第40話 キャシーは物語に夢想する
彼女の事は知っている。
キャシー・カロメラ。
革新派の男爵家令嬢で、農業科の生徒。
そして。
「わっ、私入学式の日にセシリア様から助けてもらった者なのです!」
「えぇ、それは勿論覚えていますよキャシー様」
そう、彼女はあのアンジェリー関係者なのだ。
どうやら彼女は、こちらが言葉に反応が出来なかったのは「彼女は一体誰だろうという疑問が先立ってのものだと思ったらしい。
が、セシリアはその時の事はもちろん、それ以前からキャシーの事は知っていた。
10歳の社交界デビュー当日に父から言われて頭に叩き込んだ貴族達の顔や名前、概要情報は今も脳内で健在だ。
しかし、だからこそ首を傾げずにはいられない。
(キャシー様は、確か物静かで人見知りをするタイプの方の筈。なのに何故こんな暴挙になんて……?)
少なくともセシリアが知っているキャシーという子は、決してこのような事を言う子なんかではない。
それが何故「下僕」などと言い出したのか。
そのギャップに混乱せざるを得なくなってる。
すると、その疑問を隣のテレーサも同じく抱いたようだった。
「キャシーさん、ちょっと落ち着いて?」
私より一呼吸早く我に返った彼女はまずキャシーを「そのような事を大声で言っては貴族令嬢としての格に差し障ってしまいます」とやんわり制する。
キャシーは確かに貴族界では地位は低い家の出だ。
セシリアやテレーサと比べれば色々と緩い所はあるかもしれない。
が、それでも外聞はある程度気にすべきだ。
そもそも貴族令嬢じゃなくなって「下僕にしてくれ」だなんて女の子が言うものじゃない。
テレーサの静止に、キャシーは少し慌てたように「もっ申し訳ありません……」と前のめりだった姿勢を正した。
これで幾分かはやりやすくなった。
内心でテレーサにお礼を言いつつ、セシリアはやっと口を開く。
「私には特に他家のご令嬢を下僕にする趣味なんて無いのですが、何故そのようなお話を?」
もしかして、アンジェリーとの間にはそのような事があったんだろうか。
キャシーもアンジェリーも同じ『革新派』だし、アンジェリーのあの性格で爵位を嵩に着られたらキャシーも反論し難かったのかも。
そんな経験があるから、同じく爵位が高いセシリアにお礼を示すときに「下僕になる」なんて発想になったとか。
(いやまさか。流石のアンジェリー様もそんな事はなさらない……と思いたい)
そんな風に独り言ちた時である。
シェリーは少し恥ずかしそうにしながら言った。
「セシリア様は、先日王都の城下で出た新刊をご存じですか?」
「新刊……というと、本ですか?」
「はい」
「そうですね、流行のものには一通り目を通していますけれど」
どこか期待するようなキャシーの瞳に、セシリアは頷いてみせる。
その言葉に偽りはない。
以前から社交界で話題になりそうなお菓子や本に関しては、定期的に一通りの知識を得る様にしていた。
しかし学校に入り、気にしなればならない世界の範囲が広がった。
今後は貴族だけではなく平民とも円滑なコミュニケーションを心掛けねばならない事があるかもしれない。
だから最近は、ゼルゼンとメリアから王都で流行っているものの情報を集めてもらい、必要に応じて現物を取り寄せたりもしているのである。
「では知っているでしょうか?『死が二人を別つまで』という本を」
「えぇ、最近王都で流行っている大衆本の名前ですね」
「そういえばキャシーは読書が好きだったな」などと思いつつ私がそう答えた瞬間、キャシーの瞳がキラリと輝いた。
「そうなのです! ある日周りの子供達から虐められていた平民が通りかかりの貴族令嬢に助けられ、それをキッカケに令嬢のお側に付き従う事になるお話で――」
熱のこもった弁と、まるで滑るような饒舌さを目の前で披露してくれているキャシー。
余程その本が好きなのだろうと推察するには十分過ぎるという程に十分だ。
「あぁ、そういえばその主人公と令嬢の出会いのシーンが、あの時の状況に似ていたような気もしますね……」
その本の内容ももちろん全て読破済みのセシリアは、話の筋を思い出して少しばかり納得した。
すると彼女は胸の前で両手を組んで「そうなんです」とうっとりする。
「あの時のセシリア様は、さながらあの本のご令嬢のようでした。『大丈夫ですか?』と私に手を差し伸べてくださって」
「いえ、しかしあの本のご令嬢は悪役たちの目の前で手を差し伸べたでしょう?」
セシリアはそうはしなかった。
あの場で最も先に退場し、アンジェリーがその場を去って外野たちが捌け始めて。
その後でキャシーがゆらりと立ち会がり歩いてきたところを、伝え忘れていた事を言うために見えない所で待っていたセシリアが捕まえて、ちょっとだけ話をしたのである。
しかしそれを指摘しても、彼女は「いいえ」と首を横に振る。
「それでも優しく声を掛けてくださいました。私の怪我の有無と身なりを心配してくださいました」
確かに言った。
スカートが汚れていたのが気になったから「すぐに着替えられる替えはお持ち?」と。
この学校は使用人を連れてきても良い事になっているが、その為の旅費や生活費などは支給されない。
男爵令嬢ならば使用人を一人も連れてきていない事など良くある事で、そうなれば着替えはあってもすぐに着れる状態になっているかという事には不安が残る。
が、彼女がコクコクと頷いたから「ならばまだ時間があるから今から着替えてきた方が良いと思いますよ」とオススメしておいたのだ。
セシリアが言い忘れていた事というのが正にコレだった。
「慌てる必要はありません。今からすぐに行ってくれば十分に間に合うでしょう」
事前にゼルゼンに確認しておいた現時刻を加味してそう言えば、彼女は「はい」と答えて一礼し足早に去っていった。
入学式の時に農業科を確認すると綺麗なスカートを履いた彼女が並んでいたので、おそらく間に合ったのだろう……が、今はそういう話じゃない。
「確かにあの本でも令嬢は主人公の身なりを気にして整えさせようとしていましたが、その為に屋敷に連れて帰ってそのまま使用人の最下ランクである下僕から始める事になる……という段取りだった筈ですよ?」
セシリアとキャシーの間には、当たり前だがそんな展開など一ミリも無い。
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