第142話 赤点 ~グレアン視点~



 ベッドへと追いやられるようにして入ったユンの顔は、見た限りでは元気そうだ。

 その事実に少しホッとしていると、視界に横から執事服の少年が入ってくる。


「だから言ったろ? バレたらセシリア様に怒られるぞって」

「でもだってほら、暇だしさ」


 怪我をしておいて暇も何もないと思うが、その後に続いた「落ち着かないんだよただ寝てるだけってのも」という声には、グレアンにも分からなくはない。

 多分あれだ、風を引いた翌日の感じに近いのだろう。

 親は「寝てろ」というけれど、もうこちらは何ともないのだから暇を持て余す。


 ……いや、やっぱり違うな。

 刺し傷は、風邪とは違って一日やそこらで完治するようなものではないし、そもそもまだ事が起こってからまだ半日も経ってない。


「怪我をした後すぐの間は体内にアドレナリンという物質が出ているお陰であまり痛みを感じないんですよ。夜中になったら絶対に痛くなるのですから、大人しくしていた方が結局はユン自身の為なんですよ?」

「えぇぇー……」


 不服そうな彼の声に、セシリアは深くため息を吐く。

 俺が見ても「居なくなったらまたやり出しそうだな」と思うのだから、彼女もまたそう思っているのだろう。


「俺頑張ったんだし、ちょっとくらい褒めてくれてもいいのに……」


 ぶーたれたユンに少し驚く。

 何だろう、教室ではそんな事ないのになんかちょっと子供っぽい。

 少なくともユンより4つも年下のグレアンにとって、彼は友人であると同時に兄貴分のようなものだから、かなり新鮮な感じがする。



 抗議をするユンに、セシリアはにこりと笑みを浮かべた。

 相手に褒めを期待させるような綺麗な笑顔で、思わず見惚れてしまいそうになる。

 が、彼女が放った言葉は思いの外辛辣だった。


「今日の貴方の一体どこに褒める要素があったのですか」

「手厳しいなぁ。そりゃぁまぁ、怪我して迷惑かけたけどさ」


 ユンは笑いながら「俺の搬送の為に一度役割も中座させちゃったのは、本当に悪いと思ってるよ」などと言っているが、何で笑っていられるのだろうか。

 頭にはカッと血が上ったグレアンには到底理解できない。


 大体守ってもらっておいて、一体何だその言い分は。

 俺たち騎士には感情もあれば痛みも感じる。

 なのに、何でこうお貴族様って「守ってもらって当たり前」みたいな態度を取るんだろう。

 どうせ俺達に守ってもらわなければいざという時に自分の身一つ守れないくせに。


 

 噛み締めた奥歯がギリッと鈍い音を立てる。

 同じ騎士仲間という意識もあるが、それ以前にグレアンにとってはユンは友人だ。

 年が離れていようが何だろうが、一緒に切磋琢磨する相手だ。

 いつもすぐにセシリアの所に行ってしまうからほぼ授業中にしかゆっくり話したりは出来ないが、それでも彼がアレで意外に真面目に授業を受けている事を知っている。

 それが何で、そんな言い方をされないと――。


「ユン」


 セシリアの笑顔がフッと消えた。

 表情は乗っていないのに咎めるような叱る様な顔に見えるのは、もしかして声色のせいなのか。

 真剣な声にユンがギシリとか固まって、数秒置いて「ごめん」と謝る。


「今日の貴方は護衛騎士として赤点です」

「あぁ、分かってる」


 もしかして「主人を守る騎士が先に倒れたら誰が主人を守るのか」とでも言うつもりなのだろうか。

 確か教科書にもそんな事は書いてあったが、それこそ主人がいう事じゃない。

 それはあくまでも騎士が心得として持つべきもので、主人が言うならそれは結局守られる自分の為の――。


「戦闘中に貴方は大きな傷を負った。そのせいで、私はとっても心配しました。主人に心配させる騎士など、赤点です」


 思わず目を見開いた。

 視線の先には、呆れの中に心配を混ぜた顔のセシリアと、まるで怒られた子犬のようにシュンとなったユンが居る。


「そもそも現場で私がどれだけ我慢した事か。どうするんです、もし私がうっかりあの場で取り乱したりしてしまっていたら。公衆の面前での失態です。貴族令嬢としての威厳、ひいては伯爵家の名に泥を塗らせるつもりですか」

「いや、セシリア様なら間違ってもそんな事には――」

「おだまりなさい」

「すみません」


 気が付けば、ユンが敬語になっている。

 もしセシリアから事前に「ベッドに入れ」と言われて寝ていなかったなら、おそらく今頃正座で話を聞いていた筈だ。

 そう思うくらいには、主従の関係性が綺麗に露呈してしている。


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