第79話 未知への恐れ



 いくつかの場所に立ち寄った後、セシリア達一行は王都の西側へと向かっていた。

 


 案内役は、ノイである。

 彼女はどうやら貧民街に少しだけ伝手があるらしく、それを聞いて案内をお願いしたのである。


 迷いなく道を進んでいくその足取りは、確かにその言の通り土地勘のあるものに違いない。


「あちらには、お友達が居るのですよね? どのような方なのですか?」


 セシリアがそう尋ねると、彼女は「うーん」と少し悩む。


「頭の回転が速い子だと思います。私より1つ年上なのですが、それでも平民街の大人たちと平気で渡り合っていて、時には言い負かす事だってあるくらいですし」

「なるほど、それは凄いな。ここは間違っても良い環境とは言えないだろうし、その年まで大人に頼らずって、そう居ない事だと思う……」


 平民でさえ難しい事だろうに、『貧民街』という境遇を背負った上で大人相手に負けず劣らずというのだから、それなりの実力者なのだろう。

 そんな風に相槌を打ったランディーに、ノイはパァーッと顔を華やがせる。


「そうなんですよ! 彼は5歳の時に両親を亡くしたらしいのですが、それからずっと大人の力を借りずに貧民街で生きてきたんです」


 彼を会えばきっともっと驚くと思います。

 とても楽し気に語るノイは、きっと彼をちゃんと友人として大切にしているのだろう。

 そう思わずにはいられないような様子である。


「貧民街では子供たちのボスをしていますから、今回の話を持っていくなら彼の所が早いんじゃないかと思います!」

「ノイさんよりも一つ年下……という事は、現在の年齢は13歳。私よりも一つ上という事ですね。お会いするのが楽しみです」

 

 微笑ましい気持ちになりつつ彼女にそう答えれば、彼女は加えて「会えばとっても驚くと思います」と言って一層楽し気に笑った。

 

 話を聞いて俄然これから会いに行く彼に興味が湧いてきた。


 が、その前に、どうやら一つ片づけておいた方が良い事があるらしい。


「ところでハンツさん、どうしました?」

「え」


 振り返らずにそんな疑問を投げたからだろうか。

 彼は少し動揺したような声を上げた。



 貧民街の入り口辺りを潜った頃からだろうか、それ以降のハンツはずっと無言でチラリと盗み見てみると顔が少し強張っていた。

 

 彼が一体何を感じてこんな顔になっているのか。

 その気持ちが、セシリアにはまぁ分からない事も無い。


 が、このまま目的の人と会ったら、おそらく先方はこちらに言い感情を抱かない。

 それこそその相手がノイの言うような人物ならば、猶更の事。



 セシリアの声に少し躊躇する気配が漂う。

 しかし結局幾分かの逡巡の後にその重い口をゆっくりと開いた。 


「セシリア様は、ここに来て何とも思わないのですか?」

「『何とも』って?」

「……正直言って、私はここが恐ろしいです」


 彼の吐露に、セシリアは「やはり」と独り言ちる。



 確かにここは、かなり独特な雰囲気のある場所だ。


 薄暗く、どこかジメッとしている様に感じられて、路肩に人がまるでへたり込むように座っているが、そうしてこちらを観察してくる目の全てが生気に乏しい。


 学校では平民と共に授業を受ける科が多い。

 ハンツの居る執事科もそうだろう。

 が、そうやって平民との交流に幾ら慣らされてきたとはいえ、結局のところそれは貴族が戸惑わずに生活できる整えられた環境下での事である。

 例えば今からノイやランディーの家にお邪魔したとしても、ハンツはそれなりのカルチャーショックに出逢う事だろう。


 そんな人間にとってこの場所は、少々刺激が強すぎる。


「このような場所や空気、少なくとも私には馴染みがない」


 その馴染みの無さを「恐ろしい」と表現した彼は、実に素直な人間だと思う。

 ……否、違う。

 素直で配慮の出来る人間、と言った方がより正しい。


 彼の少し強張った顔からは確かに恐怖心を感じるが、それと同時にこちらを気遣う雰囲気もある。

 多分ここには、彼の「セシリア様が弱音を口にしやすいように」という、執事としてと紳士として、両面からの配慮があるに違いない。


 その思いを受け止めて、セシリアはゆっくりと口を開く。


「未知を恐れる事は大切です。特に私たちのような自分の命に責任を持たなければならないような人間にとって、緊張感を持つことは決して悪い事ではないと思います」


 セシリアは、この場所が恐ろしいかという部分には触れなかった。


 そこに言及してしまえば、彼の配慮を真っ向から拒絶する結果になるか、貧民への差別を助長するかもしれない。 

 貴族であるセシリアは、自分の命、そして言葉が人に与える影響を常に考えねばならないから。


「私はこの二人がとても大切ですから、私で私自身を脅かし彼らに処罰が下る様な事態は避けねばなりません」


 そう言ってチラリと目をやった先に居るのはユンとゼルゼンだ。

 そう、ここでは彼らは私を護り補助するが、私も彼らを護るために外では危うきには近寄り過ぎない事が大切なのである。

 特にこういう無法地帯のような場所なら猶更だ。


 が、だからこそ細心の注意を払わねばならない。


「ハンツは、貴族の武器とは何だと思いますか?」

「え……」


 セシリアからの唐突過ぎる質問に、意図を測りかねたハンツは目に見えて困惑する。


 

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