第37話 過ぎた正義感の落とし穴
わざわざ教室までやってきた上級生にクラスメイトが少しざわめている中、呼ばれたセシリアは素直にそれに従った。
途中、一緒に居た令嬢たちから不安げな視線を向けられたが「大丈夫」と微笑んでおく。
目の端に見えたアンジェリーは、おそらくスイの来訪に気が付いているのだろう。
こちらを見る事は無いが、敢えて見ない様にしている様な印象を受けた。
廊下に出てすぐに、スイは「あの」と口を開いた。
が、周りにはまだ人が多い。
教室内から聞き耳を立てている子女たち以外にも、少し遠くには通りかかりの生徒が居る。
セシリアは内心「お願いだから配慮してくれ」と思いつつ、顔には出さない様に心がけ彼女の声を静止した。
「スイ先輩、もう少し人の居ない場所にしましょう」
「しかし私は逃げ隠れする気など――」
「私が周りの注目を浴びたくないのです」
先日と今だし、彼女のこの反応もあって要件が何かは大凡分かった。
セシリアとしては何よりだけど、どちらにしても目立って良い事なんてない。
先日は流石にあの剣幕だったから場所に移動など言えなかったが、今なら言える。
という事で、私たちは結局人通りの無い場所へと行った。
「――先日はごめんなさい」
目的地へと到着するなり、スイはそう言って頭を下げた。
「色々な方に話を聞いてくださったのですね?」
「えぇ、あの時の私はアンジェリーと彼女の周りの子たちの話しか聞いていなくて……」
そうだろうと思っていた。
しかしそれにしても、彼女が素直な人で良かった。
どうやらちゃんとクラウンの忠告をきちんと聞き、情報を集め直してくれたらしい。
「あの時は頭に血が昇ってしまって視野が狭くなってしまって、そのせいであんな場所でとても失礼な事を言ってしまって」
「それだけアンジェリー様とそのお母様の事を大切に思っているという事なのでしょう。もう終わった事ですから、どうか気にしないでください」
そう言ったセシリアは、もちろん本音でそう言っている訳では無い。
(周りに影響を及ぼすような事をするのなら、少なくとも自分の言葉が正しいと確信できるくらいには下調べをしておくのが義理だと思うけど)
それでも既に怒ってしまった事を今更クドクドと言うのはセシリアのスタンスに反している。
つまり、酷く面倒で非効率的。
そういう事だ。
しかしスイは。
「私に、みんなの前で頭を下げさせてください! そうすれば、少なくとも私のせいで立ってしまった噂をきちんと払しょくする事が出来ます! 他にも貴女が望むものを。誹謗中傷に関する金銭的要求でも、もし私の顔を見たくないというのであれば社交場への出席自粛も――」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
彼女の面倒な申し出に、セシリアは慌てて「止めてくれ」と声を上げた。
だって冗談じゃない。
そんな事をしてしまえば、セシリアの噂はますます面白おかしく広まるだろう。
おそらく「上級生の貴族生徒に公衆の面前で頭を下げさせた生徒」なんていう触れ込みで。
きっと彼女は自分が許せないのだろう。
自分の中にある正義感が故に、起こしてしまった過ちを何かの形できちんと償いたいのだろう。
が、申し訳ないがそれは結局の所、セシリアには彼女のエゴにしか見えない。
だってセシリアは、そんなものを望んでいないどころか止めてほしいとすら思っているのだから。
「私は別にスイ先輩にこの件で、これ以上何かをしてほしいとは思っていません。ですからどうかスイ先輩も、もう今回の事は気にしないで頂きたいのです」
思わず慌ててしまった自分を制して、気を取り直しセシリアは淑女然とした態度でそう彼女に告げた。
本当は「むしろ迷惑だ」と思ったが、流石にそれは口にしない。
その代わりに「私にもしお願いがあるとしたらそれだけです」と言ってみせる。
すると、どうやらスイはセシリアのソレを『美しい配慮』と受け取ったらしい。
「なんて慈悲深い……そんな方に私はなんて事を」
口元を両手で覆い、感動と「では一体どう償えば」という戸惑いとで瞳を揺らす。
それを見て、セシリアは「これは危ない」と考える。
正義感が強すぎて相手の過ちに厳しい以上に自分の過ちを許せない彼女の事だ、今は納得して帰っても後で色々考えた結果、面倒な事を勝手にやらかす可能性が大いにある。
セシリアは――ここまで来るとあまり信じてもらえないかもしれないが――日々を平穏に過ごしたいのだ。
出来る事なら最低限の『貴族の義務』だけをこなし、あとは美味しい紅茶とお菓子をお供に日向ぼっこに興じたり、自分が興味がある事にだけ思いを馳せていたいのである。
だからそんな事をされると、勿論かなり困る事になる。
スイは善意で何かをしようとするんだろうが、こういうのは相手にとっても善意になるとは限らない所が怖い。
そりゃぁもう、想像するだけで思わず身震いしたくなるくらいに。
だから釘をさしておく。
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