第6話 面倒と義務を天秤に



 それはまるで、何時ぞやの再演のようだった。

 場所と年齢、たったそれが違うだけ。

 役者まで同じだというのだから笑えない。



 セシリアは、内心で思わず顔を顰めた。

 流石にこのような公衆の場で、抱いた感情をそのまま顔に出すような愚は侵さない。

 彼女は貴族で、そうする事は自分の首を少なからず締める事を、既に何度も見てきて知っている。


 しかしそれでも「こんな所で一体何をしているのか」というため息交じりの本心は、消すことなど出来やしなかった。



 今しがた『再演だ』と思ったが、明らかにあの時と違う事が一つある。

 そして、それこそが問題だ。

 

(以前は、目撃者は貴族だけだった。だけど今回は、平民も混ざっている)


 この学校は貴族が半ば強制的に通わされる場所ではあるが、それと同時に平民の出世の為の場所でもある。


 『貴族科』だけは貴族という地位が必要になるが、その他の6つ科は全て、一定の条件を満たしさえすれば平民だって入学できる。

 全校生徒の人口比率は、むしろ平民の方が多い。


 そして今、野次馬たちは色とりどりだ。

 つまり平民が何人も居る。


 以前はいわゆる、まだ『内輪の目』だけだった。しかしここには外の目がある。


(最悪、貴族の振る舞いとしてこの件が王都の平民たちの噂になる)


 噂は決して侮れない。

 それは貴族でも平民でも変わらない。

 それに、時期も悪い。


(こんなまだ入学式も始まっていない最初の最初に付いた印象は、間違いなく払しょくするのが難しい。この人、今自分がしている事の影響値をちゃんと分かっているのかしら)


 否、いないのだろう。

 だからこそ、こんなにも得意げで蔑むような眼を彼女に対して向けているのだ。


 そう思った時だった。

 野次馬の一人が、遂にセシリアの訪れに気が付く。


 『赤』を身に纏ったその令嬢は、セシリアを見つけると「あ……」と小さな言葉を吐いた。

 それは安堵とも希望とも取れる息で、この場の過半数が「誰かどうにかしてくれよ」思っていたこの状況では、それなりに目立つものだった。


 他の野次馬達の内、ほんの数人がまず敏感に反応し、その少女を見て、彼女が見ているセシリアを見る。

 するとそれがまた他の者に似たような行動を促して、あとは連鎖反応だ。

 誰かが誰かの目を追って、次々にセシリアを見つけていった。



 こうなれば、退路はもう無くなった。

 この状況でそそくさと退散する姿を周りに晒す事は、伯爵令嬢として決してできない。

 

 セシリアが、小さくため息をつけば、彼女の後ろの三人はたったそれだけで主人の決めた方針を悟ったようだった。

 それぞれに呆れのため息や苦笑の気配、諦めの感情が後ろで生まれる。

 が、そこに非難の色は無い。


 誰もが総じて「仕方がないな」と言った感じだ。


「あんたねっ、私にぶつかってくるだなんて生意気なのよ!」


 渦中の令嬢たちの内、加害者側の先頭の令嬢が仁王立ちで腕組みをしながらそう言った。

 それに被害者の方がか細い声で「すっ、すみません……」と謝っている。

 が、セシリアは見逃さない。


(憤り、それに理不尽……ね)


 あまりに小さすぎて、おそらく怒りの発生源には見つけられないことだろう。

 が、相手の表情を読むのがすこぶる得意な彼女の目は騙せない。


 今の言葉とその表情から、状況への憶測を組み立てる。

 緑の子の方は言われた言葉を理不尽に思い、それどころか怒りさえ抱いているのだ。

 となれば、少なくとも彼女側には彼女側の言い分があるという事である。

 

 こんなのは、実に簡単な推論だ。

 そしてその推論から想像できる現状に、内心ではため息を吐きつつ笑顔を作る。


「――どなたかと思えば、アンジェリー様ではありませんか」


 そう言えば、呼ばれた方は、おそらく「取り込み中に一体誰が横やりを入れるのか」とでも思ったのだろう。

 赤服が苛立った顔で振り向いて、すぐさま苦そうに歪む。


「セシリアさん……」

「このような場所で声を荒げるなんて事、上級貴族としてふさわしいとは言えませんね」

 

 そう言えば人々が独りでに避けていき、セシリアの前には一本の道が出来た。


 受ける視線は先ほどまでの比ではない。

 しかしそれでも怯む事無く、彼女はまっすぐに彼女たちの元へと進む。



 同格である筈のセシリアを「さん」付けで呼ぶアンジェリーは、やはり相変わらずセシリアに対抗意識を感じているようだった。


 元々嫌っている相手からこの状況に水を差されたのだから、怒るのも分からなくは無い。

 しかし彼女は貴族の癖に、どうも感情に素直過ぎる。


 面倒事を嫌うセシリアにとって、彼女は構ってなどやりたくない相手の筆頭だ。

 しかしそれでも、自らの感情を置いても果たさねばならない義務がある。

 

 『面倒』と『貴族の義務』。

 そんなもの、天秤にかけるまでもない。

 そんなのは彼女にとって、既に最初から決まりきった問答である。

 


 上級貴族である伯爵家令嬢のセシリアは、どうしたって彼女の愚行を正さねばならない。


 周囲の記憶を、彼女は「貴族に対する恐怖心や嫌悪感」から「気高い貴族」に塗り替えねばならない。

 それこそが、彼女の義務の遂行だ。


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