第118話 ルールとは



 目の前にぶら下げられたニンジンに俄かに騒ぎ出した人たちは、全体の約4分の3。

 その日暮らしの人達だろう。

 

 ある程度の冷静さを保ってまだこちらの言葉を待っているのは、おそらく「それだけの報酬で一体どんな無茶をさせたいのか」と訝しむ者。

 そんな彼等には、内容を説明するしかない。


「仕事内容は、露店の『客引き』『商品補充』『会計補助』の3種類。それぞれに必要な技能がありますから、仕事の前のこの1週間、ここで生活をしながら各自選んだ仕事の勉強をしていただく事になります」


 この言葉で、残りの面々も「なるほど、そのくらいの仕事なら」と思った者が出始める。

 そんな彼らに「『客引き』、『商品補充』、『会計補助』の順で仕事の難易度が上がるから、それに応じて報酬を上乗せする」と告げると、真剣にどれにするかを悩み始めた。


「支払いは本人が一定以上の成果を出せる場合のみに支給されるものですから、各自自分に適性がある、またはやりたい・この1週間で働けるようになるだけのやる気がある仕事を選択してこちらに申し出てください」


 そう告げて、セシリアは周りに質問を募る。

 分からない事は今の内に聞いておいてほしいという、こちらの都合だ。


 するとまず一つ、おずおずと手が上がった。

 

「さっき『衣食住を保証する』と言っていたけど、それは当日に働ける人だけなのか?」

「その通りです」

「病気の娘がいるんだが、ここに一緒に置いてもらう訳にはいかないんだろうか……?」


 そう言われて、考える。

 その娘の病状を考えれば、なるべくいい環境に置いておきたいという気持ちは分かる。

 が。


「申し訳ありませんが、それは許可できません。貴女の娘さんが病気なのかどうか私には分かりませんし、全ての困窮している人や病気の人を助ける程の手が無い以上、一部のみを特別待遇するほどの余裕はありません」


 本当に心苦しく思う。

 厳しい物言いだとも思う。

 が、現状セシリアには、それを助ける手立てがない。

 だからこそ、自分たちに出来る第一歩を踏み出すための今回だ。

 この部分は、どうあっても割り切らなければならない。


 が、全てを切り捨てる必要もない。


「ですが、勉強時間として指定する最低限の時間以外は、どこで何をしていても構いません。娘さんと一緒に眠られるのも良いでしょうし、支給された食事についてもご自分のものに限り自由を許可します」


 そう言うと、質問者の男の顔が少し綻んだ。

 が、ここで一つ、きちんと釘を刺しておかなければならない。


「しかし自分の食事をすべて娘さんにあげた結果当日の仕事がままらない体調になった場合は、当日の報酬は渡せません。これは、これから貴方と一緒に頑張る他の方々へのけじめです」


 そう告げると、彼は納得したように頷いた。


 すると今度は「あの」と女が手を上げる。


「うちの息子もダメなのかい?」


 言いながら何かを持ち上げる彼女。

 その手元をよく見てみると、そこに居たのは乳幼児だ。

 

 また少し考えて、セシリアはコクリと頷いた。


「そうですね、彼については貴方と離すと途端に死んでしまうでしょう。乳幼児に限り、ここで一緒に暮らす事を許可します。仕事当日も一緒に居るようであれば、抱いたまま出来る仕事を選ばれると良いと思いますよ?」


 客引きであれば、抱えたままの仕事も出来るだろう。

 そう思って一緒に許可を出しておけば、「あ、ありがとうございます!」と顔は声を上げた。



 と、ここでひとしきり質問が終わったようだ。

 そろそろ仕事の希望を取ろうかなどと思ったところでランディーに目配せをすれば、「じゃぁ希望を聞くから」と采配を取り始めてくれる。


 すると、ずっと後ろでセシリアを見守っていた二人がセシリアを労ってくれる。


「お疲れさん、セシリア様」

「お疲れ様ですセシリア様」

「ありがとう、二人とも。――ってどうしたの? メリア」


 思わずそう尋ねたのは、彼女が真面目顔の下に不満顔を隠していたから。

 他の人が騙せても、セシリアの目は誤魔化せない。


 あまり言いたくなかったのか、メリアは黙ってしまったが、彼女がそんな態度を取るのは稀な事だ。

 なおさら気になりじっと見つめると、ついに観念したのだろう。

 「セシリア様の行いに水を差したくないのですが」と前置いた上で、一つ懸念点を述べた。


「私は貧民にまで心を砕く主人を持ててとても誇りに思います。が、セシリア様の崇高なるお考えに必ず全員が共感し協調するとは限りません。先程の部屋の使い方についてもそうです。誰かが24時間ここに張り付くわけでも無い限り、こっそりと屋根の下に部外者を入れても分からないではないですか」


 なるほど、彼女はどうやら決まりを作って告げた所でそれをみんなが守る訳ではないという事が言いたいらしい。

 が、そんな事はセシリアだって分かっている。


「それで良いの」

「え?」

「私は別に、彼らに行動を強要する気はないの」

「しかし……」

「『ならば、何故ルールを作ったのか』と?」

「はい」


 疑問顔で尋ねたメリアに「そうですね」とセシリアは呟く。


「ルールが存在する、という事が大切なのです。ルールは時に誰かの無法から人を守ってくれるから」


 ここまで言えば、どうやらメリアもセシリアの言いたい事に気が付いたようである。

 少し考えるそぶりを見せた後、ゆっくりとこう確認してくる。

 

「つまり、例えば他の貧民が我が物顔でここを不当に占領したり平民が面白半分に荒らしにやってきた時に、『そういうルールだから』と突っぱねる事が出来るという事なのですね?」

「えぇ。もちろんそれでも互いが納得して融通を利かせ合うのなら、それはそれで良いと私は思っているの。必要なのはあくまでも、何か問題があった時に訴える先とその正当性があるという事。そうなれば、いざという時にちゃんと戦える」


 セシリアは貴族令嬢だ。

 訴える先としても後ろ盾としても、これ以上に頼もしいものも無いだろう――とここまで考えてセシリアは自分の失態に気が付いた。


「あ、私まだみんなに素性を何も話していないじゃない」


 これじゃ効果は半減だ。

 セシリアが貴族であるという事だけじゃない。


 今回の件が学校の課題であるなどは雇用に直接関係がある訳じゃないから、敢えて説明を省いている節はある。

 勿論隠すつもりなどは無いので、背景を聞きたい・聞かねば納得できないグレンのような人には聞かれたら話すつもりでいるのだが、彼らの安心と安全を買うために学校という後ろ盾や、国も公認のものである事くらいは言っておいた方が良いのかもしれない。


 そう思った時だった。


「その辺の話は周りに話を振る段階でちゃんとした」

「グレンさん」


 ランディーへの仕事の自己申告が終わったのだろうか。

 グレンがこちらにやってくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る