第25話 Le saké est modéré

 翌日、案の定、エイダン等捜査一課の刑事達は二日酔いし、みな、具合が悪そうだった。


 一言で表すと叫喚地獄。


「アドルフさん、これどうしますか」


「どうもこうも、なぁ…」


 アドルフは、この状況を眺めて、為すことがないと知っていたので頭を掻いた。


「自業自得ですけど、仕事に支障をきたしませんか?」


 ヴィックですらも、机でうつ伏せになっている。

顔色は悪い。アドルフからすると支障はきたすが、以前起こったモールの事件以降はあまり酷い事件は起こっていないから、休息をしても良いだろう。彼等は忙しかった。


 アドルフもだが。…決めた。休ませるだけ休ませよう。


「アドルフさん?」


「休ませる。今日の仕事は、俺と症状が軽いもので済ませよう。その後であいつらに飯を奢らせる」


「ええ…」


「他人の飯より美味いものはないだろう」


 まぁ、多分ジルベールやレティシア、エメなら同感すると思うが、リオネルはそこらへんはよく分からない。


 まずもって、ご飯をしっかり食べてこなかったタチなので。成長して、完食できるまでに食べられる日がきたら分かるのだろうか。


「そうですか」


「お前も来るか?」


「水とサラダをお願いします」


 適当に雑談を交えながら二人は、二日酔いの者達に水をやったりしながら署の外へ出た。


「じゃあ、頑張って下さい」


「ああ」


 見送られたリオネルはふわりと笑った。恐らく、エイダン以外に捜査一課ではじめて彼の笑った顔を見たアドルフは安堵した。


 彼が、やっと年相応に心から笑えるようになったから。いち警察官として、一人の人間としてこの子供の笑顔を守ろうと決めた。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


これは、アドルフの静かな誓い。









「あら、ダンちゃん」


 買い物の帰りであった隈をたずさえたエメは笑って、エイダンに声をかけた。


「エメ…」


 エイダンは、私服姿であった。今日は休みらしい。近付くと、思わずエメは鼻を摘んだ。


「ちょ、酒臭いんだけど!あんた、昨日大量に飲んだでしょ!」


「ああ」


「ああじゃないでしょ。誘われていったリオネルが可哀想だわ。むさ苦しい男どもに巻き込まれて」


「むさ苦しくはない。二日酔いは少し落ち着いた」


「そ。警察なのに酒臭いと舐められるわよ。シャワー貸してあげるから、ついてきて」


 まぁ、それはただの口実。この好きな男と一緒にいたいだけ。なんて、言ってもこの男には伝わる筈はないけれど。






 エイダンがシャワーを浴びている間にエメはオニオンスープを作り始めた。一般的には迎え酒をするそうだが、エメの見解では先延ばしにしているだけで、根本的な解決にはならない。


 オニオンスープの玉ねぎに含まれるLシステインという物質が、アルデヒドの分解を助けてくれるそうだ。


また温かいスープで体内への吸収率を高めることもできるし、飲み過ぎた日の脱水対策として水分補給だけでなく塩分を入れ、ミネラル補給にも役立つ意外と優れたスープらしい。


本を読んで得た知識だから、確かだとは思うが。エメ自身、迎え酒ではなく、これが一番二日酔いに良いと思っている。


「シャワー借りた。ありがとな」


 丁度スープが出来たところでエイダンが風呂から出てきた。エメは咄嗟に顔を逸らした。風呂上がりのエイダンの姿に耐性などない。許せ。


「おい、どうした? お前、具合でも悪いのか?」


「ちょ、黙ってて!」


 エメが落ち着くまで数分を要した。





「ほら、オニオンスープよ」


「ああ」


 白い皿に入れたスープをエイダンの目の前に置く。湯気がたっていて美味しそうだ。スプーンで掬って口に含む。体の芯から温まり、オニオンの甘さも広がる。


「美味しい」


「ねぇ、あんた、疲れてるの?」


 エメはたずねるが、無言だった。それが肯定ととれた。スープを飲んでいるからかもしれないが、それはないだろう。飲んだ後でも幾らでも話せるし。


「あんたも大人だけど、少しは休んで良いのよ。休んだら駄目だって法律で決まってる? 社会のルールで決まってる? 決まってないでしょ。休みづらいかもしれないけど、人は休息を取らないと、仕事ができないし、生き続けられないんだから。あんたたち、警察が休まないとあたしたち、民間人も休み

づらいでしょう」


 エメは片目を閉じて、笑った。


「エメ…」


「子供の見本になるのは、あたしたち大人なんだから、あんたは、堂々としてればいいの。あの子の為に一日でも早く事件を解決したいというのならね」


 エメの言葉に、やっとエイダンは笑った。そして、一口、スープを飲んだ。


「お前のいうとおりだな。エメ、少し眠らせてもらう」


 欠伸をこぼしたエイダンは机の上で顔を伏せて寝始めた。数秒後には寝息が聞こえてきた。エメがいたから、安心しきったのだろう。


「全く、あたしも、馬鹿な男ね」


 善人のように正しいことを説くなんて。この男の前だからだろう。こんな言葉吐けるのは。眠っているのをいいことに、エメは静かに話し出した。


「ねぇ、エイダン。あたしはね、悪人なのよ。情報を売ってるし、ハッカーなのよね」


 まぁ、警察には悟られてはいないが。エイダンにさえ知られていないのだから、良しとしよう。寝ている人間に何を言ったって聞こえやしないし。


「あたしね、情報屋もハッカーもやめるつもりないわ。これは私なりの正義だから。あたしがやることで誰かの救いとなるのなら、あたしは死に近付いてでもやるわ。…子供の頃、ちょっとだけ裕福な家に

生まれたあたしは、ある日突然家が落ちぶれかけた。誰かの罠にかかったの。でも、それを救われた。味方でも敵でもない立場のハッカーにね。まぁ、今となっては救われたって落ちぶれたってどちらでも良かったけど。その頃のあたしにとってはハッカーは、多分、あたしのヒーローだったわ。だから、ハッカーになりたかった。誰に何を言われようともね」


 ハッカーになるにあたって何を言われたって良かった。けれど、自分の容姿、格好や、口調、心については何も言われたくなかった。男として生まれたくなかった。女になりたかった。


 女に生まれたら、こうやって偏見もなく、化粧も、好きな服を着れて、恋愛をして。女も大変なことはもっとあるが、それでも、女になりたかった。


男として家に縛られて、性別で決められて。それが嫌だった。嫌悪感が強くなって、家に、そんな差別に、偏見に解放されたくて、髪を染めて、伸ばした。


 両親はいい目で見なかった。それでも、自分の好きに出来るのだから許容範囲だ。と、いっても数年前までは見合いの手紙が山ほどきた。恋愛も好きにさせてくれないのか。


 親が決めた相手と結婚するなんてもってのほかだ。自分の恋愛対象は初めから女だった。それが、

エイダンに出会ったことで彼に惹かれた。


 ただそれだけだ。今の時代、男同士でも結婚できる。それでも叶わぬ思いだと、確信していた。


 だから、リオネルが復讐を遂げた後のことを考えていた。そして、エメはある決断を下そうとしていた。月がのぼる夜のことだった。




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