みへと変わる。


「――なるほど、つまりセシリア様を守りながら自分も守れるくらい強くなればいい訳だ」

「貴方になら、出来るでしょう?」

「出来るっていうか、やるっきゃねぇな」


 実に高いハードルだ。

 そもそも怪我をせずに勝つなんて、力量差が無いと出来やしない。

 それでもユンがやる気なのは、セシリアが出来ると信じてくれるからなのか。


「セシリア様は基本的に自分のパフォーマンスに妥協を許さない代わりに、その実力や気持ちを認めた者に対するハードルも、かなり高くていらっしゃるのよ」


 そう言ったメイドの顔がどこか誇らしげなのは、もしかしたら彼女もまたその高いハードルを用意されている者だからなのかもしれない。


 信じているのだ、セシリアは彼等の事を。

 そして彼等もまた、彼女が認めてくれた自分を信じている。



 ――なるほど、これがセシリア・オルトガンという人間か。

 グレアンは、改めてそう独り言ちる。


 

 彼女の騎士になんてなったら、きっととても大変だろう。

 合格ラインがかなり高いし、今日の彼女と従者たちを見ていれば、彼女が何かの矢面に立つのはそう特別な事じゃない事がよく分かる。

 しかしそれでも、彼女の側でする仕事はやりがいがあるに違いない。


「貴族じゃないセシリア様の一面を見た感じなのに、不思議とちゃんとセシリア様っぽいんだよなぁ」


 トーテムポールの頂点で、ランディーがポツリと呟いた。

 そういえば昼間ユンの件で離脱する時に、セシリアが場を任せたのは彼だった。

 

 心の奥がモヤリとする。

 それが『羨ましい』という感情だと分かったのは、少し後の話である。


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